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公務員バッシングで得するのは誰か? 公務員バッシングは「犠牲の累進性」の典型=公務員より民間正社員が厳しい→民間正社員より非正規が厳しい→非正規よりネットカフェ難民が厳しい→みんなを黙らせていく
- 2015/12/10
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「真実を探すブログ」や「日刊ゲンダイ」は日頃、反権力的な記事が目立つのに、こと「公務員バッシング」の問題に関しては、政府・財界・特権官僚の“思うツボ”にはまって、「公務員バッシングを煽る側」にまわってしまっています。なので、第38回国公女性交流集会(2008年5月30~31日)での、雨宮処凛さん(作家、反貧困ネットワーク副代表)のスペシャルトークの中で、「公務員バッシング」について雨宮さんが語ったところを紹介します。(※国公労連の月刊誌『国公労調査時報』2008年9月号No.549より一部抜粋)
公務員バッシングは「犠牲の累進性」の典型
――公務の職場にも派遣社員、非常勤職員など不安定雇用に置かれる官製ワーキングプアの人たちがたくさんいます。その人たちはとても頑張っていても、その職を選んだ自己責任みたいに言う人がいますよね。正規の国家公務員で働いている方たちも、サービス残業だったりとか、振替のなされない休日出勤だったりとか、リストラの不安などの声もけっこう聞くのですよ。でも、やっぱり、一般の人から見れば、「ああ、公務員だよね」みたいに言われ、公務員バッシングもあって、定員削減で人が減らされ、疲れ切っています。これも自己責任なのでしょうか、どうなのでしょうかね。
雨宮処凛さん いや、まったく自己責任じゃないと思います。逆に言うと、公務員バッシングとは、すごくニセの対立だと思うのです。例えば、フリーターの問題は、世代間対立にもされがちで、「若者の雇用を何とかしようとするのだったら、団塊の人たちの首を切れ」だとか、「そっちの給料を下げろ」とか、そういう言い方がよくされますね。それは、一見、なんか乗ってしまいそうなのですね。でも、正社員の待遇を縮められると、フリーターのほうももっと劣悪になります。それは正社員側にも言えて、フリーターがやっぱりどんどん時給が下がって労働条件が悪くなればなるほど、正社員のほうも、「こんなに派遣の人が頑張っているのだから」といって給料下がっていくというようになります。結局、なんか悪条件のスパイラルにしか行かないのですよ。
だから、公務員バッシングはまさにその典型的な話です。今日も会場で販売していますが、私の書いた『生きさせろ!』という本で、社会学者の入江公康さんという方にインタビューをしていますが、この中で入江さんは、いっしょにいろいろ活動している白石嘉治さんという方の「犠牲の累進性」という考え方を紹介しています。例えば、国家公務員の人が長時間労働で苦しかったとする。「けれども、国家公務員に比べれば民間企業の人のほうがもっと厳しいのだよ」という言い方がされる。「でも、民間企業の正社員よりもフリーターのほうがネットカフェ難民で厳しいんだよ」というふうに言われる。「でも、ネットカフェ難民よりも本当の野宿者のほうが厳しい」とか。「でも、日本の野宿者よりもアフリカのスラムの貧民のほうが厳しい」みたいな、こういう言い方によって誰もを黙らせていく。その言い方自体を「犠牲の累進性」と名づけています。まさに公務員バッシングって「犠牲の累進性」の典型だと思うのですね。
それを突き詰めると、先進国の日本で、過労死したり過労自殺したり、餓死まで起きているのに、先進国だという理由で、だれも何も言えなくなって、「つらい」と声を上げる資格がないことになってしまうのです。でも、「つらい」と声を上のほうから上げていかないと、下のほうはより厳しくなっていく。公務員バッシングというのは、そういうカラクリというか、そういう罠にはまってガス抜きしたり溜飲を下げたりしている人たちがやっぱり一定数いるわけです。それは、結果的に自分たちの首を絞めることになっていると思います。私はフリーターの人たち、フリーターのインディーズ系労組の人たちとのかかわりが大きいので、末端の人たちはそういうからくりにすごく気づいていますよね。逆に言うと、下にいるからこそ全部を俯瞰して見えるところがあるのです。
いっしょに活動している人のなかに、郵便局の「ゆうメイト」(当時の通称)の人とかたくさんいるので、彼らがいかにひどい目に遭っているかということを聞きますし、そういう公務員バッシングをしてすっきりするようなやり方自体が、そういう憎しみとか対立構造にはまらせられていることだというのは、貧乏系連帯のほうではすごく認識されています。やっぱりそういう言い方には、「公務員バッシングで得するのは誰か?」ということを言わなくてはいけないと思います。
【2008年5月30日、雨宮処凛さん談】