裏口入学で憲法を殺す安倍政権の「戦争法案」 – トリックとしての公明党ブレーキ役|中野晃一上智大学教授

  • 2015/8/14
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安倍政権の少数派支配 – 多数決さえなく少数決となる小選挙区制は民主主義とは別物|中野晃一上智大学教授」に続く、私が企画・編集した中野晃一上智大学教授へのインタビューの一部を紹介します。(※インタビュー収録は2014月12月19日で、『国公労調査時報』2015年2月号に掲載したものです)

――選挙後の動きですが、安倍首相は集団的自衛権の行使容認も今回の選挙で信任されたと発言していますね。

集団的自衛権の行使容認も選挙で信任された?

集団的自衛権に関しては、2012年の総選挙の時にも自民党のマニフェストに書いてありました。ただそれによって議論がなされたかというと、なされていない。改憲についても、随分前から書いてはあるけれど実際にそれが争点化されることはなかったし、その後実施されることもなかった。ですので、どこかに書いてあれば国民の信任を得たと言えるのなら、今回自民党は負けるわけはないと分かっていたわけですから、この際何でも入れてしまえばその後に信任されましたと言える理屈になってしまう。それは本当に乱暴なやり方だと思います。

ましてや、ご都合主義的に、TPPに関して2012年の選挙時には交渉に参加しないという基本方針があったにも関わらず、それを破った。特定秘密保護法に関しても、一切の記載がなかったのに強行するということがその後あったわけです。

今回の選挙でも、菅官房長官が記者会見で特定秘密保護法や集団的自衛権は選挙の争点にならないと言っていたのに、終わった後に信任を得たのでやりますということになると、有権者を騙したことになりますし、選挙や議院内閣制のあり方をも軽く見ていると言わざるを得ません。ある種、ゲームのような感覚で、政治に臨むにあたって求められる謙虚さや厳粛さが安倍政権には完全に欠如している感じがします。

今回もそうした姿勢が引き継がれて、2014年7月1日の集団的自衛権行使容認の閣議決定を受けて、さらに今度は法制化を進めようとしています。

自民党の今回の選挙公約に「集団的自衛権」の言葉はなかった

しかも今回は、自民党の選挙公約に集団的自衛権という言葉がなく、「切れ目のない安全保障」というような、よく分からないことばかりが書いてありました。

明らかな争点隠しを行ったのに、信任を得たから集団的自衛権行使の法制化を進めるというのは、国民を騙し討ちにするものです。国民を騙してでも既成事実化させ、後戻りできない形にして政策を推進するという政治手法は、安倍政権に一貫しているものです。私たち国民は力をあわせて、安倍政権の暴走をストップさせる必要があります。

集団的自衛権の行使容認は立憲主義、憲法を殺すもの

――そもそも集団的自衛権の行使容認には、どんな問題点があるのでしょうか。

一つには進め方の問題があります。本来であれば、明文的に憲法を改正しない限り、そもそも行使容認などできるわけがないのですが、それを突然この内閣になって解釈改憲ができるという方針に変えたこと自体、おかしいわけです。それは立憲主義という観点からみても、国家権力を縛るためにある憲法というものを国家権力の側が好き勝手に解釈を変え、これまで黒だったものを急に白と言えるようになるのであれば、それはもう憲法の働きを殺すものです。そのこと自体がそもそも安全保障の議論に入る前の問題としてあります。

何重もの裏口から入る姑息な手口

さらに進め方に関していうと、安倍さんの記者会見などがはっきりしているのですが、実際にはあり得ない事例や該当しない事例を紙芝居みたいな形で持ってきて、おじいさんやおばあさん、お孫さんが危険だというような感じで情緒に訴える。ある種の印象操作をして、行使容認の入り口にさえ入れれば、その後はどうにかできるだろうというような感じです。非常に姑息なやり方をしていると思いますね。解釈改憲で済まそうというやり方自体が裏口入学なわけですが、それをやるに際しても正面からこういうのが必要だからという議論を避け、実際にはあり得ない事例や該当しない事例を、さも国民の安全や生命に直結するかのようなイメージを作り上げてやる。本来、自国が攻撃されていないのに他国間の戦争に入って行く集団的自衛権というのは、自国民の安全を担保するためという議論とはつながらないところがあるわけですが、それを印象によってさも直結しているかのようにやろうとした。安倍政権は何重もの裏口から入る姑息な手口を使っているわけです。

閣議決定に至る過程も同様でした。実際の与党協議が行われる前は、安保法制懇という私的な懇談会の段階だからといって説明を避け、次は与党協議をやっているところだからといって議論を避け、終わったら繰り返し説明した通りだからと言ってそれで終わりにしてしまう。そうこうしている間に安倍首相は勝手に海外に出かけて行って、「これから集団的自衛権を行使します」とあちこちに約束して回ってくる。国民と向き合って議論するという正々堂々としたやり方で進めるならともかく、何重の意味でも裏口から入っていこうということでやってきています。それだけ後ろめたいところがあるともいえるでしょう。今は、国家が転覆されるような事態でのみ集団的自衛権の行使を発動するかのような雰囲気を公明党と一緒に醸し出そうとしていますが、こういう手口を見ると、これもまた一つのトリックだと思います。いざとなれば強行して、既成事実をつくればいいと考えているのは明らかだと思います。

トリックとしての公明党の「ブレーキ役」

――公明党はブレーキ役だと言っていますが、これも一つのトリックということでしょうか?

そうですね。ハリウッドの映画でよくあるような、グッドコップ・バッドコップ(良い警官と悪い警官)と言われるような印象操作です。与党協議などもそのようにやってきているわけです。一方でアドバルーンを上げ、ここまでやると打ち上げておいたところに、ブレーキ役の公明党が登場して、いやいやそこまでやらないから抑制的でしょうということで少しずつ間口を広げていく。そうしたことを狙っていると思うのです。

今回の閣議決定では、とにかく集団的自衛権の行使は原則として認められる。しかもそれを決めるのを内閣に移すということが主眼だったわけですね。それは、これまで憲法9条を普通に読めば、中曽根さんであろうと小泉さんであろうとできないと言っていたことです。それを、集団的自衛権に該当するかどうか、また集団的自衛権を行使できるかどうかを決める場所を内閣に移すことに成功してしまえば、その後はいくらでも運用できるようになります。しかも、それが特定秘密保護法やNSC(国家安全保障会議)で極一部の人たちしか情報を持たない中で、ましてや安全保障に関わることで国の存亡にもし関わるようなことであれば、私たち一般国民からまさに隠すという特定秘密に該当する可能性は高い。ですので、およそ国民のチェックを受けることなく、「あなたたちが知らない事情があってこれは日本の存亡の危機に関わるから、中東の遠いところで日本がアメリカの戦争に関わっていきます」ということが、すでにできるということを分かってやっているわけです。それを現段階ではそこまで正直に言わないで、さも北朝鮮や中国関連の周辺事態で何かが起きた場合に必要だから、という印象をつくっている。公明党もある程度確信犯的にやっていると思いますが、極めて国民を欺くようなやり方をしていると思いますね。

憲法を空洞化する裏口からの解釈改憲を追認させる明文改憲

――裏口からの解釈改憲と、安倍首相が明言している明文改憲との関係はどう考えればいいのでしょうか。

これはブラック企業と労働法制改悪についてのやり方と似ていると思います。要は、既存の労働法規に違反するような慣行を蔓延化させておいて、法律が実態に合っていないから変えなきゃいけないという論法をこれまで再三繰り返してきているわけですよね。それを相変わらずやろうとしている。同じやり方だと思います。まず憲法というものを空洞化させておいて、ほらみなさい、実態に合っていないからこんな憲法は無駄ですよね、と言って、破った側が違反している状態に合わせて法律や憲法を変えていく。あってはならない現状をつくり出してから、それを追認させるような法律あるいは憲法の改正を求める。そうしたやり口は、いろいろな分野で常套手段になっているところがあります。

新自由主義改革の埋め合わせとしてのナショナリズム、歴史修正主義

――政治状況が右に寄っているという話がありました。「慰安婦」の問題もそうですが、反動的な政治が強まっていく背景にはどういうことがあるのでしょうか?

特に「慰安婦」の問題や歴史修正主義の問題、靖国参拝もそうですが、そういう傾向が目に付くようになってくるのは1990年代の後半からだと思います。それまでは日本なりに歴史と向き合ったり、中国や韓国など隣国との関係を改善していこうと努力してきた流れが80年代から少しずつありました。たとえば、河野談話とか、細川さんが総理大臣として初めて侵略戦争であったと明言したとか、その後の村山談話、また「慰安婦」の問題を中学・高校の歴史教科書で記述するなどといった流れがありました。しかし、それに対するバックラッシュが97年くらいから、とりわけ安倍さんや故・中川昭一さんが急先鋒を務める形で始まっていった。そして小泉政権でさらに強くなっていくわけですが、それにはいくつかの理由があると思います。

一つは、新自由主義という名の下に、実際にはグローバル企業、大企業の支配が進められる形になったことです。当初はまだ、規制緩和でもある程度自由なマーケットをつくろうとか、消費者の選択を増やすということに対しての思いがあったと思いますが、90年代後半からむしろ政商ベースというか、民営化や規制緩和をすることによって儲かる業界の人たちが審議会の中に入ってきた。その一番グロテスクな例が派遣会社の会長である竹中平蔵さんですが、彼らによって派遣労働の増大や雇用の非正規化を進めるという極めて癒着した状況になっていったと思います。自由なマーケットならともかく、およそそういったものではなく、改革の名の下に、企業側が規制緩和、新自由主義改革によって寡占市場をつくるということを進めていくわけです。しかし彼らが既得権益と呼んで改革の対象にするものは、私たちの生活を保障したり雇用条件を守るためのものです。それを壊すということは、いわば国民国家が国民に対して、ある程度の生活や権利の質を保障しなくなってきているということです。その時にその埋め合わせという形で、いわゆるナショナリズムや歴史修正主義というものが出てくるということです。

イギリスでの新自由主義改革もフォークランド戦争が利用された

これは日本に限った話ではありません。アメリカやイギリスなどでもあり、一番よく知られている例はサッチャーさんの最初の新自由主義改革で、これはフォークランド戦争によるナショナリズムの高揚がなければ実際にはできなかったといわれています。普通の国民にとってみれば公共サービスがカットされるなど失うものの方が大きいわけなので、それから目をそらさせるために敵国あるいは仮想敵を外に求め、日本の場合でいえば日の丸で身をくるむということが行われていると思うのですね。ですので小泉政権以降そうした言説や政治家の振る舞いがどんどん目立ってくるというのは、新自由主義改革で失っていくものを埋め合わせるという側面が強くなっているのだと思います。

安倍首相の周回遅れの危険な発想

――歴史修正主義は、アメリカにとっても戦後秩序を壊すものだと危惧されています。そうした国際的な状況とも矛盾があると思うのですが?

ありますね。そこは多分、安倍さんが読み誤っている可能性があります。というのは、全体として安倍さんという人は、「日本を、取り戻す」という発想もそうですが、被害者意識が非常に強いのと、何かを取り戻さなくてはいけないという強迫観念みたいなものがある。彼にとっては、第1次政権の失敗が直近の失敗体験、被害体験です。そう考えると、集団的自衛権もそういう面がある。しかし今のアメリカの意図、願いとして、日本に集団的自衛権をやってほしいというのはもはやプライオリティの上の方ではありません。むしろTPPを飲ませるといったことの方が重要であって、中国との関係をいたずらに挑発する可能性があるような集団的自衛権ではない。集団的自衛権を一生懸命やれと言っていたのは、安倍さんが前に政権に就いていた小泉さん直後の時です。ジョージ・W・ブッシュがまだ大統領で、中東全体を民主化するんだという妄想の元に、いわゆるネオコンの全盛期だった頃ですね。イラクやアフガンで戦争をやっている状況の中で集団的自衛権を行使してほしいということはありましたが、日本は小泉さんでさえできなかった。安倍さんはそれをその時やりたかった。その積み残しを今になって、周回遅れなわけですけれど、前回できなかった悲願として安保法制懇をほぼそのままの形で持ってきたということだと思うのです。そういう意味では安倍さんは思慮深いとはいえません。以前は小泉さんに一番近づき、実際に政権を継承しましたが、あの時はジョージ・W・ブッシュが大統領で、小泉さんが毎年靖国に参拝をして、日中・日韓の関係が完全に壊れても日米関係さえ良ければあとは何でも付いてくると小泉さんがうそぶいていた時代でした。ネオコンの全盛期で、彼らが「健全なナショナリズム」と呼ぶものが高められることによって日本がアメリカの指揮下でより多くの軍事的貢献をできるようになるのであれば、それは目をつぶろうということでやってきたわけですね。その周回遅れの発想のまま安倍さんは来ているんだと思います。

安全保障環境の変化に気づいていない安倍政権

しかし世の中は動いています。集団的自衛権について安倍さんは「安全保障環境が変化した」と言っていますが、当時の安全保障環境が変化した中身と、今の安全保障環境が変化した中身は違う。それなのに、同じお題目を唱えていればいいと思ってしまっている。アメリカには、ブッシュのイケイケでやっていたものがアメリカの大国としての地位に揺らぎをもたらしたという反省があります。実際、オバマさんは民主党の大統領であって共和党タカ派のブッシュさんとは違う。そしてそうこうしている間に、中国は日本を超え、アメリカに迫る経済大国になっているわけで、世界の状況は随分変わってきているわけです。小泉さんと安倍さんの第1次政権の時は、まだ健全なナショナリズムという名の下に看過する気分がアメリカの政権側にありました。でも今はもはやない。それに気づいていないというのは、外務省も含めていわゆる外交安保の専門家たちの能力が落ちている、あるいは政権に媚びる、あるいは意向を忖度するような人しか上に行けないシステムになっているとも言えるかもしれません。まともな助言をする人間であれば、あの時と今では違うんですよ、ということをひとこと言ってあげるべきです。しかし安倍さんはそのことに気がつかないで、まだアメリカにTPPを差し上げるとか、集団的自衛権を差し上げるというようなことをやり、趣味として自分の歴史観に見合った歴史の書き換えを進めています。それでもアメリカは目をつぶってくれるんじゃないかと思っているのかもしれませんね。

小選挙区制と官邸への権力集中が右傾化を加速

――安倍政権の閣僚はほとんどが日本会議のメンバーで占められているような状況です。

そうですね。そうした状況の広がりには、党内あるいは制度的な部分でみると、2つの大きな制度改革が背景にあると思います。それによって自民党は混迷し、派閥間の対立がなくなったのだと思います。またそれが過去20年の間に少しずつ進められてきた、いわゆる改革路線の結末だともいえるでしょう。

その一つは、選挙制度の改革で小選挙区制を導入したことです。それによって、幹事長と党総裁への権力集中およびお金の集中がうまれ、そこに歯向かいにくくなりました。

もう一つは、橋本内閣の中央省庁再編が最も象徴しているように、行政府の中でもとりわけ官邸への権力集中が行われたことです。その結果、派閥の多様性が90年代後半を最後になくなっていきました。派閥は一応形の上では残っていますし、まったくなくなったわけではありませんが、もはや派閥というよりはイデオロギー集団、しかも極右のイデオロギー集団である日本会議に代表されるようなものだけが、主立った組織として新たな主流派となり、自民党を牛耳る結果になっている。中川昭一さんが亡くなったこともあって今は安倍さんが旗頭になっている状況ですが、そういった変化が90年代後半までに出来上がり、90年代終わりには経世会も最後の時を迎えました。象徴的に出てくるのは、小渕さんが総裁選に出た時に梶山さんも出て、鉄の結束を誇っていた経世会の中で、そういったことが起きたということです。結果、日歯連の事件やその他の腐敗事件もあって、経世会は最後を迎え、それと同じようなタイミングで、森政権の時に加藤の乱が起き、宏池会も失墜していった。内部分裂もし、失墜していく中で、2000年代に入ってからの小泉さんが派閥ナンバー2を登用するという、極めてマキャベリ的な手法を用いたわけです。小泉さんが「派閥を潰す」「自民党をぶっ壊す」と言った中身は、派閥の領主をすっ飛ばして、相談せずにナンバー2を自分が一本釣りしていくことで派閥をガタガタにするということです。それによって、麻生太郎や自分の派閥からも安倍晋三、中川昭一、平沼赳夫、谷垣禎一というかなり右翼色の強い人たちが、ひと世代すっ飛ばして登用されました。そうしたことによって、政権の右傾化が加速したのだと思います。

2014月12月19日、中野晃一上智大学教授談

▼インタビューの一部を視聴できます。

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員、労働運動総合研究所(労働総研)労働者状態分析部会部員、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)がある。ここでは、行財政のあり方の問題や、労働組合運動についての発信とともに、雑誌編集者としてインタビューしている、さまざまな分野の研究者等の言説なども紹介します。

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