凄惨な沖縄戦と戦後の米軍基地が沖縄県民の心の傷PTSDを癒すことなく切り裂き続ける

  • 2015/8/16
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(※2012年8月に書いた記事です)

8月12日に放送されたNHKのETV特集「沖縄戦 心の傷~戦後67年 初の大規模調査」は、67年前の沖縄戦が今現在も、おじい、おばあを苦しめ続け、“命どぅ宝”を踏みにじる米軍基地が戦後も沖縄県民の心の傷をさらに何度も切り裂いていることを告発していました。この上、危険極まりない軍用機オスプレイを沖縄に配備することなど許されるわけがありません。以下、番組要旨のレポートです。

 ETV特集「沖縄戦 心の傷~戦後67年 初の大規模調査」

いま沖縄で戦後初となる調査が行われています。看護師や精神科医が沖縄戦を体験した高齢者を対象に、沖縄戦が住民の心にどのような影響を及ぼしたのか聞き取り調査を行っているのです。

(沖縄戦のことは)「いつも考えないようにしてる。考えたくない」

(沖縄戦を思い出すと)「つらいさ」

――多くの高齢者が聞き取り調査でこう語ります。

終戦から67年。沖縄戦を生き残った高齢者たちがいま原因不明の不眠やうつ病のような症状、身体の痛みに苦しんでいます。

太平洋戦争末期に始まった沖縄戦。鉄の暴風と呼ばれる激しい艦砲射撃と住民を巻き込んだ大規模な地上戦が3カ月にも渡って繰り広げられました。生活の場が戦場となり、追い詰められた人たちが家族の命を奪うという悲劇も起きました。沖縄県民の4人に1人、10万人近い人が犠牲となり、生き残った住民たちも心に深い傷を負ったのです。

精神科医は沖縄戦を生き残った人たちが長い時間を経てPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症しているのではないかと考えています。

「本土の大空襲の場合は地上戦ではなかった。ところが沖縄戦は自分たちが唯一気持ちを安らげる場所である家庭とかコミュニティとかそういう空間が殺戮の現場となったわけです。そうしたトラウマ(心的外傷)の質は本土と比較にならない」と語る蟻塚亮二精神科医。

今回おこなれた聞き取り調査では43.9%、4割以上の人が沖縄戦による強いストレス症状に苦しんでいることが分かりました。

戦争が終わった後も米軍基地と隣り合って暮らしてきた沖縄の人たち。その生活は沖縄の人たちの心をさらに深く傷つけました。

生活の場が突如戦場となった地上戦は住民たちの心にどれほど深い傷を残したのか? 戦後の米軍基地と隣り合わせの暮らしが心の傷にどのような影響を与えたのか? 戦争から67年。沖縄の心を傷を見つめます。

「沖縄戦・精神保健研究会」代表で沖縄協同病院の蟻塚亮二精神科医は、沖縄戦を体験した人のなかに、高齢になってPTSDを発症するケースを多く診ています。

以下は、蟻塚医師が昨年11月の医療シンポジウムで行った報告の一部です。

 ▼「沖縄戦PTSDなど」の診断ポイント

●70~75歳以上のもの
●戦時に家族死亡や死体を目撃
●晩発性の不眠
●晩発性に戦時記憶の侵入的増大
●うつ病型の不眠(中途覚醒)であるのに抑うつ気分が少ない
●近親死により誘発・増幅される
●発作性不安、解離性せん妄などを伴う
●気難しさ、不機嫌など

 ▼症例の一部

●晩発性PTSD…70代男性。5歳の時、母に背負われて逃げるが、母は射殺される。死んだ母の背中にくくられたまま一晩中泥の中で泣いた。戦争孤児。60歳前後から不眠傾向になり。不安や恐怖の症状が出現する。

●外傷性悲嘆による不眠・抑うつ症状…80歳女性。14歳の時に戦火の中、姉と祖母を亡くす。息子が2年前に亡くなってから、戦争時の記憶と死体のうじ虫、人間の生肉の臭いを思い出す。

●身体化障害…80代女性。14歳の時、母と死体を踏んで逃げ歩いた。50代で原因不明の足裏の灼熱感のため、公務員を退職。足が痛むたびに「死体の上を歩いたからだ」と自分を責めつづけ、苦しむ。

●戦時記憶の増大と戦争トラウマ…90代女性。7歳の息子が目の前で銃撃され、殺される。一日おきに夜中に「弾が飛んでくるから防空壕に逃げなきゃ。荷物をまとめなさい」と泣き叫ぶ。

――以上のような沖縄戦PTSDの症例は、蟻塚医師が診ただけでこの2年間で125人以上にのぼります。

PTSDの主な症状としては、①衝撃的な記憶が繰り返し蘇るフラッシュバック(再体験)、②その記憶に関する物事を無意識のうちに避けようとする回避・まひ、③不眠や神経が過敏になる過覚醒、といった症状があげられます。

なぜPTSDの症状が戦後60年以上たったいまあらわれるのでしょうか?

戦時中13歳だった男性。母と妹がアメリカ軍の砲弾に撃たれ目の前で死んでいくのを目撃しました。5年ほど前からそのときの記憶を頻繁に思い出すようになり眠れなくなります。

一般的なPTSDではトラウマ体験から6カ月以内に発症すると言われています。しかし、この男性はじつに60年以上のときをへて発症したのです。

「戦争当時、子どもの頃は記憶に生々しいから残るわけです。それが戦後、社会生活をしなければならないため頭の中に『戦争の記憶』が占めるスペースが少なくなって『生活上の課題』が頭の中を占領するようになってくるから、『戦争の記憶』はある程度押しのけられてしまう。でも、この男性の場合、息子に家業を譲って生活上の食べていく課題が薄くなった時にまた『戦争の記憶』がよみがえってきたのです」と語る蟻塚医師。

通常、幼い頃に刻まれた記憶は、社会生活に適応しようとするため意識下に抑え込まれていくといいます。しかし高齢になるとかつてのつらい記憶が脳の中でよみがえりPTSDになってあらわれるのです。

今年4月から、心の傷の調査が沖縄県内全域で実施されています。

調査の中心になっているのは、精神保健が専門の沖縄県立看護大学・當山冨士子教授です。當山教授は沖縄戦のトラウマについて20年以上研究してきました。

調査の対象は離島を含めた沖縄全域のおよそ30地区。

「私がお腹がすいていて何か欲しがったんですよ。おじいは食料を取りに行って、壕から出ると同時に弾に撃たれてその場で即死したんです」

「毒薬を飲まされて死んだ人もいるし、親が子どもの首を絞めたりもした」

「だから、戦争って敵も味方もないよ。みんな殺し合いだった」

――凄惨な沖縄戦の実相が体験者から語られます。

調査は国際的に使われているPTSDを調べる質問項目にそって行われています。

「たとえば『兵隊が追いかけてくる』とか昨日今日みたいに本当に思ってしまうような妄想に悩まされている方もいます。住民みんなを巻き込んだ凄惨な地上戦と戦後の米軍基地の問題が大きい」と語る當山教授。

沖縄戦でもっとも激しい戦闘のひとつが行われた伊江島。重いPTSDの症状に苦しんでいる76歳の女性を當山教授が訪ねました。9歳のとき、伊江島で地上戦を体験した女性は、10年ほど前から地上戦の記憶がよみがえり、不眠や抑うつ症状に悩まされています。

「薬をもらう前が大変だったんです。その時は食事もできなくて、夜も寝られなくて、歩くのも大変で、トイレに行くのもはって歩いていったんです」

(戦争の記憶を思い出すのは)「米軍のジェット機が飛んでいるときと雷が鳴っているときです。雷は爆弾の音とそっくりなんです」

1945年4月16日、アメリカ軍が伊江島上陸。周囲わずか22キロの小さな島で一般住民を巻き込んだ激しい戦闘が行われました。6日間に渡る戦いで伊江島の住民の半数以上、1,500人が犠牲となりました。

「4月16日、朝早くから大砲や爆弾、機銃の激しい音がして、もういつ自分たちの上に落ちるかと思うくらいだったんです。それで防空壕に入ろうと、私は4歳の妹をおぶって走っていたら、機銃の音がして妹が後ろに落ちたんです。弾が妹を撃ち抜いてその弾は私の背中も撃ち抜いたんです。この一発で妹は動かなくなって、私も生きたい気持ちがあるし、怖い所から早く逃げたい気持ちがあるし、妹は引っ張ってもどうしてももう動けないもんですから、そのまま私は前の人たちについて妹を残して逃げたんです」

女性の背中には妹さんの命を奪った銃弾による傷跡が残っています。

自分は妹を置き去りにして生き延びた――敵に囲まれ肉親を捨てて逃げるしかなかった地上戦の記憶がいまもこの女性を苦しめているのです。

戦後、女性は子育てに追われるなか、その記憶は心の奥に仕舞い込まれていたと言います。ところが子どもたちが次々に島を離れ、つらい記憶を共有していた母親が亡くなったことを境に、女性は戦争のことを頻繁に思い出すようになりました。

「ひとつ何かのきっかけで思い出すと次から次からついてくるんです。これは死ぬまで背負っていかないと治らないと自分で思っています。妹に会いにいくまで背負っていくんだと思っています」

PTSD調査で25点以上の人は強いストレスに苦しんでいるとされるなか、この女性の点数は54点にものぼっていました。

「私、思うんですけど、体験者は沖縄戦を乗り越えていない。『孫がいっぱい来て楽しいから』とか、『たくさん子育てをして、忙しかったから』とか表現しているけど、まだまだ乗り越えていない、進行形だと思っています」と語る當山教授。

いまも人々を苦しめる沖縄戦の心の傷。日本本土の住民が経験していない凄惨な地上戦が生んだ傷だったのです。

沖縄戦による心の傷。じつは半世紀前からその存在は指摘されていました。日本政府が1966年、沖縄本土復帰に向けて行った実態調査でも指摘されていたのです。精神障害について調べるために精神科医が沖縄に派遣され5千人以上の調査が行なわれました。この1966年の調査による沖縄の精神障害者有病率(対人口1千人)は25.7%にものぼり、本土の12.9%(1963年調査)の2倍にもなっていたのです。しかし、この時代には精神障害者の多くが隠され適切な治療がされませんでした。この問題に対処するため、本土復帰後は精神障害者の医療費の公費負担が制度化されはしましたが、主な措置は精神科への入院にとどまり問題の本質に迫ることはなかったのです。

1972年5月15日、沖縄は本土復帰しました。しかし、その後も米軍基地が沖縄の人の心をさらに傷つけていくことになるのです。

(米軍の戦闘機の音を聞くと)「またああいう時代が来ないかねと思う」

――聞き取り調査で多くの住民が共通してこう語ります。

聞き取り調査の結果、4割以上(41.0%)の人が「米軍基地や軍用機を見たときに沖縄戦のつらい記憶を思い出す」と答えていたのです。

終戦後、間もない15歳のとき、食べ物がなく山で芋掘りをしていた女性は、衝撃的な体験をします。「芋掘りをしていたら米兵が来たのでみんなびっくりして逃げたんです。立っている1人の米兵が拳銃を上に向けてパチパチと撃っていて、ほかの米兵は、女性を軍の靴で踏みつけにし、女性を倒して強姦していて、私は怖くて逃げました」

この女性は3人の子どもを育てあげました。ところが終戦から50年がたった1995年、沖縄を揺るがした事件が女性の心の傷口を開いたのです。

1995年9月4日、沖縄県内で3人の米兵が女子小学生を連れ去り、集団で暴行をしたのです。さらに日米地位協定により犯人の身柄がアメリカ側から日本にすぐに引き渡されなかったことが大きな社会問題になりました。

「あのときに私は暴行事件のことを思い出したんです」と語る女性。

戦争直後の暴行事件によって受けた心の傷。半世紀を経て同じ事件が起こることで再びこの女性は心を傷つけられたのです。

戦後繰り返された米軍の戦闘機の事故が大きなトラウマになった人もいます。

「あんたらを見ると(テレビクルーのこと)自分の息子も成長していたはずで、今頃、息子がいたら自分の人生は変わっていたかなと思うと今でもつらい」と語る女性は、1日に何度も飛び交う米軍の戦闘機。その姿を見るたびに、つらい記憶がよみがえり眠れなくなります。

戦争中、戦闘機に追われ、防空壕ですごした女性にとって、戦争の記憶を忘れさせてくれる大切なひとり息子でした。子どもが7歳のとき、1959年6月30日、米軍ジェット機墜落事故が起きます。子どもが通っていた小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落したのです。この墜落事故で小学生11人を含む17人が死亡。重軽傷者は210人にのぼりました。この女性の子どもは、身体の半分に大火傷を負ったものの皮膚移植で奇跡的に命をとりとめました。しかし、移植した皮膚の発汗機能に異常があったため腎臓に障害が出て、墜落事故から15年後の1974年に亡くなりました。墜落事故と息子の死は、女性の心に大きな傷を残しました。

そして、2004年8月13日、沖縄国際大米軍ヘリ墜落事故が起こり、この女性の心の傷を再び切り裂いたのです。

「もう自分の息子だけでいいって、どこにも墜落しないようにって思っていたさ。しかし、大学に落ちたさ。これが一番悔しかった」と涙ながらに語る女性。

戦時中、沖縄を焼き尽くし、戦後は息子を奪った米軍戦闘機。いまも沖縄の空を飛び続け、この女性の心は安まる時はありません。

過酷な地上戦で受けた沖縄の心の傷は、本土復帰をめざす中で、一端は覆い隠されたように見えました。しかし、復帰以降も米軍基地から戦闘機は飛び続け、米兵による犯罪が繰り返されました。戦争はいまだに終わっていないのではないか? 沖縄の人の心はそう思うたびに深く傷ついていったのです。

沖縄戦を体験した4割以上がいまも戦争のトラウマに苦しんでいます。凄惨な地上戦の記憶。そして、戦後も沖縄に残った基地。いつになったら心の傷が癒える日が来るのか? 67年がたった今もその答えは見つかっていません。

――以上が番組の要旨ですが、ブログ仲間の「労働組合ってなにするところ?」のみどりさんが「ETV特集『沖縄戦 心の傷』の感想」というエントリーを書いていて、とても重要な指摘をされていますので、最後に一部ですが以下転載させていただきます。

 沖縄戦のPTSDについて、全日本民医連の機関紙「民医連新聞」の取材に対して、蟻塚医師は次のように説明しています。

「大人は辛い体験を言語化して整理し、徐々に記憶のファイルに移します。ところが、幼少年期に沖縄戦を体験した世代は、体験を言語化できないまま抱え、それが正体不明のストレスとして暴れて患者を苦しめるわけです」

治療は薬のほか、患者ミーティングを開き、戦争体験を語り合うこと。「記憶を言語化し、しかるべき“戸棚”に収める作業。これで症状を和らげます」と蟻塚さん。(「民医連新聞」2012年7月16日付第1528号)

調査によって、辛い記憶を掘り起こすことがかえってよくないのではないかと危惧していましたが、記憶を言語化する作業が治療に役立つということであれば、調査は治療につながると言えるのではないかと思いました。

みどりさんのブログ「労働組合ってなにするところ?」の「ETV特集『沖縄戦 心の傷』の感想」より)

 

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員、労働運動総合研究所(労働総研)労働者状態分析部会部員、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)がある。ここでは、行財政のあり方の問題や、労働組合運動についての発信とともに、雑誌編集者としてインタビューしている、さまざまな分野の研究者等の言説なども紹介します。

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