子ども期から強制される「がんばり地獄」で「自己責任論」を内面化させ困窮すればするほど貧困当事者は自分を責め、社会は「がんばれば貧困にならない」と貧困者バッシング繰り返す貧困スパイラル

  • 2016/8/24
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2009年8月9日に書いたものです。

きょう(2009年8月9日)、自宅近くで、湯浅誠さん(反貧困ネットワーク事務局長、自立生活サポートセンターもやい事務局長)の講演(「過労死をなくそう!龍基金 第3回中島富雄賞授賞式」の記念講演)があったので参加しました。講演テーマは「貧困も過労死もない社会へ」です。以下、湯浅誠さんの講演要旨を紹介します。(※文責=井上伸)

私は1995年にホームレス支援を始めました。渋谷のホームレス支援ですが、その頃の渋谷にホームレスは100人いませんでした。私は渋谷に遊びに行ったことはありましたが、初めてホームレス支援に参加したときは、衝撃を受けました。渋谷に遊びに行っていたときは、まったくホームレスの方たちの存在は私の目に入っていませんでした。そのとき、“人間は見たいものしか見ないものなのだな”と痛感しました。

90年代後半、渋谷のホームレスは毎年1.5倍ぐらいの割合で増えていきました。95年に100人いなかったのに、99年には600人まで増えました。わずか4年の間に6倍です。これは渋谷だけじゃなくて、日本の大都市圏はすべて同じような状況でした。

食べていかれない、生活ができないという人たちの中で、さらに頼る家族もいない、そして自殺は選ばなかったという方がホームレスになります。食べていかれないという人たちのほんの数パーセントの人たちがホームレスになっているのだろうと思います。社会の中のわずかな層であるホームレスがこれだけ増大してきたということは、日本社会に膨大な貧困層が生み出されていることを示すものではないかと当時私は危機感をつのらせていました。

しかし社会全体として危機感を共有するには至っていなかった。ホームレス、野宿者というのは、そういうことを好きでやっている人たちなんだろうねとか、社会生活したくない人たちなんだろうね、というふうに、いわゆる「自己責任論」でとらえる面が大きかったと思います。

私は、日雇い労働者や、母子世帯を「元祖貧困」と言っていますが、こうした貧困は高度経済成長期においても日本社会でずっと存在していたのです。でも、母子世帯の貧困を問題にしようとしても、自己責任論で、「離婚しなきゃいいでしょ」のひとことで終わりにさせられてきたわけです。ワーキングプアは、日本社会で昔からずっと存在していて、じつは大きな問題だったのだけれど、社会全体として問題視されるようになってきたのは、ここ3年ぐらいです。

2000年以降、貧困が広がってきたのは、もともと存在した貧困に引っ張られてきた結果だと私は思っています。たとえば、低賃金で不安定で細切れのパート労働は昔からずっと存在してきました。そこに引っ張られて、非正規労働が若者などにも広がっていったのです。今や非正規労働の問題は、若者にも、男性にも、一般世帯にも広がってしまったのです。

そして、貧困が広がる状況は、正規労働者にも無縁のことではありません。今や「正規労働者の過労死か、非正規労働者の貧困か」ではなくて、「正規と非正規労働者の両方ともが過労死も貧困も無縁ではない」というような状態にまでなってきています。

正社員の人たちは、日々崖っぷちを見せられています。「今のこの正社員のイスを失うともう後はないぞ」というわけです。そうすると、正規労働者は、企業側の無理難題を飲まざるを得ません。そして、労働条件も切り下げられるし、過労死や過労自殺するまでに追い詰められてしまうわけです。

労働者全体が「NOと言えない」状態に追い込まれていっているというのがこの10年ぐらいの経緯ではないかと思っています。

私たち「もやい」の生活相談活動は、労働市場から排除されると、労働者を守るものが何もない日本社会であるということを、日々確認させられているようなものなのです。

3週間ぐらい前に、「もやい」への来所者が1日50人を超えました。これまで無かったことです。きょうあす食べていかれないという人たちが、朝行くと「もやい」の事務所が開くのを列をなして待っていて、朝から晩まで相談に乗っても行列が無くならないという状態です。加えて、電話相談は1日100件ぐらいかかってきます。電話はなかなかつながらない状況で、午後2時とか3時とかにつながった人が、朝からずっとかけつづけてやっとつながったと言っていました。今そういう状態になってしまっているのです。

「もやい」の相談活動の中では、生活困窮者をサポートするために、国や東京都のあらゆる制度で使えるものは何でも使って生活支援を行うということでやっています。しかし、現実の問題として、使える制度がありません。あれも駄目、これも駄目、結局、生活保護しか使えないということの繰り返しなのです。日本社会のセーフティーネットは、実際にアクセスできるようになっていません。セーフティーネットが実際は使えないという確認作業を、ずっと生活困窮者の相談の中でやっているというのが現実なのです。

生活保護は「最後のセーフティーネット」と言われています。「最後のセーフティーネット」という言葉から浮かべるイメージは、手前に他のセーフティーネットがたくさんあるような感じがします。手前にたくさんあって、生活保護は本当に最後の最後にセーフティーネットとしてあるんだというイメージでしょう。ところが、手前のセーフティーネットは実際には何の役にも立たないので、生活困窮者のすぐ隣に生活保護があるという状態なのです。ですから、生活保護が事実上、多くの生活困窮者にとって、「最初で最後のセーフティーネット」になっているのです。

この「最初で最後のセーフティーネット」である生活保護も、喜んで使いたいという人はいないし、使わせてあげましょうという役所も多くないのです。そして、実際に役所の水際作戦によって、多くの人が最初で最後のこのセーフティーネットである生活保護からも排除されてしまっています。そしてこの国では餓死者が出る状態にまでなっているのです。

貧困と労働市場の関係には両面があります。労働市場が壊れて貧困が増えるという面と、貧困が労働市場を壊す原因になっている面がある。この両面をきちんと見ることが大事です。

貧困は労働市場が壊れた結果であると同時に労働市場を壊す原因でもある。そこは循環しているのです。労働市場が壊れる→セーフティーネットが効いていないから「NOと言えない労働者」にならざるをえない→「NOと言えない労働者」によって労働市場はさらに壊れる→さらに貧困が増える。この「貧困スパイラル」で、世の中が下向きにぐるぐる回りながら落ちてきたのです。その中で、正規労働者も非正規労働者もみんなが「NOと言えない」状況が広がっていって、「声をあげづらい労働者」が増えていく。

私たちの課題は、この「貧困スパイラル」をいかに逆転させるのかだと思います。「反貧困スパイラル」をつくらなければいけない。そのために何が必要かというと、とにかく労働条件の底上げと同時にセーフティーネットを強化しなければいけません。

「反貧困スパイラル」は、こんなイメージになります。労働市場から労働者がはじかれないようにする→もし労働市場からはじかれてもセーフティーネットで貧困まではすべり落ちないようにする→セーフティーネットで貧困まですべり落ちないことで「NOと言える労働者」になって、また労働市場に戻っていけるようにする→「NOと言える労働者」が増えて、労働条件を底上げして貧困が減る→それがまた「NOと言える労働者」を増やしていく。

こういう「反貧困スパイラル」をつくっていくことで、社会全体がより健全な方向に向かうことになるのだと思います。その状態をいかにして社会運動体が作っていけるかというのが私たちの課題だと思います。

最近『どんとこい、貧困!』(理論社)という中学生に向けて貧困問題を語る書籍を作りました。その編集作業の中で、大人の世界も子どもの世界も同じなのではないかと痛感しました。

労働市場がますます過酷な世界になる中で、自分だけはなんとか生き残ろうと競争主義的にどんどんなっていく大人の世界があるわけです。そうすると、子どものときから、学習塾に通うなどして、とにかくがんばって将来ワーキングプアにはならないようにしようとする。子どものうちから気を抜いてはいけないとずっと追い立てられるわけです。小学生にとってみればそのゴールというのは、10年以上先です。10年以上先のゴールに向けて今から気を抜いてはいけない、誰も信用できないのだから、とにかく自分に力をつけなくちゃいけないと勉強や習いごとを積み重ねていく。そのうち、だんだん何のためにがんばっているのかよくわからなくなってくる。でも気を抜いてはだめだと言われるから、気が抜けない。のんびりしていることが罪のような感じで、ちょっとでも気を抜いたら負けてしまうぞと常に追い立てられる。そういう「がんばり地獄」にはまっている子どもがいる。

他方で、そういう競争からどう考えても降りるしかない。貧困家庭で、お金も無いし、塾にすら通えない。大学に行くお金は無いと親に言われている。何をするにもお金が無いということを考えざるを得ない子どもがいる。そうした子どもは、最初から競争に参加することさえ無理だと思ってしまって世の中がつまらなくなってしまう。こうした2極に子どもも分かれてしまっているように思えます。

この子どもの2極は、労働市場で、過労死するまで労働させられる労働者と、一方で、生活が成り立たない、どうせ自分なんて無理だという気持ちに追い込まれていく貧困と、ちょうど同じことの再生産状態になっていて、こんな社会では持続可能性がなく、社会が持たなくなっているのではないかと思うのです。

こうした社会になってしまったのは、「自己責任論」が一番大きかったと思います。昔からホームレスも母子世帯も「自己責任」にされてきましたが、ここ十数年、労働者全体にわたって「自己責任論」が強化されてきました。それは社会保障費削減などによりセーフティーネットの穴が広がって、結果としてその穴に落ちる人が増えていく。穴が広がれば穴に落ちる人が増えるのは当たり前なのに、でも穴が広がったということには目が向かないように、「自己責任論」でごまかされてきた。ちゃんとしていれば貧困にはならない、がんばれば貧困にはならなかった、頼れる家族や友人がいたはずだ、とにかくあなたの注意力や努力が足りない、ぼやっとしていたのがいけないなどという「自己責任論」の話で全部流されてきたわけです。その結果、貧困がどんどん広がっていったのです。

去年の今ぐらいまでは、テレビの討論番組に出ても、私の向かい側に、「自己責任論」をぶつ人がいて、「ちゃんとやっていれば貧困にはならない」とか、個別の事例が出てきたら、なぜこの人はこんなことをやったんだというふうに聞いてくるわけですね。こちらは、そんなこと言ってもこういう状況なんだということで反論して、そうこうしているうちに番組は終わってしまう。貧困の現実をどう改善していくのかという先の話には行けなかったのです。それが去年の秋以降、派遣切りなどであれだけ大量の労働者が、会社の都合だけで、生活のことは一切考えられず、あとはどうなろうとかまわずに捨てられるんだということが、ようやく一般のメディアにのるようになって、貧困問題を解決するにはどうするんだという話がようやくできるようになったわけです。

貧困問題をどうしていくかという「問い」に対しても、「自己責任論」というのは、非常に便利な理屈立てです。その「問い」を貧困当事者の自分の中に閉じ込める効果がある。貧困当事者が「自分が悪いんだ」と思ってくれれば、企業や社会からどんなにひどい扱いを受けても、「自分の能力や努力が足らないからこんな扱いを受けるんだ」と自分自身に返ってくるだけで、自分の外=社会には出て来ないのです。結果的に起こるのは、食べていけなくなればなるほど自分を責める、困窮すればするほど「こんなになってしまう自分はなんてダメな奴なんだ」と思う人が増えていく。こうした「自己責任回路」が社会的にできあがっている。この貧困当事者の「自己責任回路」は、日本において様々な運動が低調であることの大きな原因としてあると私は思っています。また、「自己責任回路」は、11年連続で3万人を超える異常な数の自殺が起こり続けている原因だろうとも考えています。

「もやい」に相談に来る人たちを見ていても、ほぼ例外がなく、貧困状態におちいったのは、みんな自分が悪いと思っています。それは結局、「自己責任論」という尺度を、自分の中に内面化しているからだと思います。

逆に言うと、「自己責任論」じゃない価値観というのを、今までの人生の中で、学校でも家庭でも職場でもテレビや新聞でもほとんど見聞きしたことがないんだと思うのです。

食べられなくなった人も、ちょっと前までは食べていかれていたわけです。食べていかれていたときは、自分が食べていけるのは、自分がそれなりに努力しているからだ、まじめにやっている結果だと思っているわけです。そのときに、食べていけない人に対して、あいつら食べていけないのは、あいつらがちゃんとやっていないからだと思っていたわけです。ですから、いざ自分が食えなくなると、会社が悪いとか社会が悪いとか、そう思えないわけです。少し前までは、ちゃんとやってれば食べていけるはずだと自分も思っていたわけですから。結局、自分が食えなくなっているのは、自分の努力が足りなかったからだという考えが出発点にならざるをえない。相談に来て初めて私たちの考えや仲間の考えと接することで、「自己責任論」じゃない考え方もあるんだということを知るわけです。

そうすると、現実には社会に問題がたくさんあるのだけれど、貧困当事者が「自己責任論」に縛られているので、声をあげられない。社会的に貧困問題が可視化されないということになっていくわけです。

今後、「年越し派遣村」で取り組まれたように、労働運動と私たち生活支援の運動が連携を強めなければいけないと思います。非正規の細切れ雇用などは、私は半失業半就労状態だと思います。こうした半失業半就労状態が大きく広がっている中では、労働問題と生活問題は密接につながらざるを得ないわけです。

「貧困スパイラル」を「反貧困スパイラル」に変えていかなければいけません。それには、労働市場の改善と、労働市場の外のセーフティーネットの改善の両方をやっていかなればいけません。労働市場とセーフティーネットは両方セットで改善しなければ「貧困スパイラル」を止めることはできません。労働運動と生活支援運動の連携で「反貧困スパイラル」をつくりだしましょう。

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員、労働運動総合研究所(労働総研)労働者状態分析部会部員、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)がある。ここでは、行財政のあり方の問題や、労働組合運動についての発信とともに、雑誌編集者としてインタビューしている、さまざまな分野の研究者等の言説なども紹介します。

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