ハリー・ポッターは日本では生まれない – 能力つぶし社会的損失ひろげ機会の平等を保障しない日本社会

  • 2015/8/19
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(※2014年7月12日に書いたものです)

7年ぶりに新作が発表されたり、スピンオフ映画が製作中であったり、USJで新エリアができたりで再度話題になっている『ハリー・ポッター』(J.K.ローリング著)。うちにも原作本がありますが(上の写真)、ハリー・ポッターにもまつわる唐鎌直義立命館大学教授と都留民子広島女子大学教授の指摘を紹介します。

最初に、私が企画・編集した唐鎌直義立命館大学教授へのインタビューのごく一部です。

日本は生活保護受給者が少ないことが問題
貧困世帯の9割が生活保護を受けられず暮らす異常な日本社会

――今とりわけ生活保護バッシングが激しく、経済大国日本において餓死や孤立死が頻発するような状況です。

一番大きな問題は、生活保護を受給するためのハードルが高いということです。簡単にいうと、丸裸状態にならないと生活保護を受けるのが難しいという仕組みになっているのです。簡単に人は丸裸状態にはなれません。とりわけ今の日本社会の構造からいうと、どんなに貧しい高齢者でもある程度貯金は持っているし、それを大事にしています。すると、そのために生活保護を受けられないということになってしまう。他にもいくつか理由はあるのですが、実際に生活保護をもらうべき人がもらえないというのが日本の生活保護制度の最大の問題です。

これは研究者の推計によって変わりますが、私の推計では要保護世帯の約1割しか生活保護をもらえていません。貧困世帯の9割が生活保護をもらわないで生活しているというのが今の日本社会の状況なのです。そうすると、一方では30万円の貯金があるために生活保護を受けられない、または福祉事務所に行っても断られた人がいて、一方では生活保護をもらって生活している人がいる。前者からすれば腹立たしいわけです。同じような生活を送りながら、もらえない人が9割もいるわけですから。そうするとやはり生活保護受給者に対する攻撃が強まってきますよね。

日本において捕捉率が低いということ、生活保護をもらえている人が極少数だということが、バッシングにつながる大きな要因だと思います。政府などはそれでも生活保護受給者が増えていると騒いでいますが、日本の今の状況からすれば、とんでもなく生活保護受給者が少ないことが大きな問題なのだということを見る必要があります。

生活保護バッシング起きやすい日本と起きないヨーロッパ諸国
政府が責任持ち貧困なくしているか国民が監視するイギリス

――ヨーロッパの捕捉率と比較するとどうでしょうか?

たとえばイギリスの場合は捕捉率がとても高いのです。イギリスは行政の責任として福祉の制度ごとに捕捉率を発表する義務があるのです。日本の捕捉率はあくまでも良心的な研究者が自分で貧困率を測定してつくっているのですが、イギリスの場合は政府の責任として発表されています。日本とは全く逆で、政府がきちんと福祉施策に責任を持って実行し、貧困をなくしているのかを監視する意味もあって捕捉率が発表されています。イギリスでは貧困者のうち85%くらいが生活保護で救済されているという状況になっています。しかも実数として生活保護を受けている国民が多いので、地域で悪口も言えないのです。なぜなら隣の人が生活保護をもらっていたり、親戚縁者の中にも必ずもらっている人がいたりするから、簡単に生活保護バッシングなんてできないのですね。つまりイギリスでは、社会保障が国民のものになっているのです。ところが日本では貧困者の1割しか生活保護を受けられない状況になってしまっているので、イギリスとは逆の形として生活保護バッシングが起きやすいということですね。

ですから、ヨーロッパの場合は、貧困の状態にあれば生活保護が受けられる仕組みが出来上がっているので、構造的に生活保護バッシングが起きない。ヨーロッパでは、国民の誰しもがいつかは自分も生活保護をもらう可能性があるので、生活保護バッシングをすることはないのですね。

子どもに親を扶養する義務がないヨーロッパ諸国と
オレオレ詐欺、振り込め詐欺まねく日本

――生活保護バッシングのきっかけになった芸能人の問題がありましたが、親を扶養する義務もヨーロッパにはないということでしょうか?

ヨーロッパ諸国には、子どもが親を扶養する義務はありませんし、18歳を過ぎた子どもに対する親の扶養義務もありません。親が18歳未満の子どもを扶養する義務はありますが、子どもが親を扶養する義務などないのです。

18歳を過ぎた子どもに対する親の扶養義務があるのは日本だけですね。高等教育費の親負担があったり、いつまでも子どもの面倒を親がみたりという、日本の場合は親と子が経済的に強くつながっている。両者は精神的な愛情で結びついているのではなくて、経済的な関係でつながっているのです。

だから、オレオレ詐欺、振り込め詐欺は日本でしか通用しません。経済的なつながりが強い親子関係(親の甲斐性)を利用されているわけです。オレオレ詐欺、振り込め詐欺は日本以外の国にも「輸出」されるだろうと思っていましたが、そうはならないようです。

EUの国々では親子に経済的なつながりがありませんので、親が18歳を過ぎた子どものためにお金を貯めてスタンバイしていることなんてありえない。子どもが生活に困ったら国に公的扶助申請すればいいということになるわけです。けれども日本の親は、子どもに何かあった時のためにお金を用意してスタンバイしているのですね。大学生のときの教育費、30代になったら住宅ローンの頭金、孫ができたら経済援助、子どもが何か不祥事を起こしたら等々、とにかく何か子どもに問題が生じたら、親である自分ががんばろう、それが親の甲斐性だと思っている。あの富裕すぎる鳩山家でもそのようですね。しかしそれは本来、社会保障で引き取るべきことなのです。教育費も住宅費もそうです。そうすれば詐欺事件も起きないのですが、オレオレ詐欺、振り込め詐欺が成功してしまう理由は、やはり日本の社会保障の構造が大きな原因ですね。

「本当に困っている人」を助けられない
「福祉のパラドクス」の罠に陥る日本

――そうしたスティグマ(恥辱感)や「福祉のパラドクス」の問題も唐鎌先生は指摘されています。

厚生労働省の文書に、もう十数年前だと思いますが、福祉は基本的には「自助」でやっていくのが当たり前だと書かれていました。「自助」がどうしてもできない、「本当に困っている人」のために福祉はあるのだと厚労省は言うわけです。それで「本当に困っている人」が救われるのだったら、それはいいのではないかと国民は思ってしまうわけですが、これが要注意なのですね。

実は日本は、「本当に困っている人」だけを助けるための福祉に対して、国民の抵抗や運動が起きなかった国なのです。明治からずっと、そういうものでいいと思ってきた歴史があります。それがなぜいけないかというと、「本当に困っている人」だけが助けられるということは、そういう人たちは「国家公認の貧困者」になるということを意味します。そうすると、普通に生活して自分の尊厳を守りたいと思っている人は、「国家公認の貧困者」というレッテルを貼られるのだけは嫌だということになる。それだけは避けたいと思うようになるのですね。そうすると、「本当に困っている人」を助けるための福祉は、「本当に困っている人」が受けられなくなってしまうということです。

これを「福祉のパラドクス」と呼んでいますが、イギリスで新救貧法の時代にその現象が広がり、福祉が役に立たなくなっていきました。福祉の効率化を狙って、「本当に困っている人」だけを助けようとしたのだけれど、プライドがある市民は受けなくなってしまったのですね。どんなに困っても受けない。そこに市民の尊厳が築かれてしまう。「国の世話にはなってないのだから」と。それは福祉の失敗であるということに識者が気付いたのです。

福祉は「普遍主義」にする必要がある

だから福祉は、特定の対象者だけを救う「選別主義」ではなく「普遍主義」にする必要があるのです。「普遍主義」というのは、日本でいうと義務教育がそうですね。日本では義務教育は誰でも受けているから、義務教育を受けることに対してスティグマは感じないのです。国民という資格だけで誰でも必要な時に受けられる仕組みにしておかないとダメだというのが、本来の社会保障の発展方向です。こうした「普遍主義」が、1980年代半ばまでのヨーロッパの社会保障の発展方向でした。イギリスのNHS(国民保健サービス)や日本の義務教育のように、誰でも受けられるようにしようということが社会保障にとって最も大切なのです。

「選別主義」になってしまうとスティグマが強化されていくわけです。その上、バッシングも広まってくると、ますます受けづらくなっていく。そうすると「本当に困っている人」がどんどん潜在化してしまって、ますます大変な問題が起きてくると思います。

ですから生活保護の水際作戦の問題などが起きたときは、社会運動の側も、自治体だけを批判するのではなく、政府と厚労省を批判した方がいいと思うのです。なぜなら75%の財源は国が負担しているわけですから。窓口を自治体に任せておいて、責任は取らないというのは通りません。生活保護の問題は国の責任なのです。

政府は社会保障全体への攻撃を生活保護改悪から始めた

――日本社会では自己責任論がますます強まっています。生活保護改悪は社会保障全体への攻撃と一体のものと捉えるべきでしょうか?

もちろんそうですね。生活保護はセーフティネットの最終ラインを支える仕組みでもありますから、この生活保護を改悪していくということは年金にも影響が出るでしょうし、雇用保険などの所得保障にも大きな影響が出ます。連動する形で、低所得者援助制度(就学援助や生活福祉資金貸付制度)も含めて、幅広く所得保障に悪影響が及んでいきます。

ですから、日本政府は社会保障全体への攻撃を生活保護から始めたということです。改悪する理由としてよくあげられているのが、生活保護に国の財政が3兆5,000億円も使われているというものですが、イギリスなどと比べたら日本の方がはるかに低い財政負担です。国の財政規模に対してどれだけの割合が生活保護に使われているのかという国際比較をすると日本はどの国よりも低いのに、日本の中だけで財政負担の数字だけが取り上げられ攻撃されるというのは問題ですね。

低所得者向けの家賃補助制度があるイギリス

イギリスには低所得者向けの家賃補助制度があります。「ハウジング・ベネフィット」(住宅給付)と言いますが、これは1966年に「家賃割戻し制度」としてスタートしました。

それまでは日本と同じように、生活保護受給者だけに住宅扶助を支給していました。それを止めて、対象をもっと広げたのです。なぜかというと、被保護者に限定された住宅扶助では逆転現象を招いて、保護を受けていない人の生活が悪くなって、対立関係の温床になってしまうからです。それで低所得者に広げていったのです。

現在は、全世帯の2割ほどがこのハウジング・ベネフィットを受けています。生活保護受給の場合には家賃の100%、それ以外の低所得者には家賃の8割から9割を地方自治体が支給しています。もちろん地方自治体に対しては国が補助しています。家賃の8割を1年間保障されると、月5万円だったとしても年間60万円になる。この制度はイギリスでは所得保障に分類されています。住宅保障という名目ではなくて、所得保障制度の中でやっているところがすばらしいですね。

高等教育費が国民を苦しめている

――高等教育費の問題も深刻になっています。

これも大きな問題です。住宅問題と並んで教育問題は、日本の労働者にとっての2大問題(生活課題)です。日本では忘れられている社会保障の2分野と言えます。

とくに高等教育費が問題で、日本では基本的には親の負担ですから、地方から東京の私立大学に下宿生活で子どもを通わせると、4年間で授業料や仕送りを含めて約1,000万円かかると言われています。この金額が全部、日本の労働者に生涯賃金として跳ね返ってくるわけですね。

財界は日本の賃金は高いと言いますが、敢えて高くしてしまっているのです。こんなに高い教育費が親の負担になってしまっているのですから、その分賃金が高くなければ子どもを育てることも不可能になってしまいます。

ですから、日本の場合は、住宅ローンの返済と高等教育費の負担が高過ぎるのです。たとえば子どもが2人いたら2,000万円の負担になって、これが全部生涯賃金に跳ね返ってくるので、その分賃金が高くないと日本人は他の国の労働者と同じような生活を送れないわけです。そういうことを考えた上で、財界人は「高賃金論」を言ってもらいたいものですね。

高等教育費については、最近は親の負担ではなく本人の負担で、奨学金という実際はローンに過ぎない負担を背負って大学に来ている学生がたくさんいます。その上、大学を卒業してもまともな正規雇用に就けず、奨学金を返済することも難しい状況に追い込まれている若者が多くいるのも大きな問題です。

教育格差は広がる一方

――今、子どもの貧困も大きな問題になっていますが、機会の平等も保障されないのが日本社会ということですね。

そうですね。子どもの貧困が広がる一方で、私立中学へのお受験ブームもあるなど、教育格差が大きく広がっていますね。教育機会の平等という価値観がなくなってきてしまっている面があります。

人生を100メートル走に例えると、スタートラインをほぼ99メートルの地点から1メートルだけ走ればいい人と、逆にスタートラインから50メートル下がって150メートル走らなければいけない人が出てきているような感じですね。それで競争しろというわけです。こういうのは本当に不平等だと思いませんか。

結果的には企業社会にも悪影響を与えると思います。なぜならば、能力のある人がたまたま貧しい家庭だったというだけで、その能力の発揮がつぶされるわけですから、それは大きな社会的損失になるわけです。その代わりに、経済的に恵まれて育ったために、本来の能力を発揮する気持ちさえなくした人が、社会生活の上で他人に迷惑をかけて過ごしていたら、非効率以外の何物でもありません。どこかの製紙会社の三代目社長のカジノ浪費106億円という、蕩尽生活が起きてしまうわけです。

『ハリー・ポッター』はイギリスの生活保護のおかげ

――人ひとりの国民の潜在能力が生かされないという点で、日本では『ハリー・ポッター』の作者は生まれないということも唐鎌先生は指摘されていますね。

J.K.ローリングさんは離婚母子家庭で、生活保護(イギリスの所得援助)をもらいながら毎日喫茶店に行って、いつも2階の窓側の決まった席で『ハリー・ポッターと賢者の石』を書き続けたわけですね。イギリスだから可能だったのだと思います。日本だったら、母子世帯で30代の母親だったら真っ先に就労支援の対象になります。「毎日、就活しなさい」「月給5万円でも働いた方がマシです」ということになります。

そして、J.K.ローリングさんは、女性高額納税者の世界ナンバー2にまでなったわけです。イギリス政府は多額の税金をそこから取れたわけで、年間たかだか150万円くらいの生活保護費を出したおかげで、数十億円の税金を取り戻せた。エビでタイを釣るどころの話ではないですよね。そういう機会が、イギリスのように稼働能力者(若者)も受けられる生活保護にしておくと、増えるわけですね。

最近、イギリスでベストセラーになっている『ボブという名のストリートキャット』という本を読みました。小さいときに両親が離婚し、不幸な生い立ちを背負った薬物中毒のストリートミュージシャンが、ある日、怪我をした雄の野良猫(茶トラ)を助け、ボブと名づけたその愛猫を精神的な支えとして、生活保護制度や住宅給付制度に経済的に支えられながら、薬物中毒から抜け出していくというストーリーの実話本なのです。

ここでもやはりイギリスの福祉が大きな役割を果たした結果、一人のベストセラー作家が誕生したわけですね。ホームレスを支援する『ビッグイッシュ―』活動の実際面もわかって、非常に面白い本です。

こうした華々しい成功例は一部かもしれませんが、もっと小さなレベルで、普通の仕事に就いた人もたくさんいるわけです。そこはやはり福祉の果たす役割になっているわけですね。

国が生活保護費を100%負担

イギリスの生活保護は国が100%負担しています。日本も、もともと国が8割負担していたのですが、80年代にそれを7割に下げたのです。それに対して地方自治体から不満が噴出して今の75%に戻したのです。75%にしてから20年くらい経過していますが、あと10%国が負担すれば、自治体はかなり負担が軽くなり、給付しやすくなるのですが。本来は自治体の財政に影響がないように、国が全額生活保護の財政を負担すべきです。自治体財政に縛られる現状では消極的にならざるを得ないし、生活保護を積極的に出すケースワーカー自身が周囲から疎まれてしまいます。

冬期の暖房手当も

この他、イギリスには冬期の暖房手当もあります。低所得者を対象に、生活保護制度が3種類(所得援助、就労家族給付、求職者手当の所得ベース給付)と低年金の高齢者を対象にした年金税額控除があるので、全体では4種類になります。それらの受給者に対して、11月1日から寒冷気候手当(Cold Weather Payment)が毎週支給されます。貧困者が凍える思いをしないように、そういう仕組みがあるのですね。『ボブという名のストリートキャット』の中でも、これを受けられているから、冬の寒い日でも安心と書かれています。

それ以外に「冬期燃料手当」(Winter Fuel Payment)という高齢者専用の制度もあって、61歳以上の高齢者(具体的には、2013年度は1952年1月5日以前に生まれた人)を対象に、燃料費として一律に100ポンド(約1万7,000円)が支給されます。80歳以上になると2倍の200ポンド(約3万4,000円)になります。これは「61歳以上の高齢者全員にオートマティカリーに支給する」自動的給付なのです。「どんなに支給が遅れても、12月25日までには必ず支給しなければならない」と書かれています。クリスマス給付の意味があるのでしょうね。

ようするに、高齢者にはこの冬期燃料手当が11月1日から一括支給され、低所得の高齢者には寒冷気候手当が毎週支給されるということになっています。ですから、高齢者が寒さで大変だということはないのです。こういう制度も所得保障制度としてきちんと準備されているのです。昔は15歳未満の子どものいる世帯にも、この冬期燃料手当が支給されていたのですが、最近はなくなったようですので、イギリスも悪くなっている面はありますね。

私は、日本には「夏期冷房手当」をつくるべきだと主張しています。昨年夏に、高齢者がたくさん熱中症で亡くなりましたね。その時に夏期冷房手当が必要だと思いました。猛暑で人が死ぬのですから、冷房が嫌いというようなレベルの問題ではなく、やはり年金が低く電気代が高いから、冷房が使えないというところに一番大きな問題があるという点を見ないといけないのではないでしょうか。

――以上が唐鎌直義立命館大学教授へのインタビューの一部です。加えて、私が事務局を担当した2008年9月5日開催のシンポジウム「社会保障の現在・過去・未来」での都留民子広島女子大学教授の指摘を紹介します。

ハリー・ポッターは日本では生まれない

「ハリー・ポッター」シリーズで一躍有名作家になったJ・K・ローリングさんは、イギリスの生活保護である公的扶助インカムサポートを受けながら「ハリー・ポッター」を書きました。夫と離婚して小学生の子どもを育てながら、毎日行きつけの喫茶店で「ハリー・ポッター」を書き続けのです。

これがどんなにすごいことかは、日本の生活保護の実態をみれば分かるでしょう。日本ではシングルマザーでも病気で働けない状態でない限り、生活保護は適用されないような実態です。しかし、イギリス政府は、「働かないで“奇妙な小説”を書いている人」に生活保護費を支給し続けました。やがて世界中で「ハリー・ポッター」はベストセラーとなり、映画化もされ、ローリングさんは莫大な税金をイギリス政府に納めるようになったのです。出版社や映画会社なども多額の税金を納め、福祉の乗数効果が生まれました。

もしイギリスの生活保護が日本と同じだったなら、ローリングさんは「ハリー・ポッター」を書くことはできなかったでしょう。総人口の5人に1人が生活保護の受給者であるイギリスでは、一人の人間が人生の中で生活保護の受給者になったり逆に納税者になったりと、立場が入れ替わることはごく普通のことです。

日本では「自立支援」と称して、シングルマザーだけでなく高齢者の生活保護受給者も、不安定で低賃金の劣化した雇用に追いやっています。雇用が貧困を解決するどころか、逆に貧困の要因となり、ますます雇用の劣化と貧困を広げるという悪循環を生むワーキングプア促進策となっているのが現実なのです。ローリングさんが日本で生活していたとすると、劣化した雇用、ワーキングプアに追いやられ、「ハリー・ポッター」を書くことはできなかったでしょう。

1886年から89年にかけて、チャールズ・ブースがロンドンで貧困調査を行いました。当時のイギリスは世界一豊かな国で、貧困は存在しない、存在していたとしてもそれは個人がだらしないから貧困に陥っているのだと考えられ、個人の生活態度をあらためさせ、勤労意欲を持たせることで解決できるとされていました。

ところが、この調査の結果、全住民の30.7%が貧困に陥り、そのうちの75%がワーキングプアであることが分かりました。貧困の原因は、臨時労働・不規則就労・低賃金などの雇用上の不安定さにあったのです。貧困は自己責任でなく、社会構造上の問題が貧困の原因であることを示したこの調査結果は、イギリスのナショナル・ミニマムの諸制度だけでなく、ヨーロッパ諸国において福祉国家づくりを進める力となりました。現在の日本政府は、貧困の存在を社会構造上の問題と認めず、「貧困は自己責任」としており、今から120年も前のイギリスのレベルにあるといえ、とても先進国などと言えないのです。

また、120年前のイギリスには、失業という概念がありませんでしたが、その後、「失業は権利」として認め、失業者の生活保障をしっかり行うことで、不安定な職にはつかない、つかせないという「失業を保障し貧困を防ぐ」という方向にヨーロッパ諸国は進んでいったのです。2006年の1月から3月にかけて労働者の使い捨てを合法化する法律に反対したフランスの青年数百万人の大きな運動のスローガンは、「失業はいやだが、だからといって労働力の安売りはしない」というものです。

ヨーロッパ諸国は、全国民の「欠乏からの解放」をめざし、国民生活の安定と最低限保障の諸制度を設けました。公共住宅の拡大、完全無償の医療、幼稚園から大学までの無償教育を中心に、国民生活の基盤を保障する方向です。同時に、完全雇用制を国家責任として、規則的雇用・最低賃金・児童手当によって労働者の最低限所得を保障し、老後の生活については最低保障年金で所得保障を進めました。

ヨーロッパの労働組合運動は、社会保障闘争を中心にして、国民的連帯を広げています。社会保障の課題は、労働組合の組合員だけの問題でなく、すべての国民にかかわる問題だからです。組合員だけの賃上げ闘争に埋没している限り、日本の労働組合に、国民的連帯を広げられる理由がありません。もちろんそれは政府・財界側の分断統治にもともとの原因があるわけですが、労働組合がこの分断を打ち破らなければ展望は開けません。日本の労働組合が、社会保障闘争を中心にして、「格差と貧困」に真正面から立ち向かい、国民的連帯を広げることが必要です。
【都留民子さん談、文責=井上伸】

▼唐鎌直義立命館大学教授のインタビューの一部を視聴できます。

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員、労働運動総合研究所(労働総研)労働者状態分析部会部員、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)がある。ここでは、行財政のあり方の問題や、労働組合運動についての発信とともに、雑誌編集者としてインタビューしている、さまざまな分野の研究者等の言説なども紹介します。

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