経営者のやりたい放題を許し非正規労働者と敵対する正規労働者だけの排他的な労働組合から「正規と非正規の壁」越える「開かれた連帯」へ

  • 2015/8/23
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(※2009年8月に書いた記事です)

全労連の労働組合幹部セミナーが2009年8月10~11日と開催されました。そこで行われた近畿大学法科大学院の西谷敏教授(大阪市立大学名誉教授)による「雇用危機下の法的規制と労働組合」と題した講義の要旨を紹介します。(文責=井上伸)

急激かつ深刻な雇用危機を迎え、いま労働法は転換期にあります。全労働者の4.7%を占める派遣労働者が、「派遣切り」され十数万人が職を失っています。この間の非正規労働者の失職が二十数万人で、そのうちの60%が派遣労働者です。つまり、派遣労働者の雇用は切りやすく、真っ先に切られたわけです。

さらに「派遣切り」の特徴は、中途解約が多いことです。約半数が中途解約で「派遣切り」にあっています。派遣労働の場合も、一般有期契約の場合も、予定された契約期間が終われば一応満了ということになりますが、いまの「派遣切り」は、契約の途中で切られる非常に乱暴な形になっています。

「非正規切り」と同時に「正社員切り」も進行しています。統計は、正社員の場合、100人以上の失職の場合だけですが、すでに合計が4万人を超えています。

この「非正規切り」と「正社員切り」の関連をどう見るかという点ですが、ひとつは「非正規切り」から「正規切り」に及んでいる連続性があることは事実です。ただ、注目しておく必要があるのは、企業側の切り方に随分と差があるということです。

この10年ぐらいの間に、リストラで正社員は500万人ぐらい切られています。ところが解雇は意外に少ないのです。何をやったかというと、希望退職、早期退職、退職勧奨、とにかく労働者自身が自主的に退職したんだという形を取ってやめさせるわけです。これに対して、非正規は中途でもバッサリ切られる。これは両面あって、非正規のような乱暴な切り方には正社員はあわないという点で、まだましという面もあります。しかし、逆に言うと、企業側から退職勧奨などの圧力を自ら退職するまで日々かけられ続けて、自分の意思でやめたという形をとると、様々な点で不利益が生じてきます。あとで裁判でも争えないとか、退職金の額が少なくなるとか、あるいは雇用保険の受給の点で不利になるなど様々な不利益が労働者側に生じます。

いまの雇用危機に対する見方はふたつあります。ひとつは、100年に1度の経済危機だからもうどうしようもないとするもので、あとはひたすら経済の回復を待てばよい。そうするとあとはまたすべて良くなってくる。これは広く行き渡っている認識でしょう。

しかし、そうではありません。もともと日本の雇用が構造的な欠陥を抱えていて、経済危機をきっかけとしてその欠陥が一挙に噴出したものと、私は見るべきだと思っています。以前から日本の雇用の仕組みに欠陥があった。この仕組み自体を根本的に見直さない限りは、日本社会は良くならないし、働くものは決して幸せにならないと思うのです。

小泉・竹中構造改革以前の日本は低福祉社会ではありましたが、一応3つの柱がその低福祉を補っていました。1つは「企業社会」です。日本型経営・長期雇用慣行による労働者とその家族の生活保障。企業による生活保障がひとつの重要な柱をなしていたわけです。

2つめに、公共事業投資をはじめとする「利益誘導型政治」。3つめに、貧弱ながらも一応社会保障制度の補完が機能していました。

ところが、小泉・竹中構造改革が、この3つの柱をすべてほぼ同時に切り落としました。

正社員を減らし非正規社員を増やすという労働者の非正規化で、日本型経営・長期雇用慣行での労働者家族の生活保障を企業が自ら投げ捨ててしまいました。80年代の終わりには、「ジャパンアズナンバーワン」と言って、日本のやり方が世界で一番いいんだと企業自ら言っていたのに、90年代のバブルが崩壊すると途端にこれまでのやり方はもう古いと180度方針を変えて、これまでの制度を投げ捨てたのです。それも、日本型経営・長期雇用慣行に代わる労働者のセーフティーネットも一切なしに、経営者の近視眼的な利潤追求のみを新自由主義の名のもとに強行しました。

さらに、「三位一体改革」「地方分権」「官僚政治の打破」など言い方はいろいろですが、2つめの「利益誘導型政治」を切り捨て、そして、年金、介護、医療など社会保障を連続で改悪しました。

この3つが同時に起こってしまったため、どの制度によっても救済されない広範な人々が生まれるようになり、「貧困問題」が大きな社会問題として立ち現れてきたのです。こういう全体状況の中で、雇用問題も見ていく必要があるのです。

私は「雇用の劣化」という表現がふさわしいと考えています。それは、非正規労働者の急増と雇用の質的変化が見て取れるからです。

この10年ぐらいの間に、正規労働者がおよそ500万人リストラされ、非正規労働者がおよそ500万人増えました。全労働者に占める非正規労働者の割合は、20%から35%へと急増したわけです。

正規労働者に「退職勧奨」などのプレッシャーをかけて、非正規労働者に切り替えていくケースが多く、やめさせた正規のポストは、非正規のポストに切り替えられていきました。どんどん正規のポストがなくなっていきますから、労働者は、やむを得ず非正規のポストに就くしかありません。大量の若年非正規労働者の発生はこうして生み出されてきたわけです。

「正規ポスト切り」から「非正規ポスト増大」というこの大量の移動が雇用の質的変化をもたらしました。

もともと非正規は、家計補助的な主婦パート、学生アルバイトでした。主たる家計の担い手の非正規労働者は少なかったのです。したがって、非正規労働者の低賃金は大きな社会問題として顕在化していなかったのです。これは、「長期雇用慣行による労働者とその家族の生活保障」という「企業社会」に対応していた非正規労働者の有り様だったわけです。つまり、主たる家計の担い手である男性正規労働者の「家族賃金」を、あくまで補完するものとして家計補助的な主婦パート、学生アルバイトが存在していたわけです。

ところが、小泉・竹中構造改革は、「長期雇用慣行による労働者とその家族の生活保障」を破壊し、「家計補助的な非正規労働者」を、「主たる家計の担い手の非正規労働者」に変えてしまったのです。

本来は自分の労働で、自分と家族の生活を支えなければならない人が、正社員のポストがないものだから、やむをえず非正規の仕事に就いて、それで生活せざるを得ないという人が大量に増えたわけです。これがワーキングプアの問題です。ワーキングプアの問題は90年代から広く深く進行していきました。ところが、この問題は社会的にあまり注目されませんでした。なぜなら、戦後最長の好景気の中で、ワーキングプアは広がっていったのですが、好景気だから、とりあえず仕事は存在し、雇用問題には至らなかったからです。

正社員なみにある程度の賃金があれば、ある程度の蓄えもあり、失職してもただちに生活困難に陥りません。ところが、広く深く進行していたワーキングプア層は、常にかつかつの生活を強いられていたわけで、まったく蓄えがありません。こういう人が突然雇用を切られたらどうなるか、いま起こっている「非正規切り」はそういう問題なのです。

それでは正社員はどうか。500万人の正社員リストラと、非正規労働者の急増の中で、正社員の労働条件も、きわめて劣悪になってきています。正社員が極端に減らされていますから、正社員の仕事上の負担はものすごく増えていくわけです。長時間労働・サービス残業は恒常化し、仕事の内容も管理職的な仕事が増えてくる。賃金・人事制度には、競争主義、能力主義、成果主義が強まる。そういう中で、正社員が過重労働で肉体的・精神的に壊れていくケースが激増する。過労死、過労自殺、うつ病などのメンタル疾患が急増しているわけです。

それに加えて、この経済危機の下で、正社員の企業への従属はますます強まっています。「正規」と「非正規」というのは、「恵まれた層」と「恵まれない層」という意味よりも、むしろそれぞれ違った意味で、極めて厳しい状況に置かれた2つの層が、分断されて、対立させられている状況にあるというふうにとらえるべきだと私は考えています。正規労働者も非正規労働者もそれぞれが別の意味で悲惨な状況に追い込まれていっているのです。

ところが、お互いが、自分は大変なのに、あいつらは楽だというそういう意識を持っていて、まったく精神的に分断させられている状況が広がっているように思います。こういう状況をどうやって克服して連帯を実現していくのかが、今後の労働運動の発展にとって、非常に大きな鍵を握っていると思います。

日本の雇用の構造的欠陥には、複合的要因があります。1つは、経営者の裁量・単独決定を制約する力の弱さです。これはどういうことかと言うと、経営者というのは、世界各国どこの経営者でも考えることはそんなに違わないのです。いかにして人件費を節約できるかということです。いかにして労働力を必要なときだけ雇って、必要でないときは放り出せるか。考えることはそんなに変わりません。違うのは、経営者のやりたい放題を制約する社会的な力が存在するのかどうかという点なのです。制約する社会的な力が存在すれば、経営者のやりたい放題はできません。

制約する社会的な力は何かというと、ひとつは法律です。ヨーロッパの労働法というのは、ものすごくきめ細かく経営者の行動を規制しています。解雇の制限はもちろんのこと、男女平等は当然、パートとフルタイムを差別してはならない、正社員と派遣を差別してはならない、正規も非正規も均等待遇、労働時間の規制は強く48時間が最高限度です。これは残業時間をあわせてですよ。日本の場合は、週60時間以上の若年層で2割を超えている。これはヨーロッパでは信じられない長時間労働です。年次有給休暇は、年間6週間が基準です。およそ3週間は分割して休暇を取ってはいけない。日本の場合は平均で15日取れるのだけども、実際には8日ぐらいしか消化していない。消化率は46%ぐらいです。

もともと日本の経営者を法的に規制する力は弱かったのです。そこにさらに規制緩和が加わったというところを見ておく必要があるのです。規制緩和が問題をもたらしたという言い方がありますが、もともと日本の労働法に欠陥があり、法的に規制する力が弱かったものを、さらに規制緩和で悪くした。ですから、もともと悪かったところまで戻ればいいという話でもないのです。

もうひとつの経営者のやりたい放題を制約する社会的な力は、労働組合の力量です。この点についてもヨーロッパの産業別労働組合と、日本の企業別労働組合の間には大きな違いがあります。比較にならないぐらい大きな違いがあり、最大の問題は組織形態の違いです。ヨーロッパの場合は、基本的に産業別労働組合で、産業別に団体交渉をやり、しかも活発にストライキを打ち、それによって経営者のやりたい放題を制約しています。正規にも派遣を含む非正規にも均等待遇とセーフティーネットがきちんとあるため、「年越し派遣村」のような状況にはならないわけです。

あらためて、日本の労働組合は、産業別労働組合への発展をめざす必要があると考えています。現在の日本の労働組合には、「団結」や「連帯」の欠如や劣化があるように思えます。同じ企業の中でも非正規労働者と敵対的になるような正規労働者だけの「団結」が根強く、企業内正規労働者の「排他的な団結」という性格が強かったように思います。

これからの労働組合は、「団結」の中身についても「正規と非正規の壁」を越えた「開かれた連帯」「開かれた団結」が必要であり、その「開かれた団結と連帯」にもとづいてこそ、労働組合が社会的な力を発揮できるのだろうと思うのです。

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員、労働運動総合研究所(労働総研)労働者状態分析部会部員、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)がある。ここでは、行財政のあり方の問題や、労働組合運動についての発信とともに、雑誌編集者としてインタビューしている、さまざまな分野の研究者等の言説なども紹介します。

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