公務員は市民の敵? 公務員の賃金は下げて当然? 公務員人件費が財政赤字の原因? 公務員バッシングの正体とは?

  • 2015/8/27
  • 公務員は市民の敵? 公務員の賃金は下げて当然? 公務員人件費が財政赤字の原因? 公務員バッシングの正体とは? はコメントを受け付けていません

(※『国公労調査時報』2012年12月号に掲載した論考で、石川康宏先生の講演を私がまとめたものです)

公務員バッシングの正体
石川康宏神戸女学院大学教授

国民の不満をそらす世論操作

公務員バッシングの問題は、いくつかの角度からとらえることができます。一つは、今の政治に対する国民の不満の矛先をかわすための生贄にされているという問題です。

「構造改革」の政治が長く続き、大企業が潤えば今に国民も潤うと言われてきました。結果的に大企業だけは潤って多くの国民はますます貧困になってしまいました。公務員だけでなく日本の平均的な世帯の所得は1997年がピークでそれ以降15年間に渡って低下し、もとに戻っていません。そうすると、生活苦に陥った人々の不満がたくさん出て来ます。そして、私たちの生活を苦しくした「構造改革」を進めたのは誰だと問われ、その答えが「政治だ」「財界だ」となって責任を問われると困るので、その身代わりとなる生贄を差し出さなければならなくなります。公務員に向かって「ここに悪い奴がいる」と言って、国民の不満をそらすための生贄を意図的につくる必要があったのです。

財界の利益に直結する公務員賃下げ

たとえば、「公務員は貧困者の敵だ」「貧困者の敵だから公務員の賃金を下げる必要がある」というバッシングに乗って、公務員の賃金を下げるとどうなるでしょうか? 公務員の賃金が下がっているのだから民間労働者の賃金も下げるのは当たり前だとなる。今度は、民間労働者の賃金が下がっているのだから人事院勧告が下がるのは当たり前だとなり、賃下げのスパイラルをつくることができます。こうした賃下げスパイラルをつくると民間労働者の賃金もどんどん下がっていって差額はどんどん自分のフトコロに入るわけですから民間・大企業はものすごく儲かります。公務員の賃下げと財界との関係が見えづらいなどということはありません。公務員バッシングで公務員賃金をカットすると財界は儲かるという非常にはっきりとした関係があるのです。公務員賃下げは財界の利益に直結しています。

私は私立大学につとめていますが、給与規則に「給与は主として人事院勧告に準ずる」と書かれています。同様の職場は日本中にたくさんあります。人勧が下がるとうちの大学の経営者も喜びますし、大学だけでなく私立の病院だとか人勧準拠の職場はいろいろあります。また、「公務員の高い賃金が財政赤字の原因だ」とする主張については、一方で法人税が引き下げられ、高額所得者・富裕層には優遇税制があるなど、財界と富裕層の利益だけが生み出されていることを隠すために、公務員が攻撃の材料に仕立て上げられていると見る必要があります。

「全体の奉仕者」から「財界の奉仕者」への転換ねらう

国家公務員のみなさんは、東日本大震災の直後から空港・道路など交通インフラの復興に力を尽くし、1週間もしないうちに救援物資が被災地に届くようにするなど奮闘され、いまも入れ代わり立ち代わり被災地への支援などでわが身を顧みずに働いています。しかし、そうした全体の奉仕者としての公務員の仕事を、財界というのは、面倒なもの、迷惑で仕方がないものと思っているのです。財界は自分たちの利益さえ上がればいいので、国民全体の利益を考えるなどと公務員に言い出されると迷惑で仕方がないのです。だから、財界は公務員のあり方を変えたいと思っているわけです。

歴史的に見ると、かつて大阪には黒田革新府政があり、京都には蜷川革新府政がありました。革新自治体は憲法を暮らしの中に活かそうとがんばりました。一番広がった時には、日本の全人口の43%が革新自治体に暮らしていました。そうした中で1973年に自民党政権がついに「参った」をしました。革新自治体が広がって選挙のたびに共産党や社会党に票を入れるのは止めてくれ、自民党がこれからは福祉をやるからと宣言したわけです。憲法を守ろうという運動が国政を動かした瞬間でした。

しかし、国政を動かされて不愉快だったのは財界です。このままでは財界が儲け放題の世の中を変えられてしまう。なんとか巻き返さなくてはということで、1970年代半ばから財界による巻き返しが始まります。政治のレベルでは革新自治体をつぶすという攻撃がされ、社会党がつぶされます。

労働運動の分野もこの時期が大きな転換点でした。1973年の春闘では平均賃金が1年間で30%上がります。3%ではなくて30%の賃上げです。このままでは大変だと思った財界は、労働戦線を右寄りに再編するための攻撃を始めます。1974年から当時の日経連が春闘をつぶすため、経労委報告(経営労働政策委員会報告)を出し始めます。春闘で意思統一するのは労働者だけではないとばかりに財界人は毎年東京に1,000人規模で集まって、「今年の労働者の春闘要求はこうやってつぶそう」という意思統一を1974年から始めて、その実りが1989年の連合結成になります。こういう大きな転換期が1970年代半ばにあったのです。

政治の動きでは、1980年代になると臨調行革路線が始まります。「めざしの土光」と呼ばれた当時の経団連の土光会長が陣頭指揮をとって行革を始めます。その行革の中身は、全国各地の革新自治体によって自民党政府を譲歩させ一定の福祉を充実させてきたものを根こそぎ削るというものです。福祉も医療も教育も支援しないという方向にして、浮いたお金は財界のために使うという企業のやりたい放題の路線となっていきます。

何のため、誰のための「公務」なのか

1980年代半ばには中曽根政権が生まれ、これからはグローバリゼーションの時代だから今までのようなゆっくりとした政治ではいけない、諮問委員会をたくさんつくろうと言い出します。たとえば、社会保障の改革を当時の厚生省にまかせると時間がかかるのでダメだから、厚生大臣の周辺にブレーンをつけて進めようというのが諮問委員会です。諮問委員は大臣が任命するので、必ず財界代表を入れるなどで出来レースが可能となります。たとえば、私は1990年代の終わりに京都にいて保育運動をしていました。当時も今の「子ども・子育て新システム」のご先祖のような改悪方向が1990年代半ばからずっと出ていました。諮問委員会からたくさん悪い文書が出て来るので、なぜ悪い改悪方向ばかり出てくるのか、と見てみると諮問委員会のメンバーにキッコーマンの会長が入っていました。キッコーマンは、醤油は上手に作るが保育所のことを知らないのに、なぜそのような人が入るのでしょうか? 財界代表として入って財界の利益を確保するために入っているわけです。つまり、1980年度半ばから政治にスピードが重要だといって諮問委員会政治を始め、政府の意思決定に財界人を直接入れ始めたのです。

小泉政権の時代になると、経済財政諮問会議で竹中平蔵氏のような新自由主義バンザイ型の学者の他に、日本経団連の奥田会長や経済同友会の牛尾代表幹事が入ってきます。そして、現在の野田政権では国家戦略会議がつくられて、この国の経済・財政政策を決める政府のトップの会議に、日本経団連会長と経済同友会の現役代表幹事が入っているのです。

革新自治体の広がりによって、憲法どおりの国民が主人公という政治の流れがいったんはつくられたのですが、それを掘り崩して財界が政治を自由にあやつる国づくりの方向に長い時間をかけて持ってこられているのです。その過程の中で公務のあり方が変質させられ、国民生活を支える公務は縮小させられているのです。なぜなら、憲法どおりではなく財界が儲かればいいわけですから、この分野は公務でやらずに民間に明け渡したら儲かりそうだという分野は民間に明け渡し次々と民営化していきます。その結果、国民の生活や学びの権利が失われていく。それをあからさまに語っているのが橋下徹大阪市長です。「公務員は国民に命令する存在なんだ」と今年の新入職員への会合で話をしました。報道によると、2009年以降、橋下氏が出てくる前にも5万3,000人ぐらいの国家公務員の身辺調査が行われている。つまり財界言いなり型で動ける人間と抵抗する人間をあらかじめ区別しておくという作業が内々に行われていたのです。

国民と連帯する公務労働運動論を

こうした財界言いなりの政治が強まる流れの上に公務員バッシングがあるのです。ですから、公務員バッシングのターゲットは、公務員の賃金や労働条件の切り下げだけでなく、この日本社会における公務のあり方にあるのです。公務員が首長の下僕にされたり、財界言いなりになってしまっていいのか、という問題なのです。

公務員バッシングは、「公務へのバッシング」ですから、公務とは何なのか、誰のためにあるのか、という公務のあり方のレベルでたたかいを組む必要があります。どういう国をつくるのかという国のかたちを巡る問題なのです。だから、国家公務員のみなさんは、こういう国のかたちを作りたい、と国民に訴えることが大事です。そして、私たち国家公務員は、そのために憲法どおりに働くとの誓約をして仕事についているということを国民に訴える必要があります。

同時に、自分の利益、職場の利益だけでなく、社会全体の利益を守ることを仕事にしているわけですから、それにふさわしい能力や人格を磨くということも、当然みなさん方の仕事になります。
1970年代には国民のための公務労働運動論ということがよく言われました。たとえば、私が京都の立命館大学の学生だった頃は、京都府庁には「憲法を暮らしの中に活かそう」という垂れ幕があり、5月と11月の憲法記念日には府民に対して憲法教育を京都府が行っていました。革新自治体のもとで働いている京都府の職員たちはその先頭に立っていて、京都府職員労働組合は蜷川民主府政を支える最大の組織だったわけです。ですから当時の公務労働運動論は労働条件改善のための労働者性はもちろん、公務員は自分のためだけに働くのではない、わが社のためだけに働くのでもない、京都府民のために働くというものでした。だから、京都府民の利益を尊重し、同時に公務員の労働者としての権利も主張するという2本柱をどうバランスを取って行くのかが公務労働運動の中心的な課題になっていたのです。

この公務労働運動論は革新自治体がつぶされていくと同時に、あまり語られなくなったのではないでしょうか。若い人たちの中にはこんな話は初めて聞いたという方もいるかもしれません。しかし、この観点を欠いてしまった公務員だけの利益に走る公務労働運動はもう周りの住民にとっては「お前ら民間と変わらんやないか」という話になって、守る相手ではなくなってしまいます。公務員は私たち市民の暮らしのためにがんばっているのだから、市民も一緒にたたかって、できるだけ一緒に守ってあげよう、というふうにならなければ展望は開けません。ですから公務労働運動論や民主的な公務員労働者論を、あらためてしっかり学ぶということが課題にされていいはずです。

市民の運動が現に政治を動かしている

それでは、いまの日本の政治はどうなっているのでしょうか。財界のやりたい放題でどうしようもないのでしょうか。そうではない、というのが今の局面のおもしろさで、一つの象徴が原発の問題です。

原発再稼働に反対する官邸前デモは、6月29日には20万人が集まりました。ツイッターを見て参加した人が多く、赤ちゃんを抱いたお母さんもたくさんいました。ひところ景気が良かったときには「花の金曜日」で「花金」と言ってお酒を飲んで騒いでいましたが、今は「デモ金」といって仕事が終わったらデモで汗をかいてからビールを飲みに行くという光景が広がっています。全国各地に広がっているツイッターデモでは、地元商店街がデモ参加者に対する優遇券を配布して「デモ割」のサービスなどをしているところもあります。

こうした脱原発の運動が大きくなると日本のマスコミもこれを無視することができなくなりました。大手マスコミはこの20万人集会の直前まではほとんど報道していませんでしたが、20万人という数の力はもちろん、毎週金曜日の官邸前の映像をインターネットで市民が生中継しているのに大手マスコミはなぜ報道しないのかという国民の声に押され、とうとう報道せざるをえなくなったのです。

たとえば、私の大学の学生は新聞を読みません。だから悪い新聞の影響も受けないし、良い新聞の影響も受けないのですが、どこから情報を得ているのかというと、圧倒的にインターネットで、もう一つはテレビです。インターネット上では、ツイッターやフェイスブックで情報が流れているので、「官邸前はすごいよね」という話になる。それで「官邸前」でネット検索したら、ヘリコプターでの空撮を含めすごい映像が毎週毎週出て来る。すごいことになっているなと思って、デモは夜8時に終わるのでテレビをつけてみる。でもテレビのニュースでは一言も報道されない。なんだこれはという多くの人の疑問にマスコミも応えざるを得なくなったわけです。ネットで映像を流しているのは市民運動団体で、みんなのカンパでヘリコプターをチャーターし空撮してこの映像のどこにウソがあるということで、もう完全に大手マスコミも無視できなくなったのです。

こうした巨大なデモによって、最近は選挙目当てもあるでしょうが、野田首相も「原発ゼロ」と言わざるを得なくなりました。しかし、野田首相は「2030年代に原発ゼロ」などと呑気なことを言っていますので、「即時廃炉にせよ」という運動がいま取り組まれています。こうやって多くの市民の声が現に政治を動かしているのです。

公務員人件費が赤字の原因か?

それでは、具体的に公務員バッシングを検証していきましょう。もっとも多い公務員バッシングに、公務員の高い人件費が財政赤字の原因だとする主張がありますが、これは事実と違います。OECDの27カ国の中で公務員・公的部門職員の人件費をGDP比(▼図1)で確かめてみると、日本は27カ国中最低です。

また、労働力人口に占める公務部門の職員の割合(▼図2)も日本は最低です。もう10人に1人もいません。全労働者の8%ぐらいです。ノルウェーやデンマークは3人に1人が公務員です。こんなにたくさん公務員がいたらバッシングするわけにもいきません。日本の公務員は少数者だから平気でバッシングできるという側面もあるのです。

全労働者の3人に1人も公務員がいて人件費も高いノルウェーやデンマークは財政赤字が増えてボロボロの国になっているでしょうか? まったく違います。日本よりずっと福祉が充実していて、教育や医療も基本的に無料です。国民の暮らしは国が支えているのです。そのために働く公務員が全労働者の3分の1を占めています。この全労働者の3分の1はわが社のために働いていません。私の利益のためにも働いていません。社会のために働いています。まったく逆に、公的な仕事がどんどん壊され、社会のために働く人がますます少なくなっている日本で、財政赤字が増えているのです。

結局は住民サービスが解体させられている

▼図3は税と社会保障などによる相対的貧困率の改善効果を見たものです。フランスは国が何もせずにいると全国民の24%が貧困者になります。ところが労働運動や市民運動が活発なので、フランス政府が何もせずにいると大統領はすぐにクビにされる。そこで政府もがんばって、社会保障などで貧困率を6%に減らしているのです。つまり、この図3のアミカケの部分が大きいほど役に立っている政府で、小さければ小さいほど役立たずの政府だということです。役立たずの政府のトップに輝くのは日本です。それもそのはずで、日本政府はずっと自己責任と言って、国は国民の暮らしを助けないというのが方針になっています。橋下維新の会も同じで、助けるのは「真の弱者だけでいい」と言っている。今でも国民の暮らしを助けない政府なのに、「真の弱者だけでいい」と言うのは、どこまで政府の役割を減らすのだろうと思うわけですが、さらにこの国を悪くしましょうと橋下氏は主張しているわけです。

「構造改革」が財政赤字を増やした

公務員の責任にされている財政赤字の問題をもう少し突っ込んで見てみましょう。▼図4は財務省の資料「一般会計における歳出・歳入の状況」です。上の折れ線が1年間の支出です。鳩山政権のときに100兆円を超えていますが、近年は基本的に80~90兆円台を維持しています。1年間の財政赤字の量を示しているのが棒グラフで、財政赤字が多いのは過去15年間です。つまり、「構造改革」の時期です。「構造改革」のときに、国民に対しては痛みに我慢せよと言っていたのに、一番赤字が増えたのが「構造改革」の時代なのです。支出は横ばいなのに、なぜそうなるのでしょうか? 原因は簡単です。税収を示す折れ線を見れば分かるように、この国の税収は24年間減ったままになっているのです。

私たちの税金が軽くなっているという実感はまったくないのに、なぜ税収が減っているのでしょうか?

一つは、▼図5にあるように、法人税率がすごく下がっているからです。中曽根内閣のときに42%だった法人税率を、昨年には25.5%まで下げました。さらに日本経団連は下げろと言っている。強欲には限りがないのです。

リーマンショック後も儲かっている大企業

景気が悪いから大企業も大変だと言う人がいますが、そんなことはありません。▼図6は資本金10億円以上の大企業の内部保留の推移です。起点となっている1986年の中曽根政権のときから法人税率がどんどん下がったことなどにより、大企業の内部留保は景気後退しても増え続け、いま4倍ぐらいに膨らんでいるのです。それでも法人税率を下げる必要があるとするのは、大企業を富ませるための政治をやっているという以外にもう思いつくことがないわけです。

富裕層は所得税負担が軽いというおかしな国

財政赤字の問題にはもうひとつこの国の所得税収が大きく減っているという問題があります。▼図7は年間収入と税負担率を示しています。年収70万円では税金はほとんど払わなくていい。就職したので200万円ぐらいの年収があるので2%の税金を払う。がんばって働いて500万円になったら5%ぐらいになって、年収1,000万円になると10%ぐらい税金を払うというように収入に応じて税率・税負担が上がるのが累進税です。力に応じて税を負担しようというのが戦後の先進国の当たり前のルールです。

ところが、これが1億円をピークに下がってしまう。5,000万円から1億円の年収がある人が日本で一番割にあわない人々で、1億円の10倍、100倍稼いでいる人よりも税率が高い。なぜ年収100億円の人間が年収1,400~1,500万円と一緒なのか? 理由は簡単です。年収1億円を突破するような大金持ちは自分では働かない。働かなくとも金が入ってくる。その金を株や土地で転がしていけばどんどん儲かる。額に汗を流して働かない。額に汗して働くと所得税の最高税率は20数パーセントまで上がる。ところが額に汗しないと税金が安くなっていくというおかしな国になっているのが日本なのです。

▲図7の灰色の部分が、株の売買で儲けている利益の比率です。100億円になると株の儲けがほぼ100%になる。株の売買は分離課税で別の税がかかるという証券優遇税制があり税率は10%です。だから株でどんなに儲かっても10%の税金だけです。1億円を超えた瞬間から急速に株で儲ける比率が上がっていき、払う税は10%になるので高額所得になるにつれて税率は10%に張り付いていくわけです。

財政再建への道は

▼図8は財務省の資料です。20数年前のピークの数字で、所得税は26兆円、法人税は19兆円、合計45兆円が国に入っていましたが、今は所得税13.5兆円、法人税は8.8兆円、合計22.3兆円しかありません。半分以下の税収です。税率はすべて国会議員が国会で決めています。日本国民が政治のことはよくわからないなどと言っている間に、国会議員は大企業と金持ちの税金は減らして、そのツケを払うのは庶民の消費税だと進めてきているのです。いま消費税率5%で、国に10兆円ぐらい入っている。消費税率を2倍にして10%で20兆円が国に入る。さらに15%にすると30兆円、20%にすると40兆円が入る。そこまで入ってくれば法人税はただでいいのでないかと言い出すでしょう。

こうした仕組みになっていますから、公務員の数を減らしたぐらいで借金が減るわけはないのです。そもそも大口の納税者からはもらいませんと言っているのだから赤字になるのは当たり前です。▼図9にあるように、国家公務員90万人が30万人になっていて、その間に国の借金は見事に5倍以上になっています。国の運営のあり方の問題であって、公務員の賃金の問題ではないことがはっきりしています。

私の周りでも国家公務員減らしが深刻な影響を及ぼしています。国立大学は国立大学法人という民間とあまりかわらない法人にされ、要するに自前でやれと国から言われたわけです。そうすると学費を上げるしかありません。私が1975年に立命館大学に入ったときの学費は11万円でした。月1万円アルバイトでどうにか貯めれば自分で学費が払えた。そのとき国立大学の学費は5万円でした。月4,000円貯めれば大学の学費が払えた。だから貧乏人は国立に行けと言われた。今はどうですか。国立大学法人の学費は年間80万円以上です。つまり貧乏人は大学に行くなと言っているわけです。

こういうことが政治によって作られているのです。国家公務員を減らすという問題の本質は、国立大学のところで考えると、国が教育を支えることを投げ出したということなのです。国が教育を投げ出して、国家公務員が減らされた結果はどうなっていくでしょうか? 誰が困るでしょうか? 国立大学法人で働いている職員も困りますが、もっとも困るのは高額費で大学に通えなくなった国民です。国公立の病院がなくなった、保健所がなくなった、消防署がなくなったなど、いろいろな領域での公務員減らしが原因で、国民生活が破壊されているわけです。

それでは、財政再建はどうすればいいのでしょうか? まず払えるところから財政能力に応じて払ってもらいましょう。無駄なものをつくるのは止めましょう。そして、税収を増やすために重要になるのが景気の問題です。景気が良いということが税収を増やす最大の土台になります。

▼図10にあるように、1997年から2007年の10年間に、G7各国のうちカナダ、アメリカ、イギリスはものづくりが7割伸びました。10年前は100つくっていたが10年後は170つくっている。企業がたくさんものをつくる理由はただ一つ、売れるからです。そして、売れるという条件は雇用者報酬の伸びです。雇用者報酬というのは賃金です。賃金が10年間で70%伸びれば、それはもう食べ物が変わる、居酒屋の飲み物も変わる、子どもの服も変わる。たまには旅行に行こうとなる。近所の商店街にもお金が落ちる。年に1回ぐらいは大きなデパートでおしゃれなものも買ったりする。だから企業は売れるからものをつくる。これが内需主導の経済成長です。国内需要の主力は個人消費ですから日本は賃下げで個人消費を破壊しているのです。内需破壊政策ですから企業は国内で儲からないに決まっているのです。目先の儲けのためにさらにリストラなどを行うから、ますます内需は破壊されていく。だからもう外貨しかないなどと言い出しているのです。

内需主導で経済が成長して、収入が1.7倍になると、多少は貯金もするでしょうが、1.5倍ぐらいはお金を使います。すると、消費税率5%のままでも消費税納税額は1.5倍に増える。同じように大企業も1.5倍に売り上げ伸び、単純計算で1.5倍に利益が伸びる。すると法人税率は変わりませんが、納税額は1.5倍になる。景気がよくなるとはそういうことです。景気が良くなる、成長が続く、利益が上がる、収入が上がるということはそれぞれが支払う税金が、税率が上がらなくても伸びていくということです。これが財政の再建にとっては非常に重要なことなのです。

ですから、日本において、大企業と金持ちだけに税金を払わせて、その場をしのげと言っているわけではありません。中長期的に安定的な経済成長をするためには、個人の消費を大事にする必要があるということです。つまり、賃下げスパイラルを抜け出さなければならないということです。いつまでもマイナス人勧や国家公務員の違法な賃下げをしていてはダメです。

加えて言えば、公務というのは社会の余計なコストを削減するわけです。たとえば、保健所が多くの人を病気になる前に食い止めれば、国全体で医療費削減につながります。逆に病気で働けなくなったら医療費のほかにも生活支援なども必要になってくるわけですから、そういうものを事前に食い止めることにもなるわけです。

失業してしまった場合でもハローワークで次の仕事が手当されたら、社会のコストは削減されます。取り返しがつかなくなって多くのコストがかかるようになる前に、手当をしていくのが公務の大事な役割です。たとえば、ドイツで生活保護を受け取っているのは圧倒的に20歳代から30歳代です。高齢者は年金がしっかりしているから生活保護に頼る必要がまずありません。20歳代、30歳代の働き盛りが失業や病気などで生活が崩れて取り返しがつかなくならないように、失業した瞬間にすぐに生活を支えて、安心して仕事を探せるようにする。ドイツはそういうタイプの生活保護で、日本のように生活困窮者だけをどう救うかというような生活保護ではありません。

自分の言葉で日本改革の展望を語ろう

いま多くの国民は次の政治を模索しています。その模索にかみ合わせて、こういう日本社会をつくろうということを簡潔に提示することが大事です。官邸前では誰も難しいことは言っていません。「原発、いらない」「子どもを守れ」「福島を救え」などで、さらに、「TPP反対」「消費税増税反対」なども加わっています。どういう日本を作り出すのか、めざす社会の簡潔な理念を打ち出すことが大事になっています。たとえば、なんでも「自己責任」「競争」の社会ではなく、「お互いに支え合う憲法どおりの社会をつくろう」というような理念を打ち出すことが必要です。その点では、「おまかせ民主主義」を克服していく努力が必要です。「おまかせ民主主義」は国民の側の特徴であるだけでなく、運動団体の中にもあります。ある社会問題が起こっていますが、私はなかなか意見を言いません。なぜならば上部団体の決定が出ないから。3~4日が経過して上部団体の決定が出てから全員同じことを同じような口調で話し始める。市民からすると、なんて気持ちの悪い集団だと映るのです。しかも本人は上部団体の決定を繰り返しているわけですからものを考えなくてもよいということになる。組織をつくるというのは強みもありますが、組織に頼り切ってしまうと、個人は成長しなくなります。そこを抜け出すことが大事です。

公務労働者が希望の持てる社会づくりの先頭に

めざす社会の理念を語り、そのために公務のあり方はどうあるべきなのか、公務員はどのような役割を果たすべきかを語る必要があります。最初に公務員の待遇問題を持って来ては、逆手に取られるだけです。日本社会をこうするべきと語る中で、私たち公務員はこういう役割を果たすべきと訴える必要があるのです。

いまの公務員バッシングによる世論操作で、「公務員は働かない」「既得権益にしがみつく連中だ」と多くの国民は思い込まされています。ですから、それに対してかみ合った切り返しを工夫しなければなりません。公務員のみなさんの生活がかかっているのはそのとおりです。公務員のみなさんが長い歴史のなかで勝ち取ってきた権利が崩されているのもそのとおりです。しかし、公務員の生活と権利を守れというだけの主張では簡単に逆手に取られ、「ほうら、公務員は自分のことしか言わないだろう」「公務員は既得権益にしがみつくだろう」と言われてしまう。そう言われないように議論をしないといけません。

公務員の生活と権利を守れではなく、国民のみんなが希望の持てる社会をつくろうと前面に打ち出すことが必要です。そして、みんなが希望を持てる社会づくりのために、公務員はこういう役割ができると公務の大切さを語り、それを守り育てるために奮闘する姿を見せていくことが大切です。

社会科学を基礎に、社会を語る

国民の政治的教養を高めることができれば、公務員バッシングを利用する政治家などは選ばれません。国民の政治的教養を高めきれていないというのが私たちの運動のレベルなのです。これを高めるために大事なのは公務労働者自身がより賢くなって、社会をこうするべきだと語れるようになる必要があります。そして、それは組合の執行部が考えたらいいんだという「おまかせ民主主義」を抜け出さなければなりません。組合員一人ひとりが考えて語れるようにならなければ、国民全体の政治的教養を高めることはできないのです。

組合員一人ひとりが賢くなるためには政治や経済の表面を新聞で学ぶだけではだめです。断片的な新聞の情報だけでなく、社会科学を体系的に学ぶ必要があります。そこで学んだことを職場で活かし、職場でぶつかった困難をまた学びの現場に持ち込み課題を深めて行くというところがいま失われています。この学びと実践が失われている点が、日本の労働組合運動などでなかなかエネルギーが出ない大きな理由になっていると思います。

そして、最後に強調したいのは、インターネットの活用です。脱原発の運動では市民はインターネットをフルに活用しています。しかし、労働組合ではあまりインターネットが活用されていません。「おまかせ民主主義」を脱却するためにも組合員一人ひとりがインターネットを活用する必要があります。

私のツイッターは1,551人が見てくれています。140文字以内ですが瞬時に多数に情報が届くのがツイッターで、たとえば私がつぶやいた橋下維新の会批判で「マニフェストを綱領に変えると直ちに守らなくても良くなるらしい。すごいねぇこの集団は。そして財界・大企業へのすり寄り姿勢を一層明確に」と書いて、新聞記事を貼り付けたツイートは、1,551人が見てくれて、そのうち142人がその人の友達にも流してくれました。ネズミ算式に情報が広がっていき、自分の友達の何十倍、何百倍、何千倍のところまで情報を届けることができるのです。これで世論をつくることができる。今、たくさんの政治家や運動家はこのインターネットのなかで世論をつくりにかかっています。ですから、インターネットは分からないと言っている人は学ぶべきです。やりたくないと言っていてはダメです。橋下大阪市長をはじめ公務員バッシングをしている側はインターネットを使っているのに、公務員労働者はやりたくないでは最初から負けてしまっているわけです。

中東のジャスミン革命やアメリカのオキュパイ運動は、フェイスブックが大いに活用されました。フェイスブックで連絡をとって意見交換をして市民運動を盛り上げていったのです。

日本においても官邸前に集まった市民の多くも情報をネットで探して、その情報を自分で判断して誰に動員されなくても自分で行動しているのです。そういう人たちが今日本で新しく政治を考える社会層として毎週10万人規模で集まっている。またそういう人たちの周辺に多くの人たちがいるのです。そうした市民の中に公務員労働者も入っていくことが大事です。入っていくためにはツイッターもフェイスブックも自分で発信しないとダメです。上部団体が決定を下すまでなどと言っていたら情勢遅れになる。しかもあなたは自分で考えられないのかということになる。それで間違えた発信をしたとしても後で訂正をすればいいのです。そうやって自分を鍛えないといけない。最初から最後まで絶対に正しい自分というものを想定しているから伸びない。危機に自分をさらして一生懸命ものを考えて伸びるようになるのです。

さまざまな社会問題に対して、一人ひとりの公務員労働者が、国民みんなが希望の持てる社会づくりの方向を提起しながら、その中で公務と公務員の果たす役割を語っていく。そうすれば、公務員労働者は、今の日本社会を憂いているたくさんの人たちと手をつなぐことができるようになります。

【※国家公務員労働組合大阪地区連合会、憲法を行政に生かす大阪の会、国家公務員労働組合近畿ブロック会議の合同で開催された「国公労働者のつどい」(2012年9月15日)の記念講演を整理したものです。文責・編集部】

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学教職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員(教宣部長)、労働運動総合研究所(労働総研)理事、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者、日本機関紙協会常任理事(SNS担当)、「わたしの仕事8時間プロジェクト」(雇用共同アクションのSNSプロジェクト)メンバー。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)があります。

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