〈安倍70年談話〉アメリカに尽くすことのバーターとして許された範囲内の歴史修正主義、念頭にないアジア諸国との和解◆DV男のような安倍政権のシナリオつぶそう|中野晃一上智大学教授

  • 2015/8/16
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紹介してきた中野晃一上智大学教授へのインタビューの最後になります。

あわせて冒頭に中野先生が昨日(8月15日)FB投稿された「安倍戦後70年談話」に対する指摘を紹介します。(※中野先生ご本人に転載の承諾をいただいた上での転載です)

(※続いてのインタビュー記事の方は、「安倍政権の少数派支配 – 多数決さえなく少数決となる小選挙区制は民主主義とは別物|中野晃一上智大学教授」、「裏口入学で憲法を殺す安倍政権の「戦争法案」 – トリックとしての公明党ブレーキ役|中野晃一上智大学教授」、「国家に寄生し私物化する安倍政権 – 政治主導のヘイトスピーチ、日の丸振り回し仮想敵煽る右傾化、歴史修正主義の押し上げ、空洞化する国民生活|中野晃一上智大学教授」に続くインタビューの最後になります。※インタビュー収録は2014月12月19日で、『国公労調査時報』2015年2月号に掲載したものです)

〈村山談話と安倍談話の根本的な違い〉
アメリカに尽くしに尽くすことのバーターとして
許された範囲内の歴史修正主義、
アジア諸国との和解は一切念頭にない
中野晃一上智大学教授

村山談話と安倍談話の根本的な違いは、実はかなり簡単に説明できます。それは、村山談話が主として中韓をはじめとしたアジア諸国に対して出されたものであったのに対して、安倍談話がアメリカに向けて出されたものだということです。

安倍談話の「構造」は、安倍の米国議会演説で用いられたものと全く同じで、「生まれ変わった(born-again)罪人」に日本をなぞらえるものです。道を誤り、アメリカ主導の国際秩序の挑戦者となってしまった日本が、敗北し、許され、今やアメリカに従って「積極的平和主義」を掲げ国際秩序を支えるようになった、という「物語」なのです。

ここでの「罪」が、植民地支配や侵略そのものではなく、アメリカに刃向かったことであることがキモとなっているわけです。

だから、中韓をはじめとしたアジア諸国に対する植民地支配や侵略戦争の責任や謝罪という観点から見ると、安倍談話は村山談話から大幅に後退した無残なものとなっていますが、アメリカの政策関係者が喜ぶような「物語」としてはなかなか完成度の高いものとなっています。

それもそのはず、村山談話の下書きをしたのは谷野作太郎ら外務省アジア畑の系譜でしたが、今回安倍談話の有識者懇談会はアメリカ通ばかりで中国研究者はただ一人、韓国研究者はゼロでした。安倍談話の下書きもワシントン直結の人脈でした。

はっきり言えばこういうことです。

安倍談話は、安倍が安保法制整備強行、TPP推進、辺野古移設強行、AIIB見送りなどアメリカに尽くしに尽くすことのバーターとして許された範囲内の歴史修正主義の産物であり、アジア諸国との和解は一切念頭にないということです。

ここ20年間で、日本の外交安保が完全に、対米追随一本槍だけに先細ってしまったことを示しているわけです。

中野晃一上智大学教授によるFB投稿から)

以上が中野先生の安倍談話に対する指摘です。そして以下はインタビューのラストになります。

小選挙区制で少数派支配
安倍政権の暴走にストップを
中野晃一上智大学教授インタビュー

日本社会を傷つける公務員バッシング

――公務員の労働組合には、労働組合バッシングと公務員バッシングの両方が重なり合うのですが、公務員バッシングの問題についてはどう見ていらっしゃるでしょうか。

私は、公務員そのものの問題というよりも、むしろ、私も含めて学者や言論人の問題が大きいのではないかと思っています。公務員や公共セクターに対するバッシングの行き過ぎというのは、日本社会として自分たちを傷つけているということにそろそろ向き合わなければいけません。もちろん、公務員の中、あるいは役所の中でも無駄があったり自分たちの私腹を肥やすような動きがこれまであった、あるいは今もあるのだと思いますが、それを針小棒大に伝えたり、「税金で働いているんだからすべて我慢しろ」「お前ら皆自分たちの子分だ」みたいな態度が一般市民全体に広がっていくとすると、それは日本社会全体に対して大きな損失をもたらします。これには、そういう問題ではないということをきちんと伝えていかなければいけません。

この点は、新自由主義がどれだけ今歪んだものになっているかということについて、多くの人が理解する必要があるのと同じです。「お客様は神様」的な態度で公務員をバッシングしていれば何となく皆の溜飲が下がるというのは、やはり大きな問題です。もし民間と比べて公務員の労働条件が部分的に若干いいということがあるのなら、それは民間側がそちらに追いつくべき話であって、公務員の労働条件を下げるということにならないようにしなくてはいけません。ただ、朝日新聞など比較的リベラルと見られる新聞も含め、皆が公務員バッシング、新自由主義、小さな政府路線に80年代半ばあたりから染まってしまっているわけですね。

この点の反省、内省の無さというのは非常に根の深い問題だと思います。もっと自分の頭で考えて、現状もきちんと認識し、言論に関わる人間は取り組むべきだと思うのですが、現状は人気取りに走って、中にはスケープゴートを探すような形で、過剰に公務員バッシングしている面もあると思います。

区役所や公民館が時折難しい判断を迫られて憲法9条に関する活動を止めさせたり、場所を提供しないことが問題になったりしていますが、そういう時も、運動体の人たちは怒鳴り込んだり罵倒したりしないで、味方についてもらえるようにした方がいいと思うのです。やはり同じ人間なので、仮にひとこと言いたいと思っても、相手は人間であるということをきちんと踏まえた上で一緒にがんばろうと声をかけることが大事だと思っています。

――一方で、官僚は政治家の子分になって、何か問題があったらスケープゴートとして差し出されるという構図にもなっています。

新自由主義的な変化というのは、経済面・社会面だけでなく政治的な行政の細部に至るまで入ってきています。これは日本だけの問題ではなく、非常に世界に広範に見られる現在の問題です。こうした状況に対して、「これが問題なんだ」ということをきちんと伝えていくことが必要だと思いますし、これが社会や国民全体にどれだけの損害をもたらしているかということを、もっとアピールしていいのではないかと思います。どうしても、政権中枢の政治家や、政治家にすり寄っていくようなキャリア官僚たちのストーリーばかりが世の中に流れてしまうところがあるので、そういう問題ではないということをどんどん発信していくことは非常に大事だと思いますね。

根強い新自由主義的発想からの公務員バッシング

――大阪では、維新の党が自民を超えて依然票を集めています。橋下大阪市長を筆頭に、まさに公務員バッシングをすることによって票を延ばしてきた人たちが勢力を拡大してきた経緯があり、まさに新自由主義で中間団体を削ろうという動きだと思います。

相変わらず危機的な状況が続いていると思いますね。実際、維新の党は今回の選挙で当初言われていたほど減らなかったわけですし、前回、第3極ということでマスメディアにもてはやされて、過度の注目と期待を集めたということを考えると、本当はもっと萎んでもよかったのかなと思います。その点、いかに新自由主義的なものの見方が広く浸透してしまっているのか、ということを今回もあらためて感じるところです。歴史的な問題における極右は、自民党がそちらにあることもあって目減りしてきていると思いますが、もともとみんなの党にいたような人たちが維新の党に動いて、彼らが未だに結構な支持を得ているのは問題ですね。

民主党も東京においてはそうで、長妻さんは新自由主義だけで片付けていいかどうかわかりませんが、行政の問題点を追及することによって知名度を上げてきた人ですし、長島さんや松原さんみたいな人が復活当選するということで、民主党の中でも新自由主義的な部分が相変わらず根強いところがあると思います。

全体として新自由主義の問題点が、もっともっと広く、常識として理解されていかない限り、こういった傾向というのは変わらないのではないでしょうか。政党の名前が変わったり、若干の分布が変わっても、かなり根強く残ると思います。その背景のひとつには、貧すれば鈍するというか、日本経済が低迷していることがあります。それに少子高齢化が重なって、なかなか経済成長が目覚ましく期待できないという状況がある。そこに国家・公共セクターに対する支出は削減すればするほどいいんだというような空気があって、民間企業において労働条件が悪い人たちが、「税金で食べているお前たちはずるい」ということで公務員バッシングに走っている状況があると思います。そういった発想を転換するような、情報あるいは意見をどんどん出していって、社会の中で理解を深めていく必要があると思います。

リベラルと左派の母数を増やす

――朝日新聞もまだそれに捕われているという話ですが、リベラルと左派をどうつなぐかと考えた時に、民主党をどう変えていくかも考えていかなければいけませんね。

大きな課題としてみれば、いわゆるリベラル左派といわれる人たちの母数をとにかく増やすことだと思うのですね。戦略的投票に過度の期待をしても返ってガッカリするだけだから、ほどほどにしておいた方がいいと先ほど言いましたが、やはりまずは母数を増やすことです。戦略的投票というのは、本来であれば自民党に投票しそうな人や新自由主義的なところに投票しそうな人をこちらに引き戻すという目的もあるはずですが、ともすると、共産党で死票となるものを民主党に回す、維新の党に回すみたいな形になっていき、本来のものとズレてしまうことになり兼ねないと思うのですね。

というのは、仮に民主党が歯止めになることが期待できたとしても、それが共産党や社民党に投票するような人からの支持を固めたことによって議席を増やすのであれば、あまり意味がないわけです。逆に、とりわけ維新ができて以来、自民党と重なる、あるいは自民党よりもっと右の位置に政党が出てくるようになった。そこに行ってしまった人たちを、戻せるのであれば戻す、戻せないのであれば自民党の中でより良識的な人たちで自民党の実態が分かっていない人たちをこちらに持ってくることになります。なので、リベラルの側にしても左派の側にしてみても、自分たちの母数を増やすということが必要です。それをやっていくのが先であって、選挙結果にそれがつながるかというのは、もちろん考えなければいけないことではありますが、何しろ問題点が多い選挙制度なのでなかなか簡単には出来ないと思います。

国民の立ち位置と、政治家の立ち位置に大きなズレ

社会の側で母数を増やす試みを積み重ねていくと、かなり大きく変わってくると思います。考えようによっては共産党に限らず、新たな中道左派政党ができてくるぐらいに、本当は増えてもいいはずですよね。世論調査に出てくるような国民の政策についての立ち位置と、実際の政治家の政策の立ち位置には大きなズレがあるわけですから、それをもっと可視化できるような運動をしたり、あるいは「こういうところに票があるんだぞ」ということを可視化していくことが非常に大事だと思います。それはなかなか気が長い話なので、確かに短期的に安倍政権をどう止めるのかということとどう組み合わせるのかという問題もありますが、ある程度そこは割り切って、短期的にやるべきことと中長期的にやらなければいけないことを分けて考えた方がいいと思いますね。それをおろそかにしていると、いつまで経ってもこの流れは変えられないと思います。

縮小再生産されがちな純化路線の転換を

――具体的には、言論を増やすということと、集会やデモなどの連帯運動をするということですか?

そうですね。あと、そういったもののハードルをより下げていくことだと思います。フルタイムの活動家でないと参加できないイメージが未だに強固なので、実際にはそんなことはないと思いますけれど、やはりより気軽に参加できるイメージに切り替えたい。日本の左派運動は、ともすると、被害当事者や弱い立場の人に近ければ近いほど道徳的にもモラル的にも優越しているような空気が今までありました。それは一方では理解できますが、そういうことをしていると、いわゆる普通の人たちは入りづらくなってしまう。

本当に困った立場にある人たちの声が大切なのはいうまでもないわけですが、それぞれの立場で参加できるような運動体に変えていくことも非常に重要で、むしろそれをやっていかない限り、本当に弱い立場にある人たちを助ける、あるいはそういう人たちが尊重されるような社会はつくれないと思うのですね。その点、左派の運動体には、どこかで縮小再生産されてしまいがちな、あるいは分裂されてしまいがちな、より純粋なものを求めていってしまうようなところがある。

極端なことをいうと、たとえば野宿者支援の運動にどんどんコミットしていき本人も野宿者になってしまった、くらいの方がより純粋で、より非難されにくいというような、ある種の雰囲気が醸し出される時がないわけではないと思うんですよね。そうではなくて、別に衣食住に困っていない人でもその人なりに参加できるような形にして、より運動を広げて母数を大きくすることに意を注いだ方が、より生産的なのではないか。つまり純化路線の競争みたいなものにならないように、労働運動も他の運動も注意をしていく必要があると思うのです。

そのために、私は正直、黙る時は黙るというのも大事だと思っています。活発な議論も大事ですが、今のような複雑な社会では私たち自身が非常に多岐に渡る社会的な役割や存在を持っています。その中では、誰かが正解を持っているということはほぼありません。分からないことがあり、他の人が何かをやって違和感を持っていても、黙っていればいいのかなと思う時が正直あるんですね。特に権力側や右派の側に抗議するデモを行っている時に感じます。

いくら叫んでも相手は出てこないじゃないですか。原発を止めようと思っていたり、特定秘密保護法を止めさせようとしていても、いくらこちら側でがんばっていても向こうが出てきて反論することはないですよね。そうするとどうしても隣にいる人間と喧嘩を始めてしまう。そちらは答えが返ってくるので。そういうことはもうやめた方がいいんじゃないか。それだったら日を置いて頭を冷ましてまた戻ってくればいいのです。

それよりも、いつまでもたたかい続けること、あるいはたたかいを広げることの方が大事であって、向こうからの反応がないからといって内ゲバ的なところに行くのはやめた方がいい。違和感がある時には、黙っているくらいの方がいい場合もあるのです。もちろん、あまりに目に余ったら何か言う時はあると思いますが、その辺に関しては慎重になった方がいいと思います。

一部の若者の積極的無関心、防衛メカニズム

――若い人たちの社会運動が新しい局面に入ったと思います。社会運動をしようと立ち上がっている若者が目立つ一方で、そうでもない、自民党に投票する若い人たちもたくさんいます。中野先生の実感として、日々学生と接していて、また社会全体として若い人たちの状況をどう見ていらっしゃいますか?

それは非常に大事な論点ですが、総論を語るのは非常に難しいと思います。当たり前のことですが、どの世代でもいろんな人がいるので、全体としてこういうもんだということを言ってしまった瞬間に何かの間違いが起きると思うんですね。ただ、世代に限らず、日本の教育現場では政治に関わらないノンポリであることをよしとして、権力に追従することがずっと推奨されてきました。その中で、自分の問題意識を持って発言をしたり、自分の頭で考えようとしたり、政治的な主体であろうとしたりすること自体がそもそもが困難だと思うんですね。そういう意味では、今の世代の子たちは、私の世代の時にはそういったことがなかったにも関わらずできてきているというのは、率直にすごいなと思います。よく勉強していると思うし、いろんなことを考えているなと思って、非常になるほどと思わされることがあります。そういうことができているだけでこちらも勇気づけられますね。

その一方で、自分自身が学生に触れている中で思うことの一つは、無関心が非常に強いということです。これは社会階層によっても影響されると思いますが、何となく無関心な場合もあれば、敢えて知りたくないような、積極的な無関心もあるような気がするんです。

というのは、これだけ社会問題や労働問題などが待ち構えている中で成人になっていくというのは、あまり面白いことではないわけですよね。そうすると、世の中の問題点を仮に私が授業で触れても、あんまり聞きたくないんだろうなと感じることがあるんです。いずれ問題に直面して嫌な思いをするかもしれないけれど、だからといって根本的な解決策や回避策があるわけじゃないなら、嫌なことは言わないでくれというのに近いような、ある意味逃避的な感じで、人間の心理としては分からないでもない。

それくらい厳しい状況が、世代間の不公平ということも含めてあると思う。それで一部の若者の間では積極的に無関心になっている人もいるということです。それはある種、自分の防衛メカニズムだとは思うのですが、その現実もわきまえなくてはいけないのかなと感じるところはありますね。

また、私たちは「失われた10年」とか「ロストジェネレーション」と言って、今の若い人たちに「失われて可哀想」というイメージを持ちますが、これも考えてみれば当たり前ですけれど、彼らはその前の時代を生きたことがないわけですから、必ずしも私たちほど喪失感を持ってはいないんですよね。

バブル世代であれば、それこそ安倍さんじゃないですけど、バブル時代と比べて何がダメになったと喪失感を持つことがあるかもしれませんが、その後に生まれてきた人たちからすると、そこまで何か失われた感じはしない。それは良くも悪くもですが、そういう意味でも世代間の認識の差はあるのかなと思います。それが会話を難しくしている部分もあると思います。

とはいえ、状況が厳しいのは就職活動をはじめ特に感じるところはあると思うので、やはり現状批判だけでなく、ポジティブなメッセージが大切だと思います。こういう良い世の中にしようよということを具体的に語っていくことが必要です。それをしない限り、いい大人がいつまでたっても批判や反対をしているだけだと見られてしまう危険性は拭えない。より良い社会のあり方を本当は模索しているのにその部分が伝わらず、単に何でもごねてるというふうに見えてしまうというところはあると思いますね。

――投票率が上がればいいという問題ではないということですよね。

そうですね。もちろん、権利を行使するということを若いうちに覚える必要はありますから、若い人たちの投票率は上がるに越したことはないわけですけれど、それが必ずしも左派リベラル層にいくということにはならないと思います。その辺は様々な運動体や動きが、よりアプローチしていかなければいけない点があると思いますね。そこで下手をすると、右翼側の方が、漫画から何からアピール力を持っているところがあると思いますから注意する必要がありますね。

2016年7月の衆参同時選挙というシナリオ

――ポリタスのサイトの中で、立命館大学教授の松尾匡さんが、なぜ安倍政権が今回選挙をやったかということを分析していて、それによると、2016年7月の参院選を衆参同時選挙にして、オリンピックも含めそこに経済のマックスを持ってくるように設定して、自民党単独3分の2を取るための計算された戦略だとしています。そうだとすると、もう1年半くらいしかありません。長期的な解決についてはお聞きしましたが、短期的な戦略も必要ではないでしょうか?

1点目としては、そうしたシナリオは実際にあると思います。小泉政権で内閣総理大臣秘書官を務めた飯島勲さんが安倍さんを説得するに際して、今選挙をすれば2020年の東京オリンピックまでいけるということで、超長期政権にできるんだと説得したと聞きました。そういったシナリオが一部で言われていたことは恐らく事実だと思います。

DV男のような安倍政権

もう一つは、2016年の夏に再び衆議院の解散総選挙を覚悟しておかなければいけないというのも、その通りだと思います。今の安倍政権は物事を民主的に決めようという気持ちがまったくないので、私はある意味ドメスティックバイオレンスみたいなものだと感じているんです。「この道しかない」というスローガンもまさしくそうですよね。「お前には俺しかいないだろ」などというDV男とどこが違うんだ?と思います。そういった形で奇襲をかけてくるということを考えると、またやってくるんだと思うんですね。

無力感を私たち国民に植えつけ
国民が政治的主体という根本を崩す

法案の通し方にしても特定秘密保護法にしてもそうです。今後の集団的自衛権に関わる安全保障の法制化にしてもそうだと思います。まともに議論するつもりはなく、むしろわざと私たちを無力に感じさせるような強行採決をやってくる。それも、やむを得ずやるんじゃなくて、力を誇示するために、わざとやると思うのです。そこで安倍政権が意図しているものは、自分たちは無力であって何をやっても変わらないと国民に思わせることです。私たち国民が政治的な主体であるということを根本から崩すことです。

今回の総選挙ではある程度それが奏功したから、投票率がさらに下がったということがあるわけですね。憲法改正を将来進めようと考えると、投票率が下がるのはまさに願っているところなわけです。最初はある程度多くの人に受け入れられそうなところから入って、回数を重ねるごとに本丸に近づいていく。そうすると投票に飽きが出てきたり、何をやっても同じだという感じになってくる。それで投票率が下がった方が9条の改正などはやりやすくなるわけですから、そういったことも考えると、それくらいシニカルなアプローチで選挙というものを考えていると思っておいた方がいいと思います。

とはいえ、そんな作戦通りにいくのか?ということは当然あるわけですね。そういうことをさせない手はあると思います。どうしても選挙になってしまうと、今回がそうであったように、「この道しかない」などと政権与党が言って、マスメディアをこれだけ大きくコントロールしてくる。それで野党側は統一的な経済政策を持っていない、代案を持っていないという状況になってくると、与党側主導で選挙が行われてしまうのは間違いありません。だから、2016年の参議院選挙のタイミングでダブル選挙を持って来ようとするだろうという前提で、安倍政権をつぶす取り組みを一刻も早くやっておくことが大事だと思います。その段階ですでにこのシナリオは狂い出すわけですね。

ここから1年の間に安倍政権を追い込むということは、私は可能だと思います。実際、今回もそれに近くなってきていたから解散総選挙をやった側面もあるので、シナリオで描いている通りにいったというよりは、追い込まれていく中でやらざるを得なかった面もあったわけですから、そうやって追い込めば、2016年の夏よりももっと前に総選挙をやるという状況になるかもしれません。

安倍さんは体力的にも精神的にもそんなに強い人ではないですから、経済が厳しい状況が続き、世論の様々な批判も出てくるということになってくれば、なかなか今のような強気のままではいられなくなってくると思います。ですので、きちんと批判をして追い込むことです。それで選挙になると、代案があるのかとか、どうやって代わる政権をつくるのか、みたいなことが出てくるわけですが、選挙になる前であれば単につぶせばいいわけですから、つぶした上で谷垣さんでも誰でもいいからやらせておけばいいのです。それによって何かが目覚ましく変わるわけではないけれど、時間稼ぎにはなります。

ですので、安倍政権をつぶすということをきちんと考えて、暴走したら国民が許さないんだということをきちんと見せる必要がある。向こうが無力感を感じさせようとやってきているように、こちらも力には力で、そんなことをしたら主権者である国民は許さないんだということを明示的に出すことが、彼らに教訓を与えることにもなると思います。そこはきちんとやっていかなければいけないですね。

――きょうは長時間にわたってありがとうございました

2014月12月19日、中野晃一上智大学教授談

▼インタビューの一部を視聴できます。

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学教職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員(教宣部長)、労働運動総合研究所(労働総研)理事、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者、日本機関紙協会常任理事(SNS担当)、「わたしの仕事8時間プロジェクト」(雇用共同アクションのSNSプロジェクト)メンバー。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)があります。

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