保育士は官製ワーキングプア、公的サービスを提供する労働者が劣悪な労働条件で働かされるということは住民サービスが削られているのと同じ|竹信三恵子和光大学教授

ツイッターでも #保育士辞めたの私だ #図書館やめたの私だ など「官製ワーキングプア」問題がクローズアップされています。2013年に私がインタビューしたものですが紹介しておきます。

官製ワーキングプアなくし
誰もが幸せに働ける社会へ
竹信三恵子和光大学教授インタビュー

官製ワーキングプア問題を朝日新聞の記者時代から取材され、現在は、官製ワーキングプア研究会の理事をされている和光大学教授の竹信三恵子さんにお話をうかがいました。(聞き手=井上伸)

官製ワーキングプアに関心を持ったきっかけ

――官製ワーキングプアの問題に関心を持つきっかけは何だったのでしょうか?

私は3歳のときに父を結核で失ったため、母がシングルマザーとして兄と姉、私の3人の子どもを1人で働きながら育てました。そして、私自身が公立保育園でお世話になったり、奨学金や授業料免除などの公的サービスのおかげで、なんとか大学を出て新聞記者になることができましたので、働き方の問題と同時に公務サービスについても関心を抱いてきました。

朝日新聞の記者をしていた2003年に、東京都内の公立図書館で働く非常勤職員の女性から私に連絡がありました。その女性によると、低賃金で細切れの非常勤だったところへ、今度は委託で区役所との直接雇用の関係も切れ、間に入る業者にピンハネされ賃金がさらに低くなるとのことでした。

調べていくと、公立図書館だけでなく、公立保育園や国立病院、国立大学などさまざまな公的機関で年収200万円以下の劣悪な処遇に置かれている非正規労働者がたくさんいることがわかりました。

公的機関のいちばん住民に接するところで働いている人たちが、短期契約や委託など不安定で劣悪な労働条件に置かれていることは、住民に対する公的サービスも劣化していくことにもつながると思ったので、私は記事に書いたのです(▼図1「朝日新聞」2003年4月15日付「法の谷間に置き去り 均等遠い公務員パート」)。

――そのときの記事で、官製ワーキングプア問題が反響を呼んだのでしょうか?

当時、「官製ワーキングプア」という言葉はまだ使っていませんでした。ちょうど小泉構造改革が進められているときで、「行政はなるべく安上がりにすることが国民にメリットがある」という主張が幅を効かせていました。公務員バッシングをして非正規にしていけばみんなが得をするかのように言われていたこともあって、この記事に対しても読者から「安くて何が悪いんだ」「こんな記事を書く記者は問題だ」などと記事をバッシングする投書が届きました。新聞というのは読者の反応がいいと、もっとそのテーマで書いていこうとなりますし、逆に反応が良くないとそのテーマはやめておこうとなりがちです。ですので、この問題をすぐにまた記事にしていこうとはなりませんでした。

行政の現場で劣悪な労働条件の非正規労働者を増やしていくことは、住民サービスが削られていくことです。一見すると公務員の賃金が下がるからうれしいと思わされてしまうのですが、実は、住民にいちばん近いところで公的サービスを提供する人たちが劣悪な労働条件で働かされるということは、住民サービスが削られているのと同じです。でも、そういう理屈だけでは住民になかなかわかってもらうことができなかったのです。

「安上がりな行政でいい」という視点を逆転させた

そうした状況が続いていたのですが、2006年7月にNHKスペシャル「ワーキングプア~働いても働いても豊かになれない」が放送されます。つづけて、06年12月に「ワーキングプアⅡ~努力すれば抜け出せますか」、07年12月に「ワーキングプアⅢ~解決への道」と放送され、ドキュメンタリー番組としては異例の大ヒットとなります。それまでは「貧困になるのは努力しないからだ」「貧困は自己責任だ」という考え方が日本社会に支配的だったのが、働いても働いても貧困になるワーキングプアというのは、どうも社会のしくみがおかしいのではないかと多くの人がわかり始めたわけですね。

それで、非正規の公務員が受けている劣悪な処遇というのは、国と自治体がワーキングプアをつくっていることになる大きな問題ではないかと思ったのです。

当時、失業率がだんだん上がってきた時期で、景気は良くなっているのに失業は高水準で非正規労働者ばかりが増えてくるという状況で、行政も失業問題をどう解決するかということを大きなテーマに扱っていました。その行政が半失業のような働かせ方をどんどん増やしていくのは大きな矛盾で、その状態をうまく表現するために「官製ワーキングプア」という用語を使えばいいんだと思って、2007年9月に「官製ワーキングプア」を見出しに打ちました(▼図2「朝日新聞」2007年9月19日付「非正規公務員、法の谷間 フルで働いて年収140万円 パート法適用外・雇用保障なし」)。マスコミの中で「官製ワーキングプア」という言葉を大きく扱ったのは、おそらくこれが初めてだと思います。

この記事にはかなりいい反応がありました。これまでは安上がりな非正規の公務員を使って自分たちの税金を節約できるからいいと思っていたけれど、行政がワーキングプアをつくっていいはずはないというように論理を逆転できたというか、読者の視点そのものを逆転させることが「官製ワーキングプア」という言葉でうまくできるようになったのです。安上がりな行政でいいという視点から、行政がワーキングプアをつくるのは問題ではないかという視点に変わった瞬間だったのです。

公務がボランティア労働で回る?

――官製ワーキングプアの問題を、当時の小泉政権はどう考えていたのでしょうか?

愛知県の高浜市が委託を大幅に増やして多額の人件費を節約できたということを、当時の小泉首相が施政方針演説ですばらしい事例だと推奨していました。これがきっかけで「高浜モデル」として広がりました。自治体の仕事は民ができることは民にどんどん委託すれば税金を節約できるということですが、賃金依存度が高い日本でそんなに安い委託の賃金でどうやって食べていっているのか? 低賃金で地域の消費は細って経済も衰退してしまいかねないのに、どうやってカバーしているのか? など疑問点も多く、何か秘策があるのだろうかと思って訪ねて行ったのです。すると自治体が委託会社を自分たちで100%出資で作っていて、事務や窓口業務のかなりの部分をそこに委託していました。そして、そこで働いているのは地元の既婚女性たちでした。

担当課長に「こんなにたくさんの業務を委託して、しかも安い賃金で大丈夫なんですか?」と聞くと、「大丈夫ですよ。だってみんな夫がいる女性たちなので生活に困らないんですよね」との答えでした。夫がいて生活できるので、空いた時間を使って行政のためにボランティア労働を提供しているという構図だったのです。

当時はもう製造業は海外に出て行っていた時期です。製造業は男性の牙城といえる分野ですから、製造業の空洞化で、すべての男性が家族賃金をもらえるような状態ではなくなっていました。それなのに妻がボランティア活動で暮らして行けるのか? というのが私は疑問だったので聞くと、その課長さんは「この地域はトヨタ自動車の子会社・関連会社がたくさんあるので、いまトヨタは絶好調ですから家族賃金がちゃんと入ってくるので女性はボランティアで大丈夫です」と楽しげに話していました。

これは新しいモデルでも何でもなくて、高度経済成長期の男性がすべての家族を養う家族賃金をもらうことになっていた昔の時代のあり方と同じであって、近未来のあり方とか、新しい日本のモデルにはなりえません。ですから小泉首相がこういうものを推奨モデルにするというのは一種の詐欺だと思いました。

低賃金で雇い止めされる官製ワーキングプア

――官製ワーキングプアの問題は、低賃金とともに3年や5年で雇い止めされるという問題もあります。

そうですね。たとえば、東京都の杉並区のパートの保育士さんで、保育士補助で雇われて働きはじめた女性が、3年間働いて、かなり仕事に習熟して子どもたちにもなつかれ上手く行くようになり、これからだと思ったのに雇い止めされるという事例がありました。この女性は「これは変だ」と思ったのです。なぜなら、これまで技能を蓄積してきて、これからもっとその技能を生かして住民サービスを提供できるというのに、雇い止めされてまた技能の蓄積のない新しい人に替わってしまうということは住民のサービスの点から見ても良くないわけです。それで女性は行政側にそのことを指摘したら、人事関係の課長さんが「あなたのわがままだ」「あなたがやめてくれないと、他の人がその仕事につけない。これはワークシェアリングなんだよ」「ワークシェアリングにあなたは反対するの?」と言われたのです。しかし、ワークシェアリングというのは仕事を分けて失業を減らすためにあるのに、この女性の場合はそこで雇い止めされて失業してしまう。これは「ワークのシェア」ではなくて、「失業のシェア」です。失業がローテーションで回ってくるだけで、ワークシェアリングでもなんでもありません。

しかも、この問題は、住民サービスのメリットから言ってもおかしな話です。その課長さんに「これはワークシェアリングではない」と言うと、「そんなこと言うなら、これからは委託にする」と言い出しました。結局、直接雇用していると労使交渉が面倒だから雇用責任を逃れるために委託にしようということで委託を推奨してるということですよね。

また、中野区のパート保育士の雇い止めのケースでは、何年も契約を更新して働いてきていたのに指定管理者制度に変わることで簡単に雇い止めされるのはおかしいということで訴訟を起こしました。裁判官が判決で、民間のパートの場合には何年も更新してきた場合には、これからも雇ってくれるだろうという期待権が発生する可能性があり、いきなり解雇するのは問題だとしました。そして、このケースはそれに匹敵するとしてかなり厳しい判決を出して損害賠償の支払いを命じたわけですが、復職などはだめだったのです。なぜかというと、民間の雇用なら復職の可能性があるかもしれないけれど、公務は任用と言って行政サービスの職務につかせて用いているのです。ですから、雇用契約の民間とは違うから解雇は認めると言っています。ただ判決では、民間と実質は変わらないのに、安易な解雇ができない民間の雇用契約より非常勤公務員が不利になるのは不合理として、実情に即した法の整備も促しているわけです。もともと民間でも公務でも仕事が長期にあるものに対して、意図的にブツ切りして短期雇用にするのは、国際的な原則である長期雇用の保障に対する脱法行為だと思います。

――国の機関で働く非常勤職員の例では国立情報学研究所の雇い止め裁判がありました。

国立情報学研究所(現在は大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構)で非常勤職員として13年11カ月も働いてきた女性が、2003年3月末、突然雇い止めされたケースですね。女性は雇い止めは不当だと裁判でたたかい、2006年3月の東京地裁判決では「道具を取り替えるのとはわけが違う」「(雇い止めは)著しく正義に反し、社会通念上是認し得ない」として、合理的な理由もなく更新しない場合は、判例で確立している「解雇権の乱用禁止」が公務職場で働く非常勤職員にも適用されるという初めての画期的な判断を示しました。

一転して、2006年12月の東京高裁判決は、「公務員である以上、任用するかしないかは、自由である」との形式的な理由だけで、原告敗訴の不当判決を下してしまって、その後、上告を最高裁が棄却したというものでした。

14年近くの長期に渡った仕事を短期雇用にするというは実質で見たら脱法行為だと思います。長期にある仕事に短期雇用をあてていくというのは、行政サービスの提供という面から見ても公務としての技能の蓄積や納税者に対する責任をきちんと果たせないという問題でもあります。財政難だからという理由で、いちばん切りやすいところから切っていくのではなく、国民に向かって、これだけ必要だということを示していかないといけないと思います。

短期雇用で細切れで安く使ってそれでいいとなっていくと、本当はこれだけの技能の人にこれだけの技能蓄積が必要という点がますます見えなくされて、個人的な大変な努力だけで技能蓄積が求められ、その個人ができない場合は仕事がますます空洞化していくことにもなります。短期雇用で働く人の個人の努力に技能蓄積をゆだねる行政サービスというのは、劣化せざるをえないでしょう。公務の労働組合は、こうした行政サービスの劣化、空洞化を認めてしまうのではなく、この点が足りないと正面切って国民に訴える必要があります。このままではこういう問題が発生しますときちんと国民に理解してもらう努力をする必要があります。

京都大学の図書館の時間雇用職員

京都大学の図書館で時間雇用職員として働いていた男性を取材しました。東大卒業後、大学院も出ていてイタリア語もできるという高学歴の男性ですが、周りを見ると民間企業で働いている友人が長時間労働で過労死しかねない状況で、こんな働き方をするのだったら安くてもいいから人間らしく働きたいということで図書館の時間雇用職員という形で働いていたわけです。

それがいきなり雇用契約を切られたのです。何年も何年も更新して働き続けてきて、まじめに働いていたのに、実績とかまったく考慮されないで、単に形式的な短期間の契約だからという理由だけで切られたので、彼は訴訟を起こしました。ところが、地裁の判決文では、もともとこのように短期間の契約で賃金も安い仕事は、夫がバックにいる家計補助的な仕事として設定されたもので、そこに自分で好んで就いたのだから仕方がない、男ならきちんとした仕事を探しなさいというようなものだったのです。

原告側は「こんなオヤジの説教みたいな判決を聞くためにきたんじゃない」と怒っていましたが、これはやはり問題です。これでは雇う側が家計補助の仕事だと決めさえすれば、安くて短期の雇用でもいいのだという話になってしまいます。これが正当化されるなら、「この仕事は家計補助的な仕事なんだから、それを選んでいるあなたが悪い」と経営者はみんな言うでしょう。女性は多くの場合、あなたは家計補助でしょと言われて、高度な仕事をしていてもまともな賃金をもらえないで来ていますから、この判決には大きな批判が起こりました。

これは高裁まで言って、結局今度はなんの論評もなく敗訴しているのですが、こういう社会観、労働観、雇用観が、日本の非正規労働者の劣悪さの背景にあるということを鮮明にする判決でもあったのです。

同一労働同一賃金がない社会では人が育たない

――こういう実態の中で、官製ワーキングプアをどうやってなくしていけばいいのでしょうか?

これはなかなか難しいですね。民間企業のワーキングプアをなくすことも難しいけれど、さらに官製ワーキングプアの問題は納税者の問題など違った要素が含まれてきますからね。

まずは民間も含めたワーキングプア、非正規雇用の問題をどう改善していくのかと考えると、同じ仕事をしていたら同じ賃金、同一労働同一賃金を守る社会をつくる必要があります。

同一労働同一賃金が守られない社会と言うのは、人が育ちません。資格を取っても非正規労働者にしかなれなくて年収200万円になってしまうとわかっていたら誰も資格を取らなくなります。私の大学の学生が「非正規になる人は怠けていたからです」「先生、私は一生懸命勉強して資格を取っているので大丈夫です」って言うんです。自分が不安だから一生懸命大丈夫だと言い聞かせているのはわかるのですが、「保育士の資格を取っても図書館司書の資格を取っても非正規雇用なら年収140万円の人までいる。資格を取っても非正規だということだけで半分の賃金になってしまう社会なのだから、この問題を放置しておいて、資格を取れば大丈夫とは言えないよ」と私が言ったら学生は驚いていましたけど、要するに、こんなに仕事が測れない、仕事で賃金が決まらない社会のままだと、いい仕事を誰もしなくなりますよね。だからこの問題点をまず共有する必要があるのです。

賃金格差ではない日本の「賃金差別」

日本でも、同一労働同一賃金は当たり前と思われがちですが、問題は同一の基準が日本の社会にきちんとないということです。

最近執筆した『ルポ賃金差別』(ちくま新書)の中で指摘したのは、一つは、賃金格差なのか賃金差別なのかという問題です。日本では賃金に差があると賃金格差というニュートラルな言い方をして、賃金差別という言葉は使いづらいのですが、でも、雇用形態による賃金格差は、賃金差別とあえて言っていいと私は思っているわけです。

どうしてかというと、まず差別の定義ですが、広辞苑だと差別というのは、ただ差があること、差を付けることと書いてある。だけど、社会学的、社会政策的には違う定義になっています。差別というのはある特定のグループの人にレッテルを貼って、その人たちは本当はどういう仕事をしてるか、どういう人生を生きているかということがレッテルによって見えなくさせる。そして、その人たちをそのレッテルのもと、社会生活から排除していったり、忌避、つまり嫌ったりする行為を差別というのだと定義しているのです。

これを賃金にあてはめると、正規か非正規か、または男性か女性か、によってレッテルを貼るわけです。これは、所詮女の家計補助だよ、ペタっとレッテルを貼る。これは非正規だよ、非正規は家族を養う働き方じゃないんだから、夫や親に食べさせてもらえばいい人の仕事なんだからと、レッテルを貼ります。そうすると、そのレッテルによって本当はその人がどういう資格や技能を持っていて、どういう経験を持っていて、どれだけ家計の柱になっているか、ということが全部見えなくされてしまいます。

そして、レッテルを貼るだけで賃金は安くてもいいとして、その人は経済的自立から排除されていくし、育成もされません。これはまさに差別の定義にぴったりあてはまります。日本の正規・非正規、というのは「賃金差別」なのです。いま日本で問題になっている賃金格差の多くは「賃金差別」なのです。ですから、まずそういう差別の定義をきちんと共有しなくてはいけません。日本社会で差別の定義の共有がほとんどされていないので、差別と言われた方もなんでこれが差別なんだと逆ギレしちゃうし、言った方もその結果、まともに相手にしてもらえないという、とても不幸な循環が起きていて、事態が改善しないのです。

賃金差別の是正とは?

だから賃金差別はよくないと言うと、それではみんな同じ賃金にしろと言うのか、できっこないと言って、逆ギレするんです。それはさっき言ったように差別の意味がわかっていないというのが一つありますが、そのために賃金差別の解消を、みんな同じ賃金にすることだと誤解してしまうわけです。

大阪市立大学名誉教授の西谷敏さんはそれに対して、賃金差別の是正というのは等しいものを等しく扱えと言っているだけであって、違うものを等しく扱うことではない、と反論しているのです。ではなぜ日本でそれがうまくいかないかというと、等しいものを等しくと言うときの「等しい」の定義がないのです。「等しい」の定義がないから勝手に経営者が決められるわけです。

しかし、ヨーロッパでもアメリカでも「等しい」に定義があります。同一労働同一賃金や同一価値労働同一賃金の評価方法として、これらの社会の職務評価の専門家が言っている定義というのは、4つのポイントがあって、1つが技能・スキル、2つめが責任、3つめが負担度、4つめが労働環境が厳しいかどうか。この4つのポイントで見るということになっているのです。この4つで見れば、雇用形態というレッテルでは見られなくなり、非正規と正規でも比べられるようになります。

これは、ヨーロッパだからあるのだろうと思われるでしょうが、アメリカでも同一労働同一賃金はこの4つのポイントで決めると法律に書いてあるそうです。「同一」の定義がきちんとしていなければ、雇用者側の勝手に決めれてしまいますし、差別の是正も、労使交渉も、この同一の定義が出発点になるわけです。

それが日本にはないのです。だから、男女が同じ仕事をしていても、一般職、総合職といったようにコースが違うというレッテルを貼られて、賃金差が正当化されてしまう。コースが違うから安くても当たり前じゃないかとなる。これが頻発するコース別訴訟での会社側の理屈ですよね。働いている側は、自分たちの仕事にはスキルも必要だし、責任も結構重い、しかも一般職も総合職と同じくらい負担度もあるし、労働環境だって同じようなところで働いている。だから必ずしもコースが違うからといって、賃金に半分もの差がつくことは合理性がないと反論するわけです。しかし、「同一」の定義がないから会社側と女性社員側は平行線のままなのです。

人間って、自分の仕事以外のことはラクだと思いがちです。自分の仕事は大変だけど、あいつの仕事は楽でいいよなと、隣の芝生は青いからそう思ってしまう。そこに上下の差があると、ものすごく過酷な状況になるわけです。だからそうならないように共通の定義が必要になるのです。この「同一」の定義が日本ではできていないので、賃金差別がまかり通り、反論も裁判も難しくなっているのです。

公契約条例・公契約法で官製ワーキングプアをなくす

これは民間も含めた対策ですが、公務分野での官製ワーキングプアをなくすために必要なのは公契約条例です。公的機関では委託などがすごく増えています。委託先の会社は違う会社だから、そこの会社の賃金でいいとなると、安い入札価格であるほど落札されていくことになるので、委託を受けたい会社は自分のところの従業員の賃金を一生懸命引き下げて、安い価格で落札したいと思う。そうすると従業員の賃下げ競争が起きてしまう。公契約条例は、生活できる賃金で雇っている会社でなければ、入札する資格がないという線引きをするなどの形で従業員の賃下げ競争が起こらないようにします。

「生活できる賃金」の水準を、正規職員と同水準に設定することで、一種の同一労働同一賃金を公契約条例をてこにめざすこともできます。また、行政による安値競争、賃下げ競争で委託先の官製ワーキングプアをつくらないようにしようということです。公契約条例をもっとさまざまな自治体に広げていく必要がありますし、国でも公契約法をつくっていかないと、官製ワーキングプアをなくしていくことはできないと思います。

「妻付き男性モデル」という正規の働き方

――国の機関でも非正規で働く人は女性が圧倒的に多いのですが、女性差別ともかかわって、「妻付き男性モデル」に問題があると指摘されています。

そうですね。英語でも「メイルブレッドウィナーモデル」と言って、メイルは男性で、ブレッドウィナーはパンを稼ぐ人という意味で、近代家族の一つの特徴です。

私がそれを特に「妻付き男性モデル」という言い方にしたのはなぜかというと、日本の片稼ぎ男性モデルは、妻がいることを前提にした極端な長時間労働、高拘束性を特徴にしているからです。なぜこのことが見過ごされたのかというと、先ほど紹介した高浜市の例のように「あの人は夫がいて食べられるじゃないか」「生活に困らないのだから、ボランティアしてもらってなぜいけないのか」と言う空気が強いからです。

「妻付き男性モデル」というのは正規社員の働き方です。この「妻付き男性モデル」の裏返しとして、妻の方は安くこき使われるわけで、これが非正規の働き方になっています。日本の正規は「妻付き男性モデル」で長時間労働に置かれ、非正規はバックに夫がいて生活保障があるとされて、ボランティアのような劣悪低賃金労働に置かれる。正規社員の「妻付き男性モデル」はバックに妻がいることが前提で、だから何時間でも働けるのが当たり前だ、妻の分の賃金も払ってやってるんだから長く働け、というのが高度経済成長期から作られてきた正社員型の働き方です。

こうした働き方では、自分が子育てや介護など家庭にケアを抱えている働き手は正規で働けなくなります。「妻付き男性モデル」は、妻の役割をふりあてられた非正規がワーキングプアになるだけではなく、正規も仕事と家庭の両立ができないし、過労死・過労自殺にも追い込まれるし、女性は正規で働き続けられなくて辞めていくことになってしまうのです。

一方で、雇う側は非正規を増やしていけば人件費は切り下げられるので、正規の門戸はどんどん狭められていって、正規の長時間労働は増えていくというのがいま起きている現象です。

「妻付き男性モデル」と「養われる妻モデル」という2極化は1985年の雇用機会均等法で定式化されたという見方があります。85年には労働者派遣法と主婦年金と呼ばれる第3号被保険者制度もできて、勤め人の夫の扶養に入っていれば、年金の保険料を払わなくていいという被保険者ができました。そして、労働時間規制を均等法と引き換えに撤廃しているのです。つまり、男性と平等にしてもらいたいなら労働時間も同じにしろと言って、職場には男女ともに長時間労働のルールが公式となり、女性はその働き方に入ると子どもができたら辞めざるをえないので非正規に向かい、この働き方が激増します。これが80年代に起きて、そこに派遣法を導入し、女性たちを派遣に誘導していく。それからパートは夫に扶養される年収の上限として130万円という第三号の壁があって、それ以上働くと保険料を払わないといけなくて持ち出しになるから自発的に就労調整を始めるわけです。

そうすると主婦パート自身の中に賃金を上げなくてもいいという人が増えてきますから、非正規の賃金は上がらないわけです。

「妻付き男性モデル」はブラック企業の温床

最近話題のブラック企業の定義は、人権侵害に値するまでに人をこき使ってその人の生存権をあやうくするというものですが、もともと日本企業の「妻付き男性モデル」は妻がいるという架空の前提として、働き手に人として当然の生活時間を保証しない、という意味でブラック企業の温床だったわけです。なぜ昔はブラック企業と言われなかったかというと、いくらでも働かなければいけない働き方ではあったけれども、引き換えに終身雇用という保証があったからです。年功賃金などの保証で家族が養えるようにしてあったから、全人的な貢献を求められてもなんとか引き合うということが前提であったから、ブラック企業という批判を浴びにくかったのです。

ところが、これからはグローバル化だからと言って、終身雇用や家族を養える年功賃金の方はもうやめようと言うわけですが、もう一方の長時間労働などの企業による高い拘束度は、以前のまま残しておく。企業にとっては便利だから、「やっぱり日本の企業は社員の貢献がなければいけない」などと言ってしっかり温存しているわけです。

いま、なぜブラック企業が問題になっているかというと、昔はバーターでかろうじて成り立っていたバランスが企業側のいいとこ取りで崩れてしまったのです。日本の企業で残っているのは、高い拘束度、長時間労働だけになってしまった。これがブラック企業の正体です。加えていまの日本のブラック企業の酷さというのは正社員だけでなく非正規にまでこの高い拘束度を強制するところにあります。

日本的雇用にあった終身雇用や家族を養える年功賃金はなくなって、高い拘束度だけが残るというのは、まさに奴隷労働です。奴隷労働になってしまっているから、若者はやめてしまうのです。ところがその問題が広く理解されていないので、いまどきの若者にはこらえ性がないからやめてしまうなどと言う。でも、こらえ性の問題ではないのです。奴隷労働を我慢しても終身雇用が保証されるかどうかもわからないのに我慢できますか? ということです。年輩の方に言いたいのは、あなたがたは昔は我慢すればなんとかなった。当時は企業の社会的責任を果たすようにとの社会的な圧力も働いていて、我慢して働いていれば何とかなったでしょう。でも、いまの若者は我慢しても何とかなる保証はないぞと言われているわけです。それで仕事をやめたらこらえ性がないという言い方はないのであって、若者のこらえ性を問題にするのではなくて、いまの日本のブラックな働き方をこそ改善しなければいけないのです。

11時間は「休息時間」とする法的な歯止めを

先ほど指摘したように日本は均等法制定のときに、男女平等を口実に男女共通の長時間労働にしてしまいました。しかし、ヨーロッパの場合は男女共通の労働時間規制をきちんとやっているのです。ヨーロッパでは、1日のうちに必ず連続11時間は「休息時間」とするEU指令があり、最低限の法的な歯止めがあります。このため、ヨーロッパの労働者の1日の労働時間は最長でも13時間を超えられないわけです。日本の長時間労働というのは、天災でも国民性でもありません。長時間労働に対する法的な歯止めがないことに原因があるのです。労働組合は、ヨーロッパのように1日のうちに必ず11時間は「休息時間」とする法的な歯止めを求める運動を起こす必要があります。

いま「過労死防止基本法」へ向けた100万人署名が進んでいますが、このような長時間労働の規制がきちんとあるかどうかは大きな分かれ目で、まったく違う社会ができあがってきます。いまの日本のように、男女平等を理由にして長時間労働を男女平等にやらせたら誰も家庭のことができなくなりますから、必然的に少子化がものすごい勢いで進みます。しかもみんなが長時間労働で疲れ切っているので、いい発想も浮かばないし、地域活動もできないし、ボランティア活動もできません。

官製ワーキングプアと公務員バッシング

――官製ワーキングプアの問題と公務員バッシングは関係があるのでしょうか?

公務員バッシングが激しくなっているのは、非正規労働者がこれだけ増えている問題といくつかの点で関係があると思っています。

1つは、正規公務員へのバッシングが非正規労働者の鬱憤晴らしになっているという側面があると思います。それともう1つは、公的機関で非正規労働者が増えていることで、公的サービスが質的に劣化しているということもつながっているという点です。

非正規公務員のみなさんが頑張って働いているのを私も知っていますから、非正規だからサービスが悪いなどと短絡的に言うつもりはないのですが、しかし、細切れの雇用で短期間で仕事を替えられるいまの方式では、いくら引き継ぎしていってもうまくいかないケースはいっぱいあるでしょう。

たとえば、窓口で、納税者が文句を言った時にきちんと上の方に伝わっていかないという問題もあるのではないでしょうか。窓口の非正規公務員が正規公務員に納税者からの苦情などを伝えると、余計なことは言うなと逆に叱られてしまったりして、納税者からの苦情があっても処理できないケースが増えてきてしまう。公的機関での非正規と正規の連携がうまくいっていないケースが多いのではないでしょうか。納税者からすると、窓口の非正規公務員も同じ公務員と思っていますから「何だこの対応は」となり、公務員は高い賃金をもらっているのに仕事をしない、とますます鬱憤がつのってしまう。細切れの雇用のために習熟できない窓口対応が生まれるなど、非正規の問題を解決しないと、正規の公務員はますますバッシングを受けるという悪循環になっているのではないかと思うのです。

そうだとすると、公的機関の危機管理から言ったら非常にまずいことが起きているわけです。そうした認識が正規の公務員には希薄なのではないでしょうか。しかし、そういうことではサービスを受ける側の国民の鬱憤は溜まるばかりですから、公務員バッシングは激しさを増すと思います。

自分たちの仕事を評価して欲しいと心から願うならば、非正規労働者の待遇も含めた危機管理をきちんとやっていくべきだと思います。

公務の労働組合は、短期で切られてしまう非正規労働者の課題がなかなか運動の中心になりにくいというのもわからないではありませんが、正規の公務員の人たちが非正規の人たちの声をくみ上げて公務の意思決定部分に押し上げていくサポートをしていかないと、先ほども言ったように、公務員バッシングはなくなっていきません。正規の公務員の仕事の侵食や労働条件の切り下げも進んでしまいます。労働組合は、正規と非正規をつなげながら、お互いがどうしたら公務を良くしていけるのか、何が壁になっているのかを考え運動にしていく必要があります。

ベーシックインカムで公務員はいらなくなる?

――ここからは最近の論調についてうかがいたいのですが、日本維新の会などは、政策(維新八策各論)の中にベーシックインカムを打ち出すようになっています。一部にはベーシックインカムを導入すれば、今の公務員はもうほとんどいらなくなるので、財政にも寄与して、非正規の問題や貧困問題も解決できるかのような論調も強まっています。

ベーシックインカムの発想そのものは、すべての人に生きていけるお金を出して生存権保障を実現しようということで、考え方自体はすばらしいと思います。ベーシックインカムの考え方は、雇用の世界に入らない限り大変な目にあうという今の社会へのアンチテーゼという意味では、とても意味がある指摘だと思います。

実際の社会はどうなるか

しかし、ベーシックインカムを現実のものにしたときに、実際の日本社会がどうなっていくかを具体的に考えてみた場合に問題点が多いということです。

たとえば、生活保護ではミーンズテスト(資力調査)という振り分けがないからいいと言うけれど、ケースワーカーがおこなっているその人たちへのいろいろな情報提供や援助などを無くしてしまって、お金だけあげて、そのお金をどうやって使ってどうやっていくかという指導を誰がやるのか? ということにもなります。

確かに公務員の削減で、ケースワーカーの量や質が確保できなくなっているという問題もありますが、そこは建て直すことが必要であって、ケースワーカーを無くしてお金だけあげればいいということにはなりません。

それは他のところでも同じで、保育園でも、民間を増やして公務サービスはバウチャーサービス(引き替え券)を出せばいいという意見もあるけれど、バウチャーをいくら出しても、もともとの公務サービスが足りなければ、バウチャーは使えないでしょ、ということです。

福祉の「小さな政府」のままではダメ

日本はもともと公務サービスが薄くて、そこは“女性が家でやればいい”ということでやってきましたから、福祉の面ではもともと「小さな政府」なのです。この福祉の「小さな政府」で、ほとんどを家庭で女性にやらせておいて、雇用の場では家庭での福祉労働の合間に働く片手間の低賃金労働者として女性を使ってきたわけです。こうした福祉サービスの欠如を放置したままでのベーシックインカムの導入という話にはならないわけです。

今のように財源がないと言われているときにベーシックインカムだけでやっていけとなると、その額はぎりぎりに絞られて、涙金もらって福祉サービスはなしとなる。路頭に迷うだけです。こうした時期にベーシックインカムを主張するというのは、公務サービスを減らしたいという隠れた意図があるとしか思えません。

ですから、本来、ベーシックインカムが持っている、いい意味での問題提起が、こうした状況の中ではいい方向には働かずに、公務サービスだけ切り捨てられて、みんなが路頭に迷うことになってしまうということを読めなくてどうする、というのが私の意見です。

40歳定年制や解雇規制緩和はセーフティーネット破る

――政府の国家戦略会議フロンティア分科会報告で、40歳定年制や有期雇用を基本にするようなことが出され、日本維新の会の政権公約には「解雇規制の緩和」や最低賃金の引き下げなどが出されています。

40歳定年制というのは定年の意味がわかっていない議論だと思います。定年というのは働き手に落ち度があるなしにかかわらず、雇用を一斉に打ち切るということですから、打ち切られても他の仕事を探せる人もいますが探せない人もいますよね。その人たちをどうするかということに何も答えていません。

「働き手も60歳とか65歳までいたくないでしょうから40歳定年制にすれば、自分で技能を蓄積したりして、次の人生を選び直せるようになるでしょう」という議論かと思いますが、今の日本の企業ではそんなことはできません。長時間労働で会社から高い拘束を受けているので、人生が選び直せるような技能を蓄積したり勉強したりなどできないのです。40歳定年制を主張するのなら、まず過労死防止基本法をつくって労働時間を規制するべきです。

解雇規制の緩和も同じです。解雇規制を緩和して、解雇されても自由に他のところで働ける人ってどれだけいますか? そんなことしたら、結局、多くの人の行き先がなくなりますから、生活保護のセーフティーネットが壊れてしまいます。

そもそもすでに4割近くが非正規雇用にされてしまい、すでに雇用がボロボロになってしまっていて、日本のセーフティーネットは破れつつあります。それなのに、これ以上の解雇規制緩和をまだ言うかという感じですね。

労働者の首を切りたいだけの解雇規制緩和

――日本維新の会のブレーンになっている竹中平蔵氏は解雇自由のオランダモデルにすれば労働市場が柔軟になると言っています。

オランダは同一労働同一賃金でパートの均等待遇がしっかりした社会です。正社員と同じ権利を確保しつつパートで働いているのでパートと正社員の垣根が低く、雇用が流動化しやすいのです。パートから正社員へ移ることも、賃金は同じで時間だけ伸ばしてあげればいいだけです。だから、雇用者の負担もあまりないまま、パートとフルタイムの行き来ができ、しかも、解雇され、失業の末に行き来するのではなくて、働きながら行き来できるので、負担がかからない。同一労働同一賃金でパートの均等待遇をつくって行き来できるように設計しているのです。日本のいちばん大きな問題は、同一労働同一賃金、パートの均等待遇がないことなのです。日本の労働市場が流動化しないのは、解雇規制の問題などではなく、同一労働同一賃金、均等待遇がきちんとできておらず、会社への拘束が極端に高いからです。

オランダはパートの均等待遇がしっかりしていて、デンマークでは日本の整理解雇の4要件に値するものがあって、その要件が満たされていれば、理由も言わずに解雇してもいいとなっています。でも、デンマークの労働組合組織率は80数パーセントもありますから、法律で解雇規制を緩和しても、労働組合が企業の不当な動きを監視し、規制しているのです。

労働組合が、会社が出してくる解雇の理由を全部労働者と一緒に、妥当性があるかどうかを点検するのです。ですから言ってみれば法律で規制することを、労働組合の規制で行っているので、法的な解雇規制がないというわけです。

それからデンマークは正社員が原則ですから、労働市場を流動化させるために、食べられない産業から食べられる産業へと移すための職業訓練をきちんとやっているのです。大手の企業で体力がある場合は、労使交渉をして、その職業訓練費を企業から労働組合が取ってくるのです。そうして、解雇の期限が来るまでの間に会社がちゃんと時間を与えて、そこで新しい資格を取らせて、次の仕事につなげておくのです。

私が取材したところは現業の人が多くて、やはり身体を使う仕事の方が転職しやすいということで、100人ぐらい解雇になったうちのかなりの部分が、大型免許の資格を社内でとって、会社の中の構内でトラックの運転の練習をしていて、解雇の期限が来たときには、ほぼ次の仕事が決まっていました。馬の調教師をやりたいという人が1人いて、それもきちんと訓練のお金を出してくれて、馬の調教師の資格を取っていました。

労働組合と企業とが職業訓練の手当てをして労働者を次に移れるようにしていくのが大手の企業の場合で、中小の企業の場合は、ハローワークに相当する職業安定機関が公務サービスとして職業訓練を行っていきます。ここでも労働組合がガードするので、公務の職業安定機関と労働組合が1人の労働者に関わり合って次の仕事に就けるまでずっと付き添っていくわけです。私が取材した中には、どうやって会社の面接を受けるかということからはじめ、公務の職業安定機関と労働組合がいろいろなサポートを行い、3カ月かけてやっと次の仕事が決まったという人もいました。その人は、公務の職業安定機関がすごく助けになったと言っていました。

デンマークモデルを引いて日本の解雇自由を主張して労働市場の流動化だと言う人は、日本の労働市場の実態をよく知らないのではないかと思います。オランダやデンマークの目的は食べられない産業から食べられる産業へと労働者を移すための労働市場の流動化なのです。日本の解雇規制緩和論者は、働き手を切ることで会社の負担を軽くすることに主眼があるように思えます。

最低賃金制度廃止は日本社会を壊滅的な状況に

――スウェーデンなどには最低賃金がないから日本にもなくてもいいという論調もあります。

スウェーデンに最低賃金がないのは、同一労働同一賃金がとてもしっかりしているので、最低賃金で歯止めをかける必要がないわけです。

ところが、日本には同一労働同一賃金がなく、企業の好きなように決められてしまう社会だから、最低賃金しか歯止めがないのです。最低賃金が最後のセーフティーネットになっているので、最低賃金をなくしてしまったら、とめどなく落ちるのです。

グローバル化で賃金がみんな下がるのはグローバル化のせいだから日本も仕方がないとよく言われます。でも、主要先進国で90年代後半から賃金が下がり続けているのは日本だけです。なぜ日本だけ下がるかと言うと、非正規雇用の入り口規制が弱く、しかも同一労働同一賃金が事実上ないからです。どんどん賃金は下がってしまってデフレになってしまう。こんなに雇用がめちゃくちゃになっているのに、社会保障のセーフティーネットさえあれば最低賃金がなくてもいいとか、解雇規制を緩和してもいいという意見が大手を振って、それが選挙公約にまであがってくるということは、ある種の人たちの間ではもう雇用の役割というものについての認識がボロボロになっているとしか思えません。しかし、雇用がきちんとしていないとそもそも税金を払えないような人が多くなり、デフレも脱出できません。社会保障も持ちませんし、日本社会そのものが壊滅的な状況に陥ってしまいます。

――本日はありがとうございました。

たけのぶ みえこ 1953年生まれ。76年朝日新聞社に入社、経済部記者、シンガポール特派員、学芸部次長、総合研究センター主任研究員、編集委員兼論説委員(労働・ジェンダー担当)などを経て、2011年4月から和光大学現代人間学部教授。2009年「貧困ジャーナリズム大賞」を受賞。著書に『ルポ雇用劣化不況』(岩波新書、日本労働ペンクラブ賞)、『女性を活用する国、しない国』(岩波ブックレット)、『ルポ賃金差別』(ちくま新書)、『しあわせに働ける社会へ』(岩波ジュニア新書)など多数。

▼インタビューの一部を視聴できます。

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学教職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員(教宣部長)、労働運動総合研究所(労働総研)理事、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者、日本機関紙協会常任理事(SNS担当)、「わたしの仕事8時間プロジェクト」(雇用共同アクションのSNSプロジェクト)メンバー。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)があります。

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