人間の希望は周りのつながりから生まれる – 「助けて」と言えない状態に若者を追い込む“非社会”、自己の中だけで完結させられる「自己責任論」は絶望もたらす|奥田知志さん

  • 2015/9/30
  • 人間の希望は周りのつながりから生まれる – 「助けて」と言えない状態に若者を追い込む“非社会”、自己の中だけで完結させられる「自己責任論」は絶望もたらす|奥田知志さん はコメントを受け付けていません

https://twitter.com/tomoshiokuda/status/648399309096943616

SEALDsの奥田愛基さんのお父さん、奥田知志さんの言説を、私、何度かブログに書いたことがありますので、紹介しておきます。

▼2010年4月に書いたものです。

NHK「無縁社会」の衝撃 – 若者を無縁社会の悪循環に追い込む自己責任社会

昨日、NHKが「無縁社会」の特集を、前回のNHKスペシャルの再放送含め3時間近くに渡って放送しました。冒頭に再放送された番組は、過去エントリー「NHKスペシャル「無縁社会 -無縁死3万2千人の衝撃」 -壊れる家族・地域・仕事」を参照いただくとして、その後の放送内容を要旨で紹介します。(※相当要約していますので御了承を)

【※以下、番組キャスター・鎌田靖さん、放送大学教授・宮本みち子さん、NPO北九州ホームレス支援機構代表・奥田知志さん、経済評論家・内橋克人さん、それぞれ敬称略で名字を冒頭に付けて発言要旨を紹介します】

「本当に息つく暇もないというか、食事もまともにできない感じでした。毎日、帰宅は午前の2時3時でした」――大手銀行で長時間過密労働のすえ、妻子とも無縁になってしまった男性。

宮本 会社をやめた途端、つながりを失う。自分も同じだと思われる方が多いのではないでしょうか。日本はとにかく経済成長優先の企業社会で、男性中心の働きバチを徹底的にやったわけです。それがなんとかうまくいっていたのは、とにかく家族を養える給料がもらえて、男性はそれを家に入れている限りは、子育てなどの家庭責任は果たさなくともいいというような感覚できた。でも結果は妻子に逃げられてしまって、ひとりになってしまったら、なんにも残らない。日本の経済成長優先の企業社会というものが、どういう負の遺産を残したかということをこのケースは、よく示していると思います。

鎌田 国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、単身世帯の割合が、2030年には日本全体で37.4%。東京では半分が単身世帯になると推計されています。生涯未婚率の推計は、2030年に男性で29.45%、女性で22.55%となります。

宮本 日本は国際的に見ても、生涯未婚率が非常に高い社会になっています。日本にも結婚は、誰でもできると思われていた時代がありました。その背景にあったのは、社会の安定性と経済的豊かさというものだったと思います。個人の自由の中で結婚は行われるわけですが、しかしこの間、結婚ができない不利な条件を持っている人たちが増えている。不安定雇用が広がる中で、自分は働いて生きて行きたいと思っているけれども働くこと自体が不安定で、結婚したくてもできない、家族を持ちたくても家族を持つこともできないという生涯未婚社会が広がってきています。

 かつての“縁”に戻れるか

宮本 「昔に戻ればいい」と言う場合、多くの方は大昔を想定しているわけではないと思うのですが、おそらく経済成長時代の会社がしっかりあり、そこでちゃんと雇用と給料が保障されて、そして家庭というものがあり離婚は少ないというような時代に戻ればいいじゃないかという話だと思います。しかし、かつての終身雇用の非常に強い企業社会というものに戻せるのかという問題がまずあるのと、そうした時代が本当に良かったのかという問題があると思います。男性を中心に会社にがんじがらめにされ、その中で非常に固定した形の中で家庭生活が維持されていたことが、本当にみんなが幸せであったかというとかなり様々な疑問があります。そういう画一的な暮らしからもっと自由になりたいという気持ちも一方であったわけです。ところが、自由というよりも不安定雇用と危険な社会が加速化してきてしまったのが現在です。そこで、次の新しい段階をどう考えればいいのかということだと思うのです。生涯未婚、単身化、離婚、子どもの貧困問題など、様々発生している問題に、どう対応していくかを考えなければならないと思います。

 無縁社会を改善するヒント

〈ナレーションとVTRで、人と人との新たな絆をつくろうという取り組みの紹介〉横浜市内のマンションでは、住民たちが自ら園芸部を立ち上げました。月に2回、中庭に花を植えたり、雑草を取り除いたりしています。参加しているのは、ひとり暮らしで閉じこもりがちだったお年寄りや、転勤を繰り返して知りあいがいなかったという人など様々です。

「ひとりで暮らしていると、とても不安になるんですね」、「でも周りにみんないると思うと、本当に良かったなと思う」

「会社との縁は、60歳で切れる。そうすると私の生活の基盤は、このマンションでありこの地域になる。園芸部が自分のつながりの基盤です。それを通じて関係がどんどん伸びていけたらすばらしいなと感じています」(50代の独身男性)

大阪では、子どもたちがホームレスの人たちに毎月1回、手作りのおにぎりと日用品を配っています。「一緒の目線になってしゃべってみれば、おっちゃんたち普通ですし、元気になってくれたら、うれしいな」(子どもたちの声)

新潟では孤立しがちなひとり親の家族を地域で支援し、ひとり親同士で交流できる場所などを提供しています。「ここに来ると、同じひとり親同士で話ができていい」――悩みを打ち明けあうことで生まれる新しいつながりです。「娘も不安で、私も不安という感じだったので、外で会ったときに、あいさつできる人がいると心強い感じがします」(母子世帯の母親)

徳島の山村で、毎朝、軒先に立てる赤い旗。きょうも元気だという目印です。「きょうも旗を元気に立て取るなあと思ってみています」――山間でひとり暮らすお年寄りたちが互いに旗を確認しあっているのです。

 人と人とをつなぎたい

人と人をつなぐため、NPOが重要な役割を果たしています。北九州でホームレスの支援にあたっているNPOです。仕事や住宅探しを手助けし社会復帰の支援を続けています。ここ数年、働き盛りの30代の姿が目立つようになってきたと言います。

「何歳になるんですか?」「32歳です」「若いなぁ。寝泊まりはどこでしてたの?」「余裕がなかったら外で。あればネットカフェとか」

 若者に広がる無縁社会

若者の中には、人に迷惑はかけたくないと支援を拒む人も少なくありません。それでも粘り強く向き合うことが大切だと考えています。

奥田 「助けて」と言えない世の中って、僕はさみしすぎると思うんですよね。だって、誰も基本的にはひとりで生きていけないし、ひとりで頑張ってもしれてるわけで。どこかで「助けて」と言える、それをみんなで保障していく社会でないと、どんどんひとりぼっちに追い込まれて、まさにホームレス化していく、関係を失っていく、絆を失っていく、そんな人が続出すると思います。

特にここ最近の不況の中で、若いホームレス層にたくさん出会うんですけども、彼らの多くは「助けて」と言えない状態ですね。50代、60代のホームレスと違って、まだ家族がいる世代ですから、なぜ実家の方に助けを求めないのかと聞くと、ひとつはこんな格好では帰れない、こんなみすぼらしい格好では家には戻れないと言う。じゃあどうしたら戻れるかと聞くと、もう1度働いてお金をためたら戻れると言う。もうひとつは、親にこれ以上迷惑をかけたくない。この2つが大きな理由になっています。単純に家族との関係が希薄になっているというよりも、家族とは何か、社会とは何か、ということがあいまいになってきているんだと思います。ですから「助けて」と言えないということは、私は非常に象徴的な言葉で、これは“非社会”だと思います。逆に言うと、社会が社会であるための存立要件というか、存在している要件は、「助けて」と言えるかどうかだと思うのです。

宮本 社会というのは“織物”のようなものだと思うのですね。人間はその織物の中のどこかにいて、そこからいろいろな形でつながっていく。そういう中に置かれることによって、安心があり、生きる希望があり、なんとかこれでやって行けるのではないかという気持ちを持つことで生きていけると思うのですが、それらが今がらがらと崩れていき、織物がなくなっているわけですね。、新しい織物をつくり、そこになかなか乗ってこれない人たちも乗ってこれるような社会にする必要があると思うのです。

ヨーロッパではこういう問題を「社会的排除」の問題として取り組むようになってきています。その出発点は1980年代ぐらいに、日本以上に早くにヨーロッパの国々は雇用の流動化・不安定化社会に入り、製造業中心の時代からサービス産業中心の時代になって、その中で不安定雇用、低賃金に悩む人々が非常に多くなったということがあるんですね。今では、社会的排除に対する国の取り組みというのは非常に重要な政策になっていて、EU加盟国が歩調を合わせて社会的排除と取り組みながら、「社会的包摂」を進める「包摂社会」をめざして、人々を社会の外に出してしまわないこと、それが重要な政策として進んでいます。日本もまさにそういうとらえ方を今しなければいけない段階に入っていると思います。

奥田 私が野宿の現場で見てきたことが、じつは日本中に広がっていると感じています。つまり家があろうがなかろうが、経済的困窮に置かれていようが置かれていまいが、ホームレス化のような状態になってしまっている。絆が途切れた人たちに対する支援の中身としては、経済的困窮への支援を最低のものとして、絆という“関係の困窮”に陥っている問題について、支援の設定を仕切り直す必要がある。ただ対処療法的に個々ばらばらで対応するのではなくて、根本的な問題設定自体を見直すことが必要です。経済的困窮に対するセーフティーネットは当然ですが、無縁社会の広がりに対しては、絆の部分のセーフティーネット、いわば“絆の制度化”が必要だと思います。絆と社会制度というのはなじまないと思われるかも知れませんが、現場にいるものとしては、ここまで社会の絆が崩壊してしまっていては、なんらかの社会的な制度として絆を回復させなければもうもたないと思っていますので、あえて“絆の制度化”ということを言いたいと思います。

宮本 たとえば、養護施設や児童相談所、ハローワークなどのセーフティーネット。母子家庭の問題や、ニート状態の若者の支援の問題など、それぞれ一人ひとりが抱える困難な状況をみながら、この人をどうすればこの社会の中から脱落せずに、きちんと社会のメンバーとして生きていけることになるのかという、一人ひとりを支える個人的なサービスが必要です。しかし、これを担う人があまりにも少ない。これはもともとは、家族とか、親族とか、地域社会がやってきたことだと思うのですが、ここが無くなってしまったので、それに替わる部分、対人サービスのパーソナルなサポートのための人材にお金をかけなければいけないと思います。そして、今の状況の中で、孤立させない、路上に放り出さない、という安心をまずはつくらなければなりません。

奥田 持続性のある“伴走者”が必要になっていると思うのです。これはいわばみとりまで続くものです。今も、医療ソーシャルワーカーや福祉ならケースワーカーなどがいるのですが、それがうまくトータルな伴走者にはなっていないのです。それは、それぞれの制度内だけのコーディネーターだからです。ですから、制度内のコーディネーターをうまく活用するために、私はそれぞれの制度をまたいでいける伴走的コーディネーターという枠組みを制度として作らないといけないと思います。

社会の中で一人ひとりがどう考えていけばいいかという問題は、とても難しい問題で、特効薬はないと思いますが、日頃、社会って何だとは考えないと思うのですが、こういう事態になると、そもそも社会って何だったんだと根本的に考える必要もあると思っています。絆が途切れていった、それに頼らなくなったという背景にあるのは「自己責任論」だと思います。この「自己責任論」を払拭していく、乗り越えていくためには、社会が責任を持つんだという宣言がやはりいるんだと思うのですね。絆さえ自己責任論で片付けられたらたまらない。絆が社会だったのですよ。私はやはり社会を取り戻したい。もう1度、社会というものが私たちの絆であって欲しい。赤の他人がちゃんとかかわってくれる責任社会であって欲しい。まず私は社会の側が、絆の制度化ということも含めて、責任を表明する。「助けて」と言っていいんだというのを合い言葉にしていく。それは、我々自身のメンタリティーや日常性も問われていく問題でもあります。「助けて」と言うこと自体、勇気がいるのです。決して弱音じゃない。私は「助けて」と言えた人に「偉い」と言えるような社会につくり変えていくことが大事だと思います。

(※ここからは引き続き「無縁社会の衝撃」を取り上げた「追跡!AtoZ」。ツイッターで無縁社会に関してつぶやいた30代をルポするとともに、“無縁ビジネス”ともいえる新たなビジネスが、共同墓建設にとどまらず、保証人代行サービス、見守り代行サービス、話し相手サービスなど、様々な分野に広がっている実態をドキュメントしていました)

鎌田 「わたし無縁死予備軍です」――ツイッターなどネット上にあふれる「無縁死」の文字。安心して老いることができない日本社会の現実。ネットでの3万件の反響。その多くが30代、40代のつぶやきでした。

「無縁社会、他人事でないなぁ(大学生、男性)」「このままいくと私も無縁死になる(会社員、女性)」――若い世代が抱える孤独と不安。無縁社会の衝撃はどこまで広がっているのしょうか。

「俺も仕事がなくなったら無縁死だなぁ」――SEですが、過重労働でうつ病になってしまった34歳独身男性。ツイッターで、自分の気持ちをつぶやくと、瞬時にたくさんの反応が帰ってきます。

「ツイッターは今おれもそれを感じたよという。それを感じることが自分にとっても相手にとっても安らぎを感じさせるんじゃないかなぁと思うんですよね。ツイッターは心の安定剤になっているのかもしれないですね」

 「孤独死するかも」30代の叫び

不安定な契約社員として働く38歳独身女性。孤独を癒すように、ツイッターでつぶやき続けます。「無縁死、ロスジェネ世代が敏感になっているような気がする。35歳になると限界が見えてきて、結婚市場においても価値が低下する時代。だから無縁死について考えるんだと思う」

「就職氷河期で苦労して非正規雇用。努力して働いたけど、結局不況と自己責任」、「自己責任という言葉に縛られ厳しさの中でも他人に頼らずに生きてきた」、「結婚して子どもをつくってという「普通の幸せ」の価値が高騰」、「家族が築けない」

鎌田 「無縁社会は他人事ではない」と書き込む若者たち。人とのつがりが薄れていくことで、社会と関わることに消極的になり、さらにつながりが薄れていく。“無縁社会の悪循環”に陥った若者たちの姿が浮かび上がってきました。ツイッターのやりとりが私にはつぶやきでなく、悲鳴のように聞こえます。

 新たな“無縁ビジネス”

団地の一室。有料で電話の話し相手をするサービスをしています。
「仕事が忙しく自分の時間が取れず、ストレスがたまる」――仕事や恋愛の悩みを打ち明ける人たち。アドバイスを求めるというより、ただ本音を聞いて欲しいという電話がほとんどです。電話をかけてくるのは、20代から50代の働き盛りの世代。

46歳の会社員から「独身生活に孤独を感じ、毎日が味気ない」という電話。「夜、さみしくて涙が出る」という50代の独身男性。「中間管理職の仕事がつらい」という50代の看護師の独身女性など。「去年から爆発的に増えた」と語る業者。料金は10分あたり千円。なかには月に20万円近く利用する人もいます。なぜ、家族や友人でなく有料のサービスを利用するのか?を利用者に聞くと、「友だちとか家族とかに言うと心配しちゃうのかなと思う」とのこと。今の若者には社会から孤立する構造的背景があると指摘する内橋克人さんに話を聞きました。

内橋 若者たちの持っている意識。「俺も無縁死かな」というつぶやき。これは、若者たちが長寿社会の中で今後年齢を重ねて生きていくことになるわけですから、日本社会の未来の姿をもうすでにあらわしています。若者たちは本当の自立を求めて都市にやってきたかも知れない。しかし、与えられたのは「自立」ではなくて「孤立」なんですね。ひとりぼっちにされ、その中で、不安定な雇用の中で、夢もしぼんでいく。不安定労働の荒野を長い時間、彷徨することを迫られるという社会の構造の問題があります。

そして、若者は一様に自分自身を責めている。社会の側は、こうなったのは、君の責任だよという自己責任論で追い詰める。しかし、いくら努力しても努力しても成功できないような構造になっている。そういう社会構造の中で生まれたきた問題であって、その構造を前提にしながら、若者に自己責任論を迫るのでは、日本の未来は無いと思います。

若者たちは、ただ希薄な関係に放り込まれたというだけではなくて、若者たちがビジネスの対象になっていく。苦しみや孤独、精神的な苦悶、孤立感さえもビジネスの対象になっていく。「貧困ビジネス」と同じように、「無縁ビジネス」が、日本社会に根っこをおろしつつある。それは、家族の崩壊・解体、家族力ともいうべきものがどんどん衰退していく。いわばコインの裏表の関係に「無縁ビジネス」がある。日本の旧来の封建的な地縁・血縁社会は崩壊しつつあり、つながりを断たれた中で、自立という名の孤立に追い込まれる。こういう現実をあらためて見直していく必要がある。必要とする生存条件を満たすあり方を作り整えていかなればいけない。現実の中で様々な悲鳴がその必要性を訴えています。その声を社会の側が聞くべきなのです。

鎌田 終身雇用が崩れ、不安定な雇用が広がる日本社会。にもかかわらす、かつての経済成長時代以上に競争を強いられ、業績アップを求められる若い世代の人たち。結婚しないのも家族も持たないのも彼らの自己責任だと果たして言い切れるでしょうか。社会もその責任を負うべきではないでしょうか。個人の責任ではなく、かつての社会に戻るというのでもない、新しい社会のあり方への道筋をこの国が明確に示す必要がある時期に来ていると思います。

▼それから、2010年1月に書いたものです。

クローズアップ現代「“助けて”と言えない~共鳴する30代」-孤独死もたらす自己責任論の呪縛

昨夜放送されたNHKクローズアップ現代「“助けて”と言えない~共鳴する30代」は、昨年10月に放送された「“助けて”と言えない~いま30代に何が」 の続編です。番組のあらましを紹介します。(※相当要約していますので御了承を)

北九州市で39歳の男性が孤独死しました。男性は「助けて」と声をあげないまま餓死したのです。こうした社会から孤立する30代が増えていることを前回の放送で指摘しました。

会社を解雇され路上生活を余儀なくされている30代の男性・入江さん(仮名)は、「全部において何が悪いかって言ったら自分が悪いしかない」、「何が悪い? 自分が悪い。これ以外の言葉はない」と言い切ります。

こうした自分だけを責めて「助けて」と声をあげることができない30代の姿に対して、放送後、インターネット上で、反響が広がりました。

「自分がダメだから、もっと頑張れば…心に刺さります」、「明日はわが身かも知れない」、「私も『助けて』とは言えない」、「すべて自分が悪いと思う」などという書き込みが殺到。なぜこれほどまでに共感が広がったのでしょうか? あらたな取材から浮かび上がってきた30代の実像を番組は追います。

〈国谷裕子キャスター〉 前回の番組を見て、「仕事が無かったり、住まいが無かったり、お金に困っていることが、すべて『自己責任』という言葉で片付けられているような時代に怖さを感じた」、「本人が頑張らなかったという理由だけで、現状のどうしようもない事態に陥ったのでしょうか?」という感想が寄せられています。

働き盛りであるはずの30代が、厳しい雇用環境の中で、仕事だけでなく、住まいも失い、セーフティーネットからもこぼれ落ちているにもかかわらず、「自分が悪い」、「自分の努力が足りなかった」と自分を責め、「助けて」と言えない実態を伝えた前回の番組。放送後、30代を中心に3日間で2千件のブログへの書き込みがあり、今も増え続けています。

書き込みの多くが、自己責任を強く求められてきたゆえに「助けて」と言えない、決して人ごととは思えない、という内容でした。

食べるものにこと欠くようになっても、家族や友人に「助けて」と言えない。相談すれば「負け組」と思われる。80万人近い30代の失業者。改善しない有効求人倍率。それでも結果を出せないのは、自分が悪いと声をあげない30代。前回の番組で紹介した32歳の男性と、彼の姿に共感すると書き込みをした人をあらためて取材しました。(国谷キャスターの話はここまで〉

路上生活を続ける32歳の入江さん。去年9月に取材したとき、公園で寝泊まりしていました。精密機器メーカーで非正規労働者として働いていた入江さんは解雇され、2日間を1個100円のパンで暮らす生活。一方で、入江さんはプライドもあって、ホームレスと気づかれないように、身なりに気を配っていました。できるだけ食費を切り詰めて、10日に1度は洗濯をしていました。しかし、入江さんは、こうした状況になったのは、社会ではなく、自分のせいだと自らを責め続けていました。

「自分が悪い」--この入江さんの言葉に共鳴する声がブログでまたたくまに広がりました。「私も30代です。『自己責任』という言葉を強く埋め込まれてきました」、「今の自分は努力しなかった結果だ」、「つい自分を責めてしまいます」--なぜ自分を責める姿に共鳴したのか? ブログに感想を寄せた人たちを訪ねました。

38歳男性Iさん。「自分が悪い」という入江さんの言葉に自分を重ね合わせたと言います。Iさんは一昨年、正社員として働いていた出版社をやめました。30歳になって副編集長に抜擢されたIさん。しかし、その後、売れる本を作れと次々にノルマが課せられ、休みも無く働き続けました。33歳のとき、Iさんに異変が起こりました。うつ病になったのです。病気になって十分に働くことができない自分を責め、Iさんは会社をやめました。「何が悪いって聞かれたら、自分が悪い、もうそれしか言いようがない。ただそれだけだって言ってるところに、すごく共感を覚えます。とくに仕事で思うように成果を出せなくて、会社をやめざるを得なくなってしまうということに関しては、やっぱり何か自分に足りない部分があったんだろうと思ってしまうのです」と語るIさん。

女性の間でも「助けて」と言えないという声が広がりました。--「誰かを蹴落とさないと自分が蹴落とされる社会」、「目の前のことに追い込まれて、心を開くなんて単語、思いつきもしなかった」とコメントを寄せた37歳の女性。3年前、正社員として働いていた化粧品会社をやめました。女性が社会に出たのは1995年。当時はいわゆる就職氷河期。友人の多くが希望する仕事にはつけませんでした。そうしたなか、女性は正社員として採用されました。しかし、会社では成果主義が導入され、結果を出せないと替わりはいくらでもいると、厳しく罵倒されました。「まだ自分の努力が足りないの一心で、厳しい状況なのに、売り上げを上げられないのも、自分ができないからだと思い込んでいました」と語ります。

さらに女性は追い詰められていきます。母親が体調を崩し、介護が必要になったのです。会社に迷惑がかかると思い、介護休職を取りませんでした。女性はからだがもたなくなり、結局会社をやめざるを得ませんでした。「助けてもらうという発想がなくて、自分で何とかしないと、しっかりしないとって必死で走っていたので…」と語ります。

インターネット上には、「『助けて』と言ったところで、どうにもならない」というあきらめの声も数多く書き込まれていました。--「いざ助けを求めたら、『甘えるな』って突き放すでしょ」、「負けを認めても生命の危機から脱出できるだけ。希望が見つかりません。終わりのない“ラットレース”に復帰しただけです」、「一度でも助けを求めたらそこで『終わり』」

「自分が悪い」という言葉が30代の共感を呼んだ入江さん。その後、食べものを買うお金もまったく無くなり、やむなく生活保護を申請していました。毎月受け取るお金は7万9千円。今は寒さをしのぐために、ネットカフェで寝泊まりできるようになりました。しかし、生活は厳しいままです。受け取ったお金は、ネットカフェの料金と食費で無くなります。アパートを借りたくても敷金などの費用が貯まらず、保証人も見つかりません。正社員の仕事を探していますが、住所が無いため、採用してくれる会社はありません。「仕事をせずにお金をもらうっていうのが、おこがましいと言うか、自分もまだ元気なのに、そういうお金をもらっていいのかなっていうのもありますんで」と語る入江さん。

〈路上生活者を支援しているNPO北九州支援機構の炊き出しなどの取り組みのVTR〉孤立する30代が増え、37歳の男性が救急搬送され亡くなるなど深刻な事態になっており、「若い方でも危ないという状況です。ちょっとでも具合が悪い、おかしい時はぜひ相談してください」と炊き出しをしながら訴えます。さらに、5日前にまた30代が路上で命を落としたことが伝えられます。

ゲストのNPO北九州支援機構の代表・奥田知志さんは要旨以下のように語りました。

彼らに対してなぜ「助けて」と言わないのかとか、なぜひとりで頑張ってしまうのかを問題にするのではなくて、「助けて」と言う必要のない社会にすることが必要です。社会の方こそ、本当に社会の責任を果たすのか果たさないのかが問われるべきで、社会がきちんと責任を果たした上で、自己責任を求めるべきだと思います。

人間は、自分で頑張るためには誰かの存在やつながりが必要だと思います。人間はひとりだけでは生きていくことができないので、頑張るのをやめる必要はないけれど、ひとりだけで頑張るのはやめた方がいいと思うのです。

リーマンショックの前は、私たちが関わってきたホームレスの方の年齢は平均で50代後半でした。年齢的にも家族との関係などが途切れることが多い世代でしたが、リーマンショック以降、まだ家族との関係が身近なところにあるだろうと思われる若者たちがホームレス状態になっています。ホームレスになっても家族のところには帰れない、自分が頑張るしかないと言って路上にたたずんでいる若者たちの姿がこの1年多く見られました。

最初の頃は単純に一端家に戻った方がいいのではないかとよくアドバイスしていましたが、彼らは「こんな姿じゃ家に帰れない」と言っていました。じゃあ、どうしたら帰れるのかと聞くと、「もう一度働いてお金を貯めたら帰ることができる」と答えます。おそらく、彼らが中学生以降育ってきた時代が「自己責任論の時代」で、自己責任を果たせない人間は、人前にも、親の前にも立てないというふうに、彼ら自身が「自己責任論」に呪縛されている。そういう世代になっているのではないかと思っています。

「自己責任論」というのは、個々人に責任があるということを一見言っているように見えるのですが、実際のところは、社会の側や、周りの人たちが助けないための論理だと思うのです。それはあなたの問題だと言い切ることによって、社会の側は手を貸さない。「あなた自身が頑張るしかないのだ」と言って、「社会の側は助けないための理屈」、それが「自己責任論」だと思います。

ですからそういう中で、若者たちは長年育ってきて、自らもそういう考え方をしてきたでしょうから、社会に対しては期待しない、期待しても無駄だ、という思いはすごく深いところであると思います。

絶望しているということも、希望を見い出せないということも、すべて自己の中だけで完結した議論、考え方が支配していると思うのです。人間の希望というのは周りのつながりから生まれてくるものだと思うのです。希望というのは社会的なもので、外から差し込んでくる光のようなものだと思います。ですから、自己の中だけで完結させられる「自己責任論」は絶望をもたらすのです。そして、生活保護とかハローワークなど様々な受け皿も大事ですけども、それをつないでいく人の役割も大事だと思います。伴走的に支援をしていく、つながりをコーディネートする役割が社会的に保障されなければならないと考えています。寄り添ってくれるような人の存在が大事です。人が人を救うのです。〈NPO北九州支援機構代表・奥田知志さん談〉

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学教職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員(教宣部長)、労働運動総合研究所(労働総研)理事、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者、日本機関紙協会常任理事(SNS担当)、「わたしの仕事8時間プロジェクト」(雇用共同アクションのSNSプロジェクト)メンバー。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)があります。

この著者の最新の記事

関連記事

コメントは利用できません。

ピックアップ記事

  1. 2021年の仕事納めってことで2021年に私がツイートしたものでインプレッション(ツイートがTwit…
  2. 国公労連は、#春闘2021 のハッシュタグを付けるなどしてツイッターでキャンペーンを展開中です。3月…
  3. 2020年で自分のツイッターアカウントにおいて、インプレッション(ユーザーがツイッターでこのツイート…
  4. 5月1日のメーデーで、国公労連と各単組本部は霞が関においてソーシャルディスタンスを確保しながらスタン…
  5. 京都総評
    2019年の自分のツイートのインプレッション(読まれた回数)を見てみました。15万以上読まれたのは以…

NEW

ページ上部へ戻る