漂流させられる若者たち、非正規労働の増大による日本社会の「寄せ場化」「蟹工船化」

  • 2016/8/25
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※2010年1月9日に書いたものです。

一昨日(2010年1月7日)の夜、NPOアジア太平洋資料センター(PARC)の「自由学校」で、反貧困ネットワーク事務局長・湯浅誠さんによる「雇用の流動化で漂流させられる若者たち」をテーマにした2時間にわたる話を聞く機会がありました。様々な論点がありましたが、「日本社会全体の寄せ場化」についての指摘の要旨を紹介します。(※文責=井上伸)

いまの日本において、雇用の流動化がどう進んできたかという点です。戦後の日本において、「流動する労働力」「漂流する労働者」を、国・企業が必要としてきました。とりわけ大きいのは日雇い労働者の問題です。高度経済成長期、農村部から都市部へと使い勝手のいい労働力として人の移動がおこなわれ、その中から建設現場などを支える日雇い労働者の層がつくられ、全国を転々とさせられるようになっていったのです。働く場所は建設現場などで、住む場所は飯場。建設現場の近くにプレハブが建っていてそこで雑魚寝しているような状態や、いろんな建設現場に派遣する飯場などがありました。そうした日雇い労働者は、一説には30万人いたといわれています。

そうした様々な建設現場などに派遣する飯場が一定の地域に定着していくような形で、多くの日雇い労働者が定住していった場所が「寄せ場」です。主な寄せ場としては、山谷や釜ヶ崎、寿町などがあります。日本政府などは高度経済成長で日本から貧困は無くなったとしていたわけですが、日本の貧困は寄せ場などの場所に囲い込まれてずっと存在していたのです。

そこに90年代以降、大きな変化が起きました。最大のポイントは、山谷などが寄せ場の機能を大きく失っていったということです。その要因の1つはバブルの崩壊です。不況で建設現場などの仕事が無くなった。しかし要因はこれだけではありません。なぜなら、景気が良くなればまた寄せ場は復活するはずですがそうはならなかったからです。復活しなかった理由の1つは寄せ場にいる人たちの高齢化が進んだからです。寄せ場はバブル崩壊による不況と高齢化のダブルパンチにみまわれました。

こんな寄せ場の光景が多く見られるようになります。50歳を過ぎた人は、「悪いけど遠慮してくれ」と言われ、建設現場に連れていく迎えの車に乗せてもらえない。建設現場というのは重層的な下請構造になっています。元請がゼネコンで、その下に2次請、3次請、4次請等と続き、一番下に寄せ場から人を集め飯場を経営しているような建設現場が入る。この人たちの存在というのは、ゼネコンのリストには載っていなかったりします。ところが、建設現場で転落事故などが起こってしまうとその建設現場はストップしてしまう。そうなると警察の現場検証などで納期が遅れることになる。高齢者はそうした問題が起きやすいということで、寄せ場が機能を失う。加えてこの時期に外国人労働者が入ってきて、企業側が外国人労働者を便利に使うようにもなり、いよいよもって寄せ場が機能しなくなってきたのです。

ドヤ、簡易宿所は、山谷などでいま1泊1,700円~2,200円ぐらいですが、寄せ場が機能を失い、仕事が無くなると、そこにも泊まれなくなる。そうすると、野宿する人が増えてきます。それでも80年代の前半は寄せ場の中で野宿をする人が多かったのですが、野宿者の数がどんどん増えていって、山谷など寄せ場にいても仕事は無いとなると、山谷にいる意味も無くなってしまったのです。そして、山谷の野宿者は、新宿、渋谷、池袋などへ拡散していったのです。

こうして90年代後半は野宿者が爆発的に増えていきました。東京でもいろんな場所で、野宿者が人目につくようになった。これは山谷の寄せ場としての機能の衰退が背景になって、そのときから日本の野宿者問題が社会問題化してきたのです。山谷などの寄せ場の機能崩壊にともない仕事を失っていった底辺労働者が日本の野宿者の主力をなしているのです。ですから、野宿者問題は基本的に失業問題なのです。

また少なからず影響しているのは、携帯電話の普及があります。90年代後半から企業は、携帯電話の普及によって、日雇い労働者を簡単に集めることができるようになったのです。従来は日雇い労働者は山谷などの寄せ場にしかいませんでしたから、そういう便利な労働者を必要とする企業は、人を集めたいと思ったら山谷などの寄せ場に行くしかなかったのです。ところが、携帯電話の登場はその必要を無くしました。携帯電話1本で人を集めることができるようになったからです。労働者側も山谷など寄せ場に住む必要が無くなったし、人を集める企業側も寄せ場の必要が無くなったのです。そして、この延長線上に出現したのが「日雇い派遣」です。

私は95年から渋谷で活動していましたが、98年ぐらいから、派遣会社のグッドウィルなどが携帯電話を使って、路上の野宿者を「日雇い派遣」に送り込むようになってきました。グッドウィルはデータ装備費の問題などで廃業しましたが、2005年ぐらいには日本最大の派遣会社に成長した。山谷などの寄せ場から仕事の現場に散っていってまた山谷に戻ってくるという形態から、どこにいても携帯電話で日雇い仕事に行くという形態に移ったわけです。そしてこの時期に正規から非正規への雇用代替が全国的に行われました。この10年間の間の雇用代替の特徴は、単に非正規労働者が増えたというだけではなくて、正規労働者から非正規労働者への置き換えが起こったということです。この10年の間に、正規労働者は約500万人減った。非正規労働者は約600万人増えた。そして雇用の非正規化が進む中で、もっとも大きな問題をはらんでいるのが派遣労働です。

派遣労働による貧困の広がりが、日本社会全体の「寄せ場化」をもたらしています。たとえば早朝、所沢駅前のバス停も無い場所に若年層を中心にした行列ができます。みんな日雇い派遣の車が来るのを待っているのです。そこから日雇い派遣の仕事現場に連れていかれるのです。同じ光景が西船橋や赤羽など様々なところで見られるようになりました。山谷などの寄せ場と呼ばれる日雇い労働者の集住地域にしか見られなかった光景が日本全体に広がったということです。

「周旋屋に引っ張り回されて、文無しになってよ」――小林多喜二の『蟹工船』の冒頭に出て来るセリフです。「周旋屋」は、仕事を紹介する斡旋業者、ブローカーで、今の人材派遣会社です。寄せ場などでは、「口入屋」とか「手配師」とも呼ばれています。戦前横行した「周旋屋」など人貸し業による中間搾取、ピンハネから労働者を守ることと、雇用者の責任を果たさせる必要があったため、戦後、私的ブローカーは禁止されました。職業紹介は、公的機関である職安、今のハローワークじゃないとやってはいけないと職安法44条で決められたのです。

ところが1985年の労働者派遣法で、戦後40年間違法だった私的ブローカー、人材派遣が解禁され合法化されます。当初、許されていたのは専門的な通訳など13業種だけでした。専門業種の労働者なら派遣を認めてもその人たちは、ひどい労働条件だったら拒否できる。つまり「NOと言える労働者」だから大丈夫とした。しかし、96年には26業種に拡大され、そして99年のネガティブリスト化では限られた業種以外は原則OKとなり、2004年には製造業派遣が解禁されました。

こうして、日本は再び「周旋屋」「口入屋」「手配師」の天国となり、どんなに劣悪な労働条件でも仕事しないと食べていけないという「NOと言えない労働者」が多くつくりだされ、日本社会は貧困スパイラルに苦しめられるようになってしまったのです。

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学教職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員(教宣部長)、労働運動総合研究所(労働総研)理事、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者、日本機関紙協会常任理事(SNS担当)、「わたしの仕事8時間プロジェクト」(雇用共同アクションのSNSプロジェクト)メンバー。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)があります。

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