また福祉が人を殺した – 生活保護バッシングは「助けて」とも言えず餓死・孤立死を頻発させる社会まねく

  • 2015/8/19
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(※2012年9月21日に書いた記事です)

昨日(2012年9月20日)、中央社会保障学校(中央社保協主催)でシンポジウム「餓死・孤立死・生活保護をめぐって」が開催されました。シンポジストのひとり雨宮処凛さん(作家、反貧困ネットワーク副代表)の発言の一部要旨を紹介します。(文責=井上伸)

また、福祉が人を殺した

今年5月、私は「全国『餓死』『孤立死』問題調査団」に同行して、札幌・白石区のマンションで姉妹が遺体で発見された孤立死事件の調査を行いました。

この事件は私にとって他人事ではありませんでした。亡くなった42歳と40歳の姉妹の出身地は私と同じ北海道滝川市で、妹さんとは年も3つしか違わなかったからです。しかも、お姉さんが働いていたのは私もよく知る地元では有名なデパートで、その店が倒産したことで札幌に出て働き始め、それから数年後の今年1月、遺体で発見されたのです。

お姉さんは3度にわたって白石区に生活保護の相談に訪れていました。3度の面接受付表を見るとライフラインの滞納の問題を確認していなかったり所持金や預金残高も確認せずに追い返しているのです。調査団に同行した現役のケースワーカーの方によると基本的なことも確認されていない非常に問題が多い対応できちんと対応すれば生活保護が必要な状況であったとのことです。生活保護は最後のセーフティーネットなのに、地域の違いや対応した職員の違いによって対応が全然違うというのに私は愕然としました。

私が生活保護の同行申請を行っているとき、多くの当事者は自殺という言葉をよく口にします。「生活保護を受けられなかったら自殺してた」、「もうきょうダメだったら自殺しようと思ってた」と言う人が多いのです。

生活保護は最後のセーフティーネット、最後の砦です。当事者は生死のぎりぎりのライン上にいて、きょう目の前で生活保護がダメなら自殺してしまう可能性も高いのです。それなのに、対応する窓口の職員によって生活保護が受けられるかどうかが違ってくるとか、ローカルルールでこの地域では若い人が来たら必ず追い返すなどというとんでもないことが現実に行われている。生死にかかわる現場なのに、その地域とか職員によって差がありすぎることに愕然としました。

官邸前抗議デモ やっと日本が普通のまともな国になった

官邸前抗議行動は、金曜日の原発再稼働反対と水曜日の生活保護など社会保障改悪反対、消費税増税反対の課題などでいま毎週行われていて、私は主に金曜日と水曜日の行動に参加してきました。

毎週金曜日の脱原発の官邸前抗議デモで、参加している方に聞くと、黙っていると容認とか賛成の方に自動的にカウントされてしまうから官邸前に来て脱原発の意思表示をしたいという人が多いですね。

一般の方が多く参加する官邸前行動は、抗議デモ、直接行動に参加するハードルが下がって、民主主義が健全に機能し始めたと思っています。私たちは「民主主義が再稼働した」と言っています。心の制御棒が福島原発事故によって引き抜かれてデモクラシーが再稼働しているわけです。世論では脱原発の方が圧倒的に強いのに、なかなかそうならない現状、間接民主主義が機能していない現状があるから直接声をあげて、野田首相も直接話し合うなどの一定の対応を引き出すなど、直接行動が少しずつ政治を動かす力になってきているという手応えを感じてきたのが3.11からのこの1年半だと思います。

この1年半で500万人ぐらいがデモに参加しているといわれていて、6月の官邸前だけで100万人以上が集まり、金曜日は脱原発、水曜日は生活保護改悪・社会保障改悪・消費税増税の反対行動、火曜日がTPP参加反対、またオスプレイ配備反対なども加わるなど毎日のように官邸前で抗議行動が行われるというのは、日本の民主主義の今後にとって、とてもいい影響があるのではないかと楽しみにしています。

昨日新宿で行われた民主党代表候補街頭演説会で候補者に対して多くの市民から批判の声があがりました。こうしたことも、官邸前などの熱気がなかったらあんなに多くの批判の声もあがらなかったのではないかと思います。市民が声をあげられるような社会になって、海外のメディアが報じているように、日本はやっと「まともな国」「普通の国」になったのではないでしょうか。

原発再稼働の問題もそうですが、生活保護の切り下げ、社会保障の切り下げ、消費税増税についても声をあげストップさせなければ生きられない、殺されてしまうという切実な問題ですから、もっともっと声をあげなければいけません。今まで黙っていてひとつもいいことがなかったということをみんな感じていると思いますのでもっと声をあげていきたいですね。

「助けて」と言えないまま餓死・孤立死を頻発する社会
こうした社会でいいのかと私たち一人ひとりが問われている

脱原発などで多くの市民がいま声をあげているという現実がある一方で、声をあげられない人のことを考えなければいけないと思っています。

餓死・孤立死事件で、札幌・白石区のお姉さんはSOSを発信できましたが、SOSを発しないで餓死・孤立死に至ってしまうケースも多いことが非常に気になります。

よく考えると、他人に「助けて」と言える、行政にSOSを発信できるというのは、2つの条件が必要だと思うのです。

1つは自分が助けられる価値がある人間だと思っているということです。自分は生きていていいと自分を肯定できる状態であることが「助けて」と言える1つめの条件です。でも貧困はその条件を簡単に人から奪い去ってしまいます。貧困状態に陥ると人間は、「自分なんか生きているだけで迷惑で申し訳ない」、「働けなくて生きていくのは申し訳ない」などと思ってしまう。自分に助けられる価値がない、生きる価値がないと思ってしまうのです。

2つめの条件は、社会に対する信頼を持っていなければいけないということです。社会に対してSOSを発したところで誰も助けてくれないと社会への不信感を持っていると「助けて」とは言えません。

1つめの自己肯定感、自分は生きていていいという思いと、2つめの社会への信頼がないと、「助けて」とは言えないのです。

多くの貧困当事者は「助けて」と言った瞬間に貧困ビジネスのカモになるというような体験をずっと繰り返してきている。「助けて」と言うたびにひどい目にあっていたりするのです。貧困に陥る前段には労働の現場で裏切られてきたということもあり、いろいろなところで繰り返し騙されています。社会に裏切られ騙されて続けているのでそういう社会に対して「助けて」とは言えないのです。このまま行くとSOSを発しないまま餓死や孤立死などで亡くなっていく人が増えていくのではないかと危惧しています。

私たちにできることは、貧困当事者に信頼されるに足る社会をつくっていくことです。貧困当事者、生きづらさを抱える人たちが信頼できる社会なのかが、私たちにいま問われているのだと思うのです。いま餓死や孤立死に至ってまでも「助けて」とも言わないままにこれだけの人を死なせている社会なのです。こうした社会のあり方でいいのかと私たち一人ひとりが問われていると思うのです。

生活保護バッシングは
生きていていいとされる条件をどんどん厳しくし
誰もが生きづらい社会まねく

社会構造上の問題を考えずに、どこかで楽して得している奴らがいるぞとばかりに生活保護バッシングの激しさがどんどん加速しているような気がします。経済の停滞が続き、どんどん生活が厳しくなっていくなかで、生活保護バッシングに熱をあげる人たちには社会構造上の問題を考える余裕がないのではないかと思います。構造の問題に迫るという余裕すら持てない状況が広がっているのではないでしょうか。ある意味、社会構造上の問題を考えるということはある程度余裕がなければできないことでもあるので、ますます余裕がなくなって生活保護バッシングがどんどん過激になってしまうのではないかと危惧しています。

今回の生活保護バッシングは、片山さつき議員をはじめとする自民党の生活保護プロジェクトチームが火付け役です。片山さつき議員などは、民主党政権になってからこんなに生活保護受給者が増えているとバッシングしているわけですが、理解できないのは、自民党政権時代の雇用政策の失敗のツケや社会保障費をがんがん削ってきたツケが回っていまこんなに大変になっていることを全部他人のせいにしてバッシングしているところです。ここが一番分からない点です。これに対して自民党はよく言ってくれたとか言っている人はその流れをどう考えているのか理解に苦しみます。

先日の報道ステーションで自民党の石原伸晃議員は「ナマポ」などと生活保護受給者を蔑視するような発言をするだけでなく「尊厳死」まで持ち出し背筋が寒くなる思いをしているのですが、こうした攻撃はどんどん激しくなって来るような気がしています。こうしたバッシングによって、社会で生きていくハードルを上げられてしまうので、自分を肯定するハードルも上がってしまうのです。それを「尊厳死」などとまで言われ出すとこのハードルをクリアしていないと「もう生きていてはいけない」という社会になっていくと思うのです。そんな社会は誰にとっても生きづらい社会です。とにかく自分が役に立って生産性が高くてより多く利益を生み出せるということを常に証明しないといけないというとても生きづらい社会になってしまいます。

生活保護バッシングがもたらすものは生活保護の問題だけにとどまらず、生きることに対して多くの条件を課していくという社会に変わっていくという問題です。生きていていいとされる条件がどんどん厳しくされ、生きていくハードルが上げられていき、私たち一人ひとりが「私は存在していていいんだろうか?」、「私は生きていて迷惑なんじゃないか?」などと思わされてしまうというとても生きづらい社会につながっていくと思うのです。

(2012年9月20日、雨宮処凛さん談)

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員、労働運動総合研究所(労働総研)労働者状態分析部会部員、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)がある。ここでは、行財政のあり方の問題や、労働組合運動についての発信とともに、雑誌編集者としてインタビューしている、さまざまな分野の研究者等の言説なども紹介します。

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