国家に寄生し私物化する安倍政権 – 政治主導のヘイトスピーチ、日の丸振り回し仮想敵煽る右傾化、歴史修正主義の押し上げ、空洞化する国民生活|中野晃一上智大学教授

  • 2015/8/15
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私が企画・編集した中野晃一上智大学教授へのインタビューの一部を紹介します。(※「安倍政権の少数派支配 – 多数決さえなく少数決となる小選挙区制は民主主義とは別物|中野晃一上智大学教授」、「裏口入学で憲法を殺す安倍政権の「戦争法案」 – トリックとしての公明党ブレーキ役|中野晃一上智大学教授」に続くインタビューです。(※インタビュー収録は2014月12月19日で、『国公労調査時報』2015年2月号に掲載したものです。タイトルに付けた問題のほかにも後半ではリベラルと左派の課題についても指摘しています)

小選挙区制で少数派支配
安倍政権の暴走にストップを
中野晃一上智大学教授インタビュー

――中野先生は著書の中でキャリア官僚の動きも追っていらっしゃいます。官僚の権威が失墜する中で、余計に右翼的な勢力が台頭してきたとお考えですか?

小選挙区制は官僚も骨抜きにした

そうですね。特に90年代、いわゆる失われた10年、20年と言われるようにバブルが崩壊し、冷戦も終わった。その中で自民党も一党支配が終わるということがありました。55年体制が終わるわけです。その中で、自民党は官僚側に責任のすり替えを行ったところもあって、実際に省庁においても、バブル期を中心に汚職事件や問題行為が明らかになりました。自民党はそれをかばうような体力もなかったし、むしろそちらに目先を変えて自分たちも改革政党なんだというポーズを取りたがった。ある意味、そこで政高官低のような状況ができるわけですね。それによって官僚の文化や行動規範も変わっていったように思います。

天下りや接待などの面でルールが厳しくなった一方で、めざとい官僚はある程度早めに政界に出てしまう、あるいは財界に出てしまうという行動をとる。残って出世する場合は権力者にすり寄っていくという形に移っていきました。それは実際のところ、小選挙区制や中央省庁再編のような、いわゆる改革と呼ばれていたものが志向していたものでもあったわけです。というのは、小選挙区制によって2大政党のどちらかのマニフェストが承認され、官僚はその言うことを聞けということでやってきているわけですから、官僚側が政界の時の権力者になびいていくような体質に変わっていくのは、ある意味意図されたところでもあったわけです。その結果、法の支配を担保する行政のプロであったはずの官僚たちまでが骨抜きになり、今のようなタガが外れた状態が用意されてしまったということはあると思いますね。

「寄生階級」が国家を私物化し、日の丸を振り回して誤摩化す

――新自由主義の下で、国家がやるべき国民の生活を守るということを自己責任にし、その結果、国家が支える国民生活は空洞化して、官僚は天下りなどで甘い汁を吸うという構造になっています。国民には自己責任だという一方で、自分たちだけは甘い汁を吸っている。

結局、政治家も同じことをしているわけですね。とりわけ90年代後半からどんどんそういった傾向が高まって、小泉政権期で加速したのだと思います。それはやはり、保守のあり方自体が大きく変わっているということがあるのだと思います。それまでであれば、岸信介でさえ年金などの制度を整えたことに見られるように、一定の国民生活が担保されない限り、国家というものの権威は維持できないという了解があったと思います。しかしその後は、統治エリートが遥かに簒奪的・収奪的な動き方をするようになっていく。その場凌ぎでもいいから、今とにかく自分の権益が増やせればいいということで、あとは野となれ山となれという発想が強い。

これは実は国民生活の面だけに限らず、立憲主義の形骸化も同じだと思います。たとえば、本当の保守であれば、解釈改憲だけで集団的自衛権の行使容認などやるべきではないというのは分かるわけです。そんなことをして、時の権力者が好き勝手に憲法さえ変えてしまえるということになれば、国家の基盤である日本国憲法の権威が失墜します。また後々に悪い例を及ぼして、結局は自分たちにもマイナスが生じる。本来であれば、それが分かるのが保守の発想であるはずです。しかし自分さえ良ければいいというような形に変わっていって、どんどん驕りが見えてくる。国家という名を語りながら、中身としては少数のエリートが天下りをしたり補助金をジャブジャブ使ったりということをし、仮想敵を煽り、目をそらして国民生活をどんどん空洞化させていく。私は「寄生階級」という言葉を用いることがあるのですが、国家に寄生をして、私物化して、空洞化して、単にやたらと日の丸を振り回して誤摩化すというようなことが行われつつあるんじゃないかと思っています。

ヘイトスピーチはエリート主導によるもの

――ヘイトスピーチの問題についてはどのようにお考えですか?

時系列でみると、ヘイトスピーチあるいは在特会のようなものが出てきたのは、政治主導というかエリート主導によるものだと私は思います。週刊誌や政治家のヘイトに満ちた言説が先に出てきて、社会がそれに呼応するような形になっているというのが、より実態に合うのだと思います。

今はもうない文春の『諸君!』やフジ産経グループの『正論』などのマスメディアで、とりわけ90年代の後半から反日、嫌韓、媚中といったレッテル貼りが出てきました。特に中国・韓国・北朝鮮などをターゲットとしたヘイトのまき散らしが始まったのです。その中で歴史修正主義的な本も広く出てくるようになったという状況がありました。それに続いて小泉さんが靖国に参拝をし、日米関係さえ良ければあとはどうにでもなるんだとうそぶいて、日中関係、日韓関係に関して一切歩み寄ろうという姿勢を示さなかった。自分の国がどこに行こうと他国に言われる筋合いはないという形でやっていたわけです。それが今の風潮を後押ししたというのはあったと思いますね。それで親中派と書かれていた人たちが媚中派と書かれたり、反日政治家と書かれたというようなことがあって、その後、2006年12月に在特会が結成されるというタイミングがありました。ですので、社会や街角にヘイトが出てくるというのは、マスメディアや政治家の誘導によるものが大きい。マスメディアや政治家がヘイトスピーチの先鞭をつけたという方が実態に近いと思います。

これは、レイシズムやゼノフォビアについて日本とヨーロッパの比較をしてみても、やや際立つところではあると思うんですね。ヨーロッパでもゼノフォビアやEU反対、あるいはイスラムに対する嫌悪感は大きな問題になっているわけですが、あちらはむしろ社会主導的なところがあります。実際には移民労働者の数が増えているとか、治安の問題だとか、いろんな問題をつなげて論じられるような中で、ある種そうした団体が出てきているのだと思いますが、日本の場合はコンビニで働いているような中国人や韓国人の人たちに対して暴力やいやがらせが多発するということはないですよね。

明らかにエリート側が煽る形で、次第に社会もそれに呼応する部分が出てきている。もちろんマイノリティに過ぎないけれども、そのマイノリティがどんどん目立つ、声が大きいということで、それがさらに雰囲気をつくってしまっているというところがあると思います。

マスコミや政治家エリートの責任は非常に大きいと思います。ヘイトに限らず、いわゆる右傾化の全体がエリート主導で来ていると思っています。ですので、長期的には社会に対しての影響は出てくると思いますが、社会が先に動いて極右政党が出てくるという話ではないと思うのです。そうすると、国民世論と安倍政権の政策との間に随分乖離があるというのは、そういうところに問題があるともいえると思います。

リベラルと左派が砦を築き直し新たな地平へ

――そうした選挙後の状況の中で、今後の社会運動はどのように展開していけばいいでしょうか?

より広い運動をつくっていくことが大事で、特効薬はないと思います。というのは、安倍政権がここまで暴走するようになったのは、安倍さんが登場していきなりそうなったわけではなく、その前に小泉さんの準備があり、小泉さんがあそこまでやってしまう前提条件として、橋本さんの改革があったり、小選挙区制の導入があったり、もっと前には中曽根さんの労組叩きや小沢さんの社会党潰しなど、いろいろな動きが段階的に進められてきたわけですね。

反動的な戦略で歴史修正主義を政治のメインストリームに押し上げた

歴史修正主義に関してもそうです。95年の村山談話の時には自民党の中は割りましたが、世論や日本の国民常識でいえば、村山談話的なものにある程度コンセンサスがあったと思います。当時の中川さんや安倍さんみたいな歴史観は異端中の異端で、極一部のちょっとおかしな人が言っているだけのような話でした。南京虐殺はなかったとか「慰安婦」はみんな売春婦だとか、そんな言説は一部の極端な人たちのものだと見なされていたわけです。それが約20年の間に、すでに政治のメインストリームになってしまっている現実がある。それは逆に、私たちの方がそこから反省しなくてはいけないと思うのです。

彼らは、95年の段階では誰も耳を貸さなかったことをメインストリームにするだけの、組織的な戦略を展開してきているということです。それは権力を握っていたからやりやすかったということも当然ありますが、私たちも社会の中で一つひとつ砦を築き直し、失った陣地を取り返さなきゃいけない。そして新たな地平を開いていかなければいけないと思うのです。

そういった意味では、先ほどの戦略的投票とは別のレベルでの戦略的な試みが必要だと思います。ただ、できるだけ早くこの安倍政権は失墜させた方がいいと思うものの、それで問題が解決するほど甘いものでもないと思います。安倍さんがいなくなってもまた同じような別の人が出てくることになりますから、それをひっくり返した上でバランスをしっかり取り直すためには、やはり、より広いたたかいができるようにしていかなければいけないと思うのです。

リベラル層との連携における課題

そのためには、私は2つ重要な点があると思っています。

一つは、いわゆるリベラルです。よくリベラル左派とくっつけて言われますが、同じものではありません。いわゆるリベラル陣営は、新自由主義と呼ばれるものの問題点をきちんと直視し、それが唱える自由がいかにやせ細った企業だけの自由かを訴える必要があります。

安倍さんが国会の施政方針演説で「日本を世界で一番企業が活動しやすい国にしたい」などと言っていますが、当然それは労働者にとって一番辛い国になるわけです。そのようにグローバル企業の最大化になってしまっていて、そのためには何が踏みにじられても構わないというところまできてしまった。その自由の中身の薄さをきちんと直視し、そうではないんだということで、自由のもっと豊かな意味を取り戻すことが非常に重要だと思います。そういった意味で、リベラル層というのは新自由主義ときちんと対決をし、そこの問題点あるいは看板に偽りがある部分を暴く作業をやっていかないといけない。でなければ左派がそこと組むのは極めて難しいということになってしまうと思います。

今回の戦略的投票の無理も、それが一つあったと思うんですね。もうちょっと新自由主義の問題点についてきちんと分かっている候補者がいれば、左派とリベラルの連携はやりやすかったと思う。その辺はきちんと考えるべきだと思っています。

社会の多様性に応える勢力に

もう一つは左派の方です。今回の選挙では共産党が躍進しましたが、そうはいっても、かつてと比べると勢力が弱まっているのは間違いありません。これだけ社会問題が山積みになっているのに、共産党がもっと多くの人に支持されないということについて、自分たちにも何か問題があるんだと受け止め、きちんと向き合うべきだと思います。

そもそも左派がここまで弱まった一つの理由は、当初、冷戦期の文脈の中で多くの人たちが渇望していた自由な生活、自由な社会のあり方に応えるものが、新自由主義にあったからなんだと思うのです。それを左派はきちんと受け止めなかった。団結だとか理論だとか、自分たちが正しくて自分たちの指導によって社会を導くというような姿勢がどうしてもあった。その中で教条主義的なところ、独善的なところが、社会の多様な自由に対する憧れに対して応えることができなかった。そういう問題が大きいと思います。

今の共産党は、より魅力的な候補者を探してきたり、インターネット発信を非常にがんばっていたり、努力していることは充分承知しています。でもまだまだそういった努力が足りない。自分たちが正解を持っていて、他の人たちにそれが届かないという発想ではなく、より開いたあり方で議論をして、自分たちも学んでいくという姿勢が出てこない限り、なかなか連携はしてもらえないだろうと思います。

だからリベラルと左派の両側が自分たちの問題点を乗り越えつつ連携できるような、役割分担ができるような体制が整っていくことを、ちょっと気が長い話ですが、これから10年、20年かけてやっていかなければいけない。ただ、それをやれば今とは違った政治バランスが取り戻せるのではないかと思います。

違いを認めた上で連帯を広げる

――若い世代の反原発運動や特定秘密保護法反対運動などに希望を感じます。

そうですね。状況がそれだけ悪くなっているといえばそういうこともあると思いますが、まさにそういったところが、希望の持てる要素に今なっているんだと思います。

日本は一般的に若者の政治意識が低いと散々言われているし、実際にそういうところもあると思いますが、その中でも自分たちで新たな運動をつくったり実際に活動していて、私も含めて上の世代にはできないインターネットや動画を駆使してより広い呼びかけをしようとしています。それは非常に心強いことだと思いますね。そういったことを受け止めるようなあり方に、今後、既存の対抗勢力も変わっていかなければいけません。

その点で非常に気になっているのは、これまでは同じ利害を共有する者たち、アイデンティティを共有する人たち同士の団結に強調点が置かれていましたが、そういう発想ではいけないのではないかということです。異なる立場にある人間たちの連帯という方向でみていく必要がある。同じでないから喧嘩するのではなく、違うということを前提にした上で共闘することができないか。今こういう国家権力の暴走に対してたたかうために役割分担ができないか。違いを認めた上で連帯を広げるということを模索するべき段階にあると思うのです。もちろん若者たちの新しい運動が間違えることもあるでしょうし、私たちも間違えることがあるでしょうけれど、そういったところはあまり厳しくお互い糾弾したり総括しないで、失敗してもまた立ち上がり、一緒にたたかうということで乗り越えていくというような、柔軟な、より自由で多様な思考錯誤を認めるようなやり方をしていかなければ、およそ持たないと思う。そこはある意味、若い世代よりも、従来の運動体側に迫られる変化です。そうしないと高齢化が進んでいくばかりで、なかなか若い人たちと上手くつながっていくことはできないと思いますね。

非正規労働者や女性とつながる労働運動を

――労働組合は組織率が17.5%となり、史上最低を更新してしまいました。私たち国公労連は、国家行政機関で働く仲間で組織する労働組合ですが、労働組合や国公労働者への要望などがあればお聞かせください。

誰のための労働運動なのか?

労働運動の問題としては、誰のための労働運動なのか? というところが伝わり切っていないと思います。それは、労働組合の問題点や限界をことさらに取り上げてきたマスコミなどのこれまでのネガティブキャンペーンの影響が大きいと思います。しかし組織率の低下をそれだけのせいに帰結することはできません。その点はやはり、組合員だけ、あるいは執行部だけではなく、社会全体のためにより広い層の代表として自分たちは活動しているんだということを、自信を持ってもっとアピールしていく必要があると思います。

そのためには、非正規雇用の労働者や女性労働者とどうつながっていくのかということが非常に大事になってくると思います。そこで存在感をより発揮できるようになれば、ポジティブなメッセージもたくさん出てくると思うのですね。もともと、労働組合に限らず一般的な対抗運動やリベラル左派の側が持たれてしまう印象は、いつも怒っていて、いつも反対しているというものです。そうした捉え方をされがちだし、そういうフレームアップをされてしまうところがある。

ポジティブな、前向きなメッセージの発信を

もちろん問題が多いから反対するわけですし、国家権力をこれだけ右傾化勢力に握られている中だと反対せざるを得ないわけですが、やはりポジティブな、前向きなメッセージを発信することも大切です。そして笑いの要素も入れることが必要です。

人間というのは、間違ったりする自分自身を笑えるようなところがあって初めて心が通えることもあると思うので、あまり優等生的で教条主義的にならず、かえって人間としての限界もちゃんと認めた上で活動した方がいいと思います。そういうのが「顔が見える」ということだと思いますし、いつも怒って反対ばかりしているという印象も持たれないような工夫をするのは、一層必要になっていると思います。

2014月12月19日、中野晃一上智大学教授談

▼インタビューの一部を視聴できます。

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学教職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員(教宣部長)、労働運動総合研究所(労働総研)理事、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者、日本機関紙協会常任理事(SNS担当)、「わたしの仕事8時間プロジェクト」(雇用共同アクションのSNSプロジェクト)メンバー。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)があります。

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