食料品の袋を抱えた女性をチリヂリの肉片に吹き飛ばしたイラク帰還米兵が殺人犯す確率は市民平均の114倍 – 安倍政権が狙う血を流す軍隊が市民の命と尊厳奪う

  • 2015/8/16
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(※2013年5月3日の憲法記念日に書いたものです。上の写真は「産経ニュース」サイトにアップされていたものです)

きょうは、1947年の施行から66年目の憲法記念日です。安倍政権は、憲法96条の改正発議要件が厳しすぎるから国民投票できないというデマを流しながら、まず改憲の発議を国会議員の3分の2以上の賛成としている憲法96条の改憲を手始めに、自衛隊を「国防軍」に変える9条改憲などを狙っています。

安倍政権が9条改憲で「血を流す」「国防軍」をつくりたくてしょうがないことは、上の写真でよく分かります。安倍首相が迷彩服で戦車に乗って戦争の先頭に立ちたいのなら、最初に、戦争が開始されたら10時間以内に、次の順序で最前線に一兵卒として送り込まれる以下の「戦争絶滅受合法案」こそつくるべきだと思います。

 かつて「戦争絶滅受合法案」なるものがあった。前世紀の初めデンマークの陸軍大将フリッツ・ホルムが、各国に次のような法律があれば、地上から戦争をなくせると考えたのだ。戦争が開始されたら10時間以内に、次の順序で最前線に一兵卒として送り込まれる。第1、国家元首。第2、その男性親族。第3、総理大臣、各省の次官。第4、国会議員、ただし戦争に反対した議員は除く。第5、戦争に反対しなかった宗教界の指導者。――戦争は、国家の権力者たちがおのれの利益のために、国民を犠牲にして起こすものだとホルムは考えた。だから、まっさきに権力者たちから犠牲になるシステムをつくれば、戦争を起こすことができなくなるだろう、というわけだ。

高橋哲哉著『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)より

上記の「戦争絶滅受合法案」もないまま戦争が行われると、どういう事態に陥っていくかは、これまでも紹介してきました。たとえば、「27分ごとに発生する米兵の性暴力で女性兵士の3割がレイプ被害 ? 軍隊は女性も住民も兵士自身も守らない」、「米軍の母親兵士6万人が戦った史上例なきイラク・アフガン戦争、26歳の女性兵士は12歳のイラク人少年を撃ち殺し自分の子どもを愛する感情も戦場に奪われた」などです。

「戦争絶滅受合法案」がないままの戦争で犠牲になるのは、他国の一般市民、女性、子ども、そして、その戦争を遂行する兵士自身をも壊し、自国の一般市民の命まで奪ってしまうことになるのです。以下、このことを証明している「Democracy Now!」の動画などから帰還兵らの証言の要旨を紹介します。

イラク、アフガニスタンの女性のために立ち上がると言ったが
アメリカの女性を助けることすらできていない
他国を占領することは民主主義を構築しないし
個人の自由を拡大することもない
「Democracy Now!」の動画からその要旨)

2012年5月20日から21日、北大西洋条約機構(NATO)首脳会議が米国シカゴで開催されました。首脳会議の会場に向けて従軍メダル(栄誉の勲章)を投げつける抗議デモを主催したのは「反戦イラク帰還兵の会」。1971年にベトナム帰還兵が連邦議会の外で行ったのと同じです。以下、抗議デモでのイラク帰還兵、アフガニスタン帰還兵の発言要旨です。

アレハンドロ・ビジャトロ氏  陸軍軍曹だった。2003年はイラク、2011年にはアフガニスタンに従軍した。もう戦争には行かない。2度と殺さない。無実の人々を殺した者も、国内で戦争継続を助けた者も、戦友の死を見守った者もいる。ここにいない仲間もいる。自殺したからだ。政府が約束していた傷ついた帰還兵に対する治療は反古にされ、破綻した政策が多数の死者を招くのを見た。イラク戦争にそんな価値があったのか? 従軍メダルが慰めになるのか? それとも政府のウソと腐敗を隠し、祖国のために戦った若者への虐待を隠すためか? メダルのウソを暴きたい。

ジェイソン・ハード氏  10年間、衛生兵をつとめた。2004年イラクに行った。イラクとアフガニスタンに連帯し従軍メダルを返上する。私たちは世界中を破壊した。心から謝罪したい。

マット・ハワード氏  海兵隊でイラクに2度行った。従軍メダルを3つ返上する。脳損傷や軍隊内の性的暴行、PTSDに苦しむ仲間のために。

ザック・ラポルト氏  違法な戦争に参加してだまされたと思った。イラク人の解放のためだと言われたが油田を開放させる戦争だった。

ブロック・マッキントッシュ氏  州兵だった。2年間、アフガニスタンに従軍した。2カ月前、アフガニスタンの友人とグラウンド・ゼロを訪ねた。悲劇の記念碑だ。でもアフガニスタンの死者3万人には記念碑なんてない。彼らのために従軍メダルを返す。

ビ ンス・エマニュエル氏  海兵隊だった。最も大切なのは敵は7千マイル先ではなく役員室にいる。企業重役たち、銀行やヘッジファンド経営者だ。戦地ではなく、このアメリカで毎日、顔を見る連中だ。そこにいる警官たちではなく、世界を支配する億万長者たちだ。もううんざりだ。こんなメダルはいらない。

アーロン・ヒューズ氏  2006年までイリノイ州兵でした。女性兵士の3割に上る性的暴行の被害者がいる。アフガニスタンの女性のために立ち上がると言ったが、アメリカの女性を助けることすらできていない。退役軍人たちはテロに対する世界規模の戦争という間違った政策と日々向き合って生きなければならない。10年に及ぶ戦争で我々は一体何をしてきたか? 米軍が民主主義を構築できるという考えと、米軍が人々を管理し支配し殺害するために軍隊を訓練するという考えの間には、道徳的に大きなギャップがある。他国を占領することは民主主義を構築しないし、個人の自由を拡大することもない。アラブの民衆蜂起である「アラブの春」のような運動こそが民主主義を構築していく。ガンジーの活動、米国での公民権運動のような民衆の運動こそが民主主義を拡大するのであって、軍事力がそうするのではない。

戦争の地獄を持ち帰る者たち
――イラク帰還兵による殺人、自殺、誘拐
「Democracy Now!」の動画からその要旨)

イラクやアフガニスタンからの帰還兵の証言で、見えない敵を相手にテロとの戦争をする米軍が、疑心暗鬼にかられて非武装の民間人をいとも簡単に殺傷する状況が明らかになっていますが、こうした民間人への攻撃に習熟し、殺人の訓練を受けた兵士たちが復員した後、故郷の日常の生活に簡単に復帰できるものなのでしょうか?

コロラド州の新聞が、殺人の訓練を受けた兵士が民間人に戻ることの難しさを検証する衝撃の記事を掲載しました。「戦争の犠牲者」という記事は、フォートカーソン基地で「殺傷兵器」と異名をとる第2大隊第12歩兵連隊に焦点をあてています。イラクで最も凄惨な戦いに参加したこの部隊の帰還兵たちは、その多くが乱闘、殴打、レイプ、飲酒運転、麻薬取引、家庭内暴力、発砲、刺傷、誘拐、自殺などを引き起こし、一部の兵士は帰国後も殺人を続けています。彼らが殺人を犯す確率は、コロラドスプリングス市の平均の114倍にのぼるといいます。

帰還兵の半数近くが何らかの形で障害を抱えているとも言われていますが、テロとの戦争はイラクやアフガニスタンだけではなく米国の国内にも確実に蝕んでいるようです。

殺人訓練を受けた後、民間人に戻る難しさが露呈しています。コロラド州フォートカーソン基地の第2大隊第12歩兵連隊は「殺傷兵器」とも呼ばれます。ラマディやバグダッドではイラクで最も凄惨な戦いに参加しその後アフガニスタンへ送られました。一部の兵士は帰国後も殺人を続けます。2006年以来、10人が殺人や殺人未遂の疑いで逮捕され、凶悪な罪を犯した者や自殺した帰還兵もいます。2007年秋からの1年間で同部隊の兵士が殺人を犯す確率は市民の平均の114倍でした。2006年21歳の兵士が麻薬密売人をスタンガンで何度も撃ち心臓を撃って殺しました。2007年8月、24歳の帰還兵が行きずりの兵士から金品を奪い射殺しました。12月、3人の帰還兵が蜂の巣にした同僚の遺体を路上に置き去りにしました。3人は2カ月前にも出勤中の女性を車ではね、刃物で何度も刺しています。2008年5月と6月、2人の兵士が車から突撃用ライフルで通行人を撃ちまくりました。9月、兵士が元恋人を殴り殺し、兵士が妊娠中の妻を殴って生まれた子どもは重度障害ですぐに死にました。帰還兵の市民生活復帰のため軍が支援策を講じても殺人は続きました。19歳の女性を射殺した帰還兵が殺人罪に問われその直後に別の帰還兵が自殺しました。

「戦争の犠牲者」を書いたガゼット紙の記者デイビッド・フィリップス氏  さきほど紹介された殺人事件は氷山の一角です。他にも襲撃事件やレイプ事件、誘拐事件も起きています。

2004年部隊は当時のイラクで最も危険な場所に送られました。ラマディ周辺のスンニ派三角地帯です。1年後に帰還した兵士は1年間の休暇後にバグダッド市に送られました。そこも危険地帯でした。2回とも明確な敵がいないのに反乱勢力の鎮圧を命じられ大量の兵力損失をこうむりました。この小さな1部隊だけで基地全体の犠牲者数の約半分を占めています。国に戻ってきた兵士の多くは当然ながら問題を抱えていました。戦闘により感情面や精神面でダメージを受けていました。

アンソニー・マルケス氏は19歳で歩兵隊に入りました。それまではよい子でサッカーチームのキャプテンでした。かっこいいから入隊したそうです。彼はラマディに派遣され友人が殺されるのを見ました。本人もかなりの重傷を負いました。そしてアメリカに送還されますが、もう少しで片足を失うところでした。彼はブッシュ大統領から名誉負傷勲章を授与されました。コロラドに戻った彼は外傷後ストレス障害(PTSD)を発症します。彼はPTSDに対処するため足の傷のために処方された鎮痛剤を大量摂取し始めます。警官である彼の母親は息子の異常な行動に気づきました。薬の乱用や悪夢や怒りの発作、いつも弾をこめた銃を持ち歩いていることなど。母親はフォートカルソンの軍曹に電話し息子はいずれ何か起こすと助けを求めました。でも軍曹は本人が望まないなら助けようがないと言い放ちました。おまけにその後、アンソニーを侮辱し始めた。「お前はおかしくなるとママが言っているぞ」と。その8カ月後、アンソニーは麻薬密売人を射殺しました。少量の大麻をめぐる争いの末です。

▼「冬の兵士」集会
イラク・アフガニスタンの帰還兵が戦争の残虐さを証言
「Democracy Now!」の動画からその要旨)

1971年の「冬の兵士」議会集会を報告するジョン・ケリー氏  数カ月前、デトロイトの調査会で名誉除隊者が叙勲者も含め150人以上も東南アジアで行った戦争犯罪を証言しました。特別な事件ではなく日常的な犯罪であり、すべての指揮官が承知していました。国がやらせたおぞましい残虐行為の数々を再び体験したのです。彼らは語りました。自分がやった強姦や耳や頭を切り落としたことを。電話線を人間の性器につなぎ電源を入れました。手足を切り落とし無差別に市民を銃撃しました。チンギス・ハンのように村々を破壊し遊びで家畜や犬を殺し食糧庫に毒を入れ南ベトナムの田舎を略奪しつくしました。戦闘にともなう破壊だけではなかったのです。調査会の名は「冬の兵士」。その由来はトーマス・ペインが1776年に過酷な軍務を嫌って脱走した者を「夏の兵士」と呼んだことです。議会に来たのは、今こそ私たちは「冬の兵士」になるべきだからです。ベトナムの事態について沈黙を守ることもできました。でも黙ってはいられない。この国を脅かしているのは共産主義ではなく我々の犯罪こそが脅威だからです。ベトナム帰還兵たちの心が傷が何をもたらすのかお話ししたいと思います。アメリカは気づいていないが怪物を作ったのです。暴力だけを信じろと教え込まれた数百万人の男たちです。史上最大のデタラメのために彼らは死にかけたのです。

ジョン・マイケル・ターナー氏  私は第8海兵隊に従軍し自動機関銃砲兵でした。2006年4月18日、最初の殺人をしました。彼は何の罪もなく私は名前すら知りません。家へ向かって歩いているところを友人と父親の前で射殺しました。首を撃った一発目では死にませんでした。彼は叫び声を上げ私の目をまっすぐ見据えました。私は隣にいる友人を見て言いました。「放っとけないよな」。そして射殺しました。彼の遺体は家族7人がかりで運ばれて行きました。我々は皆初めての殺しをすると部隊で祝いました。隊長は他の皆にするように私にも祝いの言葉をかけました。この人は最初の殺しが刺殺ならイラクから戻った時に4日間の外出許可証をやると言った人です。あるとき政府センターの2キロ南で銃撃がありました。弾丸が来る場所は分かりませんでした。交戦規制では発射地点を確認しそこを攻撃するとされています。しかし確認もしないでロケット弾を民家にぶち込みました。誰かいたのか本当にそこから撃っていたのかも分かりません。従軍記者がいると私たちの行動はまったく違います。いつもの行動はさし控えすべて教科書通りに行うのです。偵察という名の銃撃もよくやりました。少しでも危険を感じたら発砲して銃撃戦を始めるのです。攻撃されてもいないのに、憂さ晴らしで銃撃することもありました。罪のない人々に向けた私の憎悪を破壊行為をお詫びします。同僚が犯した犯罪行為も申し訳なく思っています。あの時は何も感じなかったが現実に戻れば違っていました。人々がこの実態を知らない限り戦争の犠牲者は増え続けるでしょう。私は自分の行為を謝罪します。もう化け物ではありません。

ターニャ・オースティン氏  私はアメリカ陸軍退役軍人です。これらは本当にぎょっとするような統計です。大学のキャンパスでは25%の女性が性的暴力を受けます。12%の女性が大学在学中にレイプされます。軍隊にいる女性の28%から66%が性的暴力の報告をしています。数字に大幅なばらつきがあるのは軍側の報告と退役軍人省の報告の違いです。退役軍人省の誰かに性的暴力を受けていたと伝えるほうが、自分の上官に言うよりもはるかに簡単で、上官に伝えるというのは正しい選択ではありません。それで27%の女性がレイプされたと報告されています。そしてこの統計で興味深いのが、レイプされたと報告しても、レイプした犯人が起訴されなければ、レイプされなかったことになる点です。その場合はこの統計の内には入りません。そして、残念ながらこれは私たちの軍ではあまりにも頻繁に起こっていることで、それは自分たちの仲間から受ける最悪の経験である性的暴力やレイプの隠蔽なのです。

では、彼らがこれについて現在どんな対策を講じているかお話します。国防総省自体の統計によると、レイプまたは性的暴力で有罪判決を受けた兵士たちのうち74%から85%が、名誉除隊で軍を去っており、つまり、レイプの有罪判決はそれらの人々の記録のどこにも表れてきません。レイプの罪を告発された兵士うち、ほんの2%から3%が軍法会議にかけられています。そして家庭内暴力で訴えられた兵士たちのうち、ほんの5%から6%が軍法会議にかけられています。実際、刑事起訴されることすらなかったいくつかの複数殺人事件が最近軍の基地で起きています。国防省が定義する男性兵士の士気高揚とは次のようなものです。女性兵士は必要なだけ使用して、終わったら捨て去り、そのまま名誉ある兵役を続けるべし。多くの人々が恥辱に沈黙して苦しんでおり、何が起きているか決して忘れることはないのだということを覚えておいてください。

ジェイソン・ウォッシュバーン氏  海兵隊の伍長でした。退役するまで の4年間にイラクに3度派遣されています。最初の2回は第4海兵連隊第1大隊C中隊に、3回目は第1海兵連隊第3大隊兵器中隊に配属されました。イラク侵攻が始まったときから参戦して、やがて侵攻が終わると、ヒッラに駐留することになりそれが2003年のことです。04年から05年にかけてはナジャフに、05年から06年にはハディーサに駐留していました。

私が3回派遣されていた間、交戦規則はたびたび変わりました。まるで、振り向くたびにいつも交戦規則が変わっていると思えるほどだった。その地域の時々の状況に応じた脅威のレベルがどのように想定されるかによって交戦規則を変える のだ、というのがいつもの説明でした。そして脅威のレベルが高いほど、凶暴に反応することを許可され、また期待されるのです。

たとえば、侵攻している間は、どんな相手とやりあう場合でも、まず目標識別を 行なうようにと言われました。しかし、もし目的とする町や都市に脅威があると分かっていたら、以前にその地区を通過した部隊があって多数の犠牲者を出していたなら、基本的にというか、何であれ撃っていいとされていた。自由発砲地帯とみなされるのです。それで、私たちは町なかを走りぬけ、見たもの何でも、見 えたものすべてを相手にし発砲したものです。まったく規則なんかなかった…いやつまり、侵攻している時には、標的に対して武力をどれほど使っても、それを制限する規則はありませんでした。

食料品の袋を抱えた女性をチリヂリの肉片に吹き飛ばした

通りがかりのひとりの女性のことを覚えています。大きな袋を持っていて、こちらに向かってくるように見えた。で、私たちは彼女に向けMk19自動擲弾銃をぶっ放したのです。そして粉塵が収まると、その袋には食料品がいっぱい詰まっていただけだと分かりました。彼女は私たちに食べ物を届けようとしていた。それなのに、私たちはこの人をチリヂリの肉片に吹き飛ばしてしまったのです。

侵攻が終わってブッシュが「任務完了」を宣言したあとでは、交戦規則が劇的に変わりました。住民を服従させるために実際に発砲するのではなく、いろんな接近戦というか、直接格闘するタイプのもの、単に取っ組み合いをするような暴力 を使うようになりました。徒歩でパトロールする機会が多くて、それで、だれにも隊列を横切らせてはならないと命令されていました。ですから、警戒心もない住民が隊列を通り抜けたり横切ったりしようとすると、銃の床尾で打ちのめしたり、銃口で突き倒したり、蹴り上げたり、何でもしたものです。そうやって、隊列から放り出してしまうんです。またある時、かごにいっぱい食料を積んだ自転車に乗った男がやってきて、彼は、そう、ただ走り抜けようとしたんです。それで、私たちは、彼にラリアットをかまし、自転車をぶち壊してしまった。なぜって? もちろん隊列を通り抜けようとしたからです。そして…、しかしこれ が、私たちがやるように求められていたことなのです。

それから、別の例ですが、燃料補給所の警備を命じられたことがありました。一日の任務が終わって、何事もなかったようなので、皆でトラックに乗り込みまし た。ちょうど出発しようとしていた時のことです。大勢の人が、イラク人が、燃 料を手に入れようと燃料ポンプのところに押しかけてきました。それで、分隊長が本部に指示を求めた。返答は、無線から流れた返事は、「どうするかだと? わかったことだ。やっちまうんだ!」お気づきだと思いますが、実際にはもっと毒々しい言葉でした。それで、私たちはトラックから飛び降り、イラク人に突 撃し、ライフルや拳や足や、ありとあらゆる物でこてんぱんに打ちのめしまし た。そして、彼らが逃げ去るか、けがをして血を流し意識不明でぶっ倒れたら、トラックに乗り込みその場を去ったのです。そこで誰かを拘束するようにとか、尋問するようにとか、命令されることはまったくなかった。めちゃくちゃにしてしまえと言われただけでした。

罪もなく殺された人たちのほとんどは、私が実際に目撃した経験から言えば、運 転中のドライバーで、たいていはタクシー運転手です。このような人たちが、ただ運転していたというだけで殺された現場に10数回は居合わせています。3度目の派遣の時には、軍隊の車列が来たら通りすぎることができるように、全てのイラク車両は道端に停車しなければならない規則がありました。もし従わなかったり、道路に戻るのが早すぎたりすると、彼らは撃ち殺される。もし検問所にむやみに近づいてきたり、速度が速すぎたりすると、撃ち殺されるのです。

また、車両のIED、つまり車の手製仕掛け爆弾に警戒するよう何度も教えられました。こういう車に気をつけろというその描写は、どれもイラクのタクシーの特徴にぴったりと当てはまる。いいですか、パネルドアがオレンジ色でフロントが白、あるいはその逆の組み合わせの車には警戒せよと言われる。これじゃイラクのタクシーが一台残らず当てはまる。まったくこの通りの外見なんだから、車両爆弾かもしれなくて、警戒しなくちゃならない車なのです。ですから、私たちが警戒するようにと言われているのと似ている車に乗っていたというだけの理由で、たくさんの男たちが撃ち殺されました。

もうひとつの例ですが、ハディーサ近郊の私たちの作戦地域にある町で、射殺されたのは、実は町長だったという事件がありました。司令官がこの事件の写真を 私たちに見せました。中隊の全員が集合させられていた場で、事件の全容を、つまりどういうふうだったかを示す何枚もの写真を見せたのです。それからこう強 調して言いました。なぜ写真を見せるかというと、フロントガラスの一箇所に集中したすばらしい弾痕があるからだと。そして、海兵隊の射撃はこうあるべきだと、中隊の前で宣言したのです。しかし、殺されたのは、その町の町長だった。事件の後で、家族に謝罪し補償金を支払う役目を担わされたのが私の分隊でした。しかしやることは、ただ出かけて行って、いくらか金を渡して、立ち去るだ けだった。「まあ、大したことじゃない」と言わんばかりの態度で謝罪すればいいと思われていた。まるで冗談みたいな話です。

うっかり市民を撃ち殺してしまっても
シャベルを死体の上に放り投げておくだけで
彼らを反乱分子のように見せかけることができる

そのほかにも、ほとんど暗黙の了解のもとで勧められていたことがあります。証拠として残していくための武器を持参することです。3度目の派遣時にはシャベルを持参することになりました。つまり、武器かシャベルを常に持参していれば、うっかりと市民を撃ち殺してしまった場合に、ただその武器を死体の上に放り投げておくだけで、彼らを反乱分子のように見せかけることができるからです。もしくは、私の友人たちがここで証言したように、3度目の派遣時には、もしイラク人がシャベルを持っていたら、または重そうなバッグを持っていたら、もしどこかを掘っていたら、特にそれが道路のそばだったら、彼らを撃っていいと教えられました。ですから、実際にこのような道具や武器を車に積んで運んでいて、うっかりと罪もない市民を撃ち殺してしまった時には、彼らの死体の上に放り投げておいて、こう言えるのです。「なーに、あいつは掘っていたんだ。交戦規則の範囲内さ」。これは、ひろく勧められていたことですが、陰でこっそりとだけでした。確かにおおっぴらに命じるようなことではありません。しかし、そうです、とても一般的に行われていたのです。

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学教職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員(教宣部長)、労働運動総合研究所(労働総研)理事、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者、日本機関紙協会常任理事(SNS担当)、「わたしの仕事8時間プロジェクト」(雇用共同アクションのSNSプロジェクト)メンバー。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)があります。

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