財政危機のなか教育費を増やし教育の機会均等と「子育ては社会の責任」で経済発展したフィンランド、政権与党の国会議員が貧困者バッシングで子どもの未来を閉ざす「子育ては親の責任」の日本

  • 2016/8/24
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2009年10月6日に書いたものです。片山さつき議員の貧困者バッシングは日本社会に損失を与えるものだということがフィンランドの事例でよく分かると思います。

セーフティーネット・クライシス
子どもの貧困は社会の損失、子育ては「自己責任」ではない

「セーフティーネット・クライシスVol.3 しのびよる貧困 子どもを救えるか」(NHKスペシャル、2009年10月4日放送)での関西学院大学教授・神野直彦さんと、反貧困ネットワーク事務局長・湯浅誠さんの発言が興味深かったので、番組の概要とともにお二人の発言要旨を紹介します。(※文責=井上伸)

番組ではVTRで、日本社会に深く根付いてしまった貧困が、いま子どもたちに深刻な危機をもたらしていることを告発していきます。

いま全国の小中学校で異変が起きています。朝から保健室に駆け込む子どもたちが増えているのです。高熱があるにもかかわらず登校してきた子ども、家で食事がとれずに空腹を訴える子どもらが次々と保健室にやってきます。親の収入が減り、病院につれていく余裕がない家庭や、子どもに十分な食事も与えることができない家庭が増えているのです。

NHKが実施した全国小中学校アンケート調査(無作為抽出で公立3千校を対象)では、「この5年間で家庭の経済状況の悪化が子どもに影響を与えている事例はあるか」という問いに対して「ある」と回答した学校が84%もありました。その事例として、「骨折しているのに医療費を払えないため病院に行けない子ども」、「1日の栄養量のほとんどを給食でまかなっている子ども」などが増えており、「子どもたちへの将来に強い不安を抱かざるを得ない」という回答が相次ぎました。

子どもを脅かし始めた子育て世代の貧困。この背景にはこの10年ぐらいの間に、日本社会に起きた働き方の変化があります。日本のセーフティーネット=社会保障は、企業の正社員という安定した雇用形態を前提に整備されてきました。子どもに対するセーフティーネットも、父親が正社員として企業につとめ、専業主婦の母親が子育てを担うという家庭の姿がモデルとなってきました。安定した賃金がもたらす十分な教育費や生活費、そして社宅などの住まいや医療保険などが企業によって保障されてきました。

さらに子どもの成長に欠かせない、しつけや心のケアが家庭の役割として行われ、これらが子どもを守る2重のセーフティーネットとして機能してきたのです。

しかし、労働者の3人に1人、若年層では2人に1人と、多くの人々が非正規社員として不安定な雇用を余儀なくされるようになった今、子どもの育ちは深刻な危機にさらされています。非正規社員の家庭では、企業によるセーフティーネットが無く、安定した賃金も得られないため、教育費や生活費をまかなうことができません。医療保険や住まいもほとんどの場合、「自己責任」となります。苦しい家計の中で、親の余裕は失われ、子どものしつけや心のケアまでもが脅かされることになっているのです。子どもたちの育ちは、これまでにない危機にさらされています。子どものセーフティーネット・クライシスの現実は深刻です。子どもの未来を閉ざしていいのでしょうか。

湯浅 背景にはこの間の急速な雇用の非正規化があります。企業が正規労働者から非正規労働者に置き換えていく。それにつられて正規の人たちもかなり低処遇化が進んでいる現実があります。こうして労働者の収入が減り続けていき、一方で、社会保険料負担や税金の負担はこの間、ずっと増え続けています。収入は減り続け、支出は増え続けるわけですから、家庭の中に余裕がなくなるのは当然で、そのしわよせを子どもが受けているというのが、子どもの貧困問題の構図です。最低賃金のアップなどで、労働者の収入をあげることと、教育費や医療費などの支出を下げることをセットでやらなければ、子どもの育ちを保障することはできません。

雇用の問題については、雇用創出という雇用の量を増やすことも重要ですが、「雇用の質」をきちんと確保することも重要です。この間、製造業が日本経済を引っ張ってきたと言いますが、製造業派遣の実態は、去年からの「派遣切り」の実態でひどいものだということが明らかになっています。つまり、雇用の量にだけ目をつけて、「雇用の質」はずっと悪くしてきてしまったのです。ここのところを、いま大きく反省しなければいけないのです。ですから、雇用の量とともに「雇用の質」を同時に高めていくことが必要です。そうしないと逆に言うと、その人たちが優良な消費者にもなれない。生活でかつかつだったら消費もできないのです。ですから「雇用の質」の引き上げに、企業も協力することが大事です。

(※VTRで、公立高校の学費が、授業料11万2千円と、加えて授業料以外(教科書代、通学費など)に23万2千円もの個人負担があり、新政権が実施しようとしている高校授業料の無償化だけでは、授業料以外の23万2千円もの個人負担は残ることを指摘)

湯浅 これまで貧困問題への政府の対応は、いつも後回しにされてきました。「企業のグローバル競争優先」や「財源が無い」などの理由で、いつも後回しになり、貧困の連鎖が止まりません。結局、人材がつぶれているわけです。それは、社会的な損失です。貧困は人間を再生産できないという日本社会の危機なのですから、社会全体で取り組まないといけない。このままでは、日本社会の持続可能性が無くなるということを、社会全体が共有して、貧困対策の優先順位を上げていく必要があります。

また、これまでは社会保障の財源と言うと、常に消費税の増税ばかりが議論されてきましたが、財源はトータルに考える必要があります。とくに、法人税と社会保険料とを合わせた企業の負担は欧州諸国とくらべて日本は低すぎます。企業は社会保障の充実のためにきちんと負担をすべきです。

日本政府はこれまで貧困に向き合ってきませんでした。私は、貧困問題を解決していく「スタートラインに立っていない」と言っていますが、具体的に今、どれだけの子どもが貧困状態にあるのか、国全体としてどれだけの人が貧困状態にあるのか不明です。まずスタートラインに立つために、きちんと日本政府として貧困率を測定する必要があります。貧困率の測定がないまま、子ども手当という政策を実施しても、これによって子どもの貧困がどれだけ減ったという話ができません。ぜひ、新しい政府は、そういうところでも転換してもらいたい。そして、今これだけの貧困があるけれど、様々な政策を打ってこれだけ貧困を減らしてきたというふうに取り組みを進めてもらいたい。

神野 国際的に見て、日本の子どもの社会保障の水準は、低いグループに入っています。子ども手当は極端に少ない。新政権による子ども手当は第一歩に過ぎません。子どもたちの育ちを保障するのは、生活費の支援だけではなくて、医療や教育、様々な分野で体系的に立てられなければなりません。これまでなんとか保障してきたのは、企業と家族なんですね。ところが企業そのものも生活保障の機能から撤退し始めた。そして家族の機能も小さくなっている。そうなってくると、国民全体の暮らし、社会全体を包摂するような社会保障体系を早く準備していかないと、子どもの貧困は固定化されてしまいます。

教育へ日本はお金を極端に使わない国です。ヨーロッパではそもそも教育費は無料という国が多い。なぜ日本は教育費にお金を使わないのか? どうも日本という国は、教育費や子育てのお金は社会にとって負担だと思っているふしがあります。ヨーロッパでは、教育は社会の進歩と発展を可能にする未来への投資だと考えています。教育は負担ではなく投資で、教育の英語=エデュケーションは、「引き出す」という意味です。すべての子どもにかけがえのない能力があって、それを「引き出す」のが教育だということです。教育によって、それぞれがかけがえのない能力を発揮することによって、経済全体が発展していくのです。

(※VTRで、フィンランドの事例を以下のように紹介。フィンランドでは、子育ては、親だけの責任ではなく、社会全体の仕事だと考えられています。子どもに平等な教育を提供するのは、親にではなく政府の責任にあると考えられています。ノートや鉛筆など学校で必要なものはすべて教室にそろっています。理解するまで一人ひとりに丁寧に教えていく授業。フィンランドに学習塾はありません。子どもに授業の内容を理解させるのは学校の責任です。フィンランドでは、教育は子どもの可能性を引き出すものと考えられています。家庭の経済状況によって、子どもの未来が閉ざされてしまうことはありません。家庭の経済状況にかかわらず、すべての子どもに平等な教育機会を保障するフィンランド。その背景には社会全体で支え合う国民全体の合意があります。フィンランドの企業の社会保険料負担は日本の2倍です。1991年の不況で、フィンランドの失業率は18.4%に跳ね上がり、財政危機に陥りました。しかし、フィンランド政府は、教育費を増額したのです。財政危機にもかかわらず、教育費を増額したのには次のような裏付けがあったのです。教育が受けられないため、働けない人に対する国の負担は、生活保護など年間1人当たり96万円、生涯で2,230万円もの負担になります。一方、教育を受けて働くことができれば、国に税収が年間1人当たり76万円、生涯で1,770万円の税収を得ることができるのです。教育への投資を最優先することが財政危機を解決することなのです。教育への投資は、将来の経済成長につながり、税収が拡大するのです。教育にかかるコストよりも教育で得られる利益の方が大きく、「平等」と経済の活力というものは相反するものではなく、「教育機会の平等」があってこそ、活力ある社会が生まれるのです。)

神野 北欧のコンセンサスは、「子どもは社会の宝物」であるということです。子どもを育てる責任というのは、社会全体で負う。社会の共同責任です。したがって、共同事業で子育て、教育をやっていく必要があるのです。

そして、教育は、「経済成長」「雇用確保」「社会的正義」という3つを同時に達成することができます。

第1に教育は「経済成長」を達成することができます。人間が能力を高めて、より能力を発揮することができれば、生産性は高まって、経済は成長していきます。さらに重要な点は、転換期において、産業構造を変えなければならないときに、新しい成長産業の方に変えていくのは、再訓練を含めた教育しかありません。

第2に教育は「雇用確保」を達成できます。つまり、教育によってすべての国民の能力が高まれば、能力の高い人間を雇わないわけはないのです。そして、誰もが社会のために貢献したいのだけども働くことによる貢献を奪われているなどという人々がいなくなり、社会的損失が無くなるのです。

第3に社会的正義を達成できます。すべての国民の教育水準を高めれば貧困がなくなるからです。フィンランドは、重厚長大な工業社会から、ソフトな知識社会へ転換しています。これを日本は学ばなければいけない。日本は依然として重厚長大の輸出産業に依存するような経済構造ですが、これをやっている限り、経済成長はおぼつきません。コンクリートは新しい産業を支えるインフラではすでになく、人的な投資こそインフラなのです。

(※以下、番組の最後の一言での神野さんと湯浅さんの発言です)

神野 子どもの貧困を解消していくために必要なのは、現金給付だけではなく、保育サービスや医療ケアなど、公的サービスの拡充が必要です。その長期的ビジョンを作ることが必要です。

そして、長期ビジョンを作る上で重要なのが、「声無き声の民主主義」を確立することです。「声無き声の民主主義」というのは、子どもたちには選挙権もなければ、自ら権利を主張したり、政治的な声をあげることもできないわけです。したがって、社会保障は、そうした声をあげられない子どもたちから優先的にやられなければいけないのです。

湯浅 今まで大人たちは、子どもたちに無責任に「夢を持て」と言ってきたように思います。でも夢を見るためには、夢を見る条件というものが必要です。その条件を作らないと夢は見れません。子どもの貧困というのは、夢を見ることの機会不平等です。子どもの貧困が広がって、夢も見れない子どもたちが増えているということです。中期長期でいろんな手を打たなければいけないのですが、今の高校生がどうやって卒業するのかという直近のことも含めて、子どもの貧困対策が、先送りされないように、政権交代が実感できるような緊急の施策を今から打っていただきたい。いま目の前の貧困で、子どもの可能性が奪われないよう緊急の施策を打つべきです。

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学教職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員(教宣部長)、労働運動総合研究所(労働総研)理事、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者、日本機関紙協会常任理事(SNS担当)、「わたしの仕事8時間プロジェクト」(雇用共同アクションのSNSプロジェクト)メンバー。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)があります。

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