「生まれながらの差別」に鈍感な日本社会、「自分の子どもさえ良ければ」を乗り越えられるか|大内裕和中京大学教授

  • 2015/8/18
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「奨学金問題対策全国会議」の共同代表をされている大内裕和中京大学教授の指摘を紹介します。(※大内教授ご本人に了承を得た上での紹介です)

「生まれながらの差別」に鈍感な日本社会

奨学金返済滞納者の増加に対して、「借りた金を返すのが当たり前だ」という「自己責任」を強調する意見がよく出される。特にネットに多い。しかし、これは重大な誤りを含んだ意見であると思う。

現在までのところ、日本では大学の学費は「親負担」が原則となっている。ということは、大学の学費や奨学金について、学生が「自分で何とかする」=「自己責任」の領域として扱うのは不適当である。なぜなら「奨学金を借りる」要因のほとんどは、本人にではなく、「親の経済力」にあるからだ。多額の奨学金を借りる理由は本人にではなく、親の経済力が不足していることに原因があるのだから、それを学生本人が返すのが「自己責任」だと言い切れるだろうか。逆に言えば、「奨学金を借りない」学生は、本人が「借りない努力」をしたわけではなく、「親の経済力」にめぐまれていたからにすぎない。彼らだけが卒業後に苦労しない「特権」を手にしてよいのだろうか。奨学金返済困難の理不尽さは、「経済力のある親」の子どもは苦労せず、「経済力のない親」の子どもは苦労を強いられる「格差」にある。

私立大学の学生が奨学金制度の改善を求めるデモに参加したことに対して、「そんなにお金がないなら国立大学に行け」という書きこみが大量にあった。しかしそこには、私立大学よりも入学難易度の高い国立大学には、塾などの学校外教育費を支払える「相対的に」豊かな家庭の出身者が入学しやすいという事実への認識が欠落している。大学入学は努力だけで決まるのではない。努力を支える家庭の「経済資本」や「文化資本」が大きな影響を与えていることは、これまでの教育研究が余すところなく明らかにしている。

「日本は資本主義の国だから、格差があるのは当然だ」という書き込みも、論点をはずしている。奨学金を充実することは「結果の平等」を求めるものではなく、「教育機会の均等」→「スタートの平等」につながるからだ。

壁となっているのは社会に蔓延する「教育の私費負担」と「努力主義」の弊害だ。1970年代から約40年間、学費が高くなって長い時間がたち、塾や予備校などの学校外教育機関に「私費」を投じることが当たり前になったことによって、教育費を家計が負担するということが、「親の経済力によって子どもの受ける教育の質が異なる」→「生まれながらの差別」という根本的な不公正を生んでいることが見えなくなっている。

戦後経済成長を支えてきた「努力すれば何とかなる」という努力主義が、努力しようと思ってもできない「不平等」や「不公正」を見えなくさせている。努力することは確かに美徳だ。しかしそれが努力を支える条件への視点を欠落させた「努力主義」となった時、新自由主義の「自己責任」を無批判に受容するイデオロギーとなってしまう。

奨学金の運動を広げることで、教育への「私費負担主義」と「努力主義」の問題性を明らかにし、「生まれながらの差別」に鈍感な社会を変えて行きたい。

「自分の子どもさえ良ければ」を乗り越えられるか

急速な授業料の上昇と奨学金の有利子化の背景には、「教育への公的支出の抑制」がある。大学の費用については、1980年頃までは「公的支出>家計負担」であったのが、1980年代前半から「公的支出<家計負担」となり、2000年以降は家計負担が公的支出の約2倍となっている。そのため、子どもが大学生の家庭では、その期間は貯蓄率がマイナスになるデータが出ている。子どもが小さい時にせっせと貯金をして(あるいは学資ローンを組んで)、大学入学後にその貯蓄を取り崩すのが、日本の家族の平均像である。

これほど膨大な家計負担になっているにも関わらず、教育に投入する税金を増額すべきだという議論は、なかなか盛り上がらない。税金を活用して「すべての子どもに教育機会を」と考えるのではなく、なるべく税金を減らして、自分の子どものためだけにお金を使いたいと考えている親が多いからだ。「教育熱心な家庭」というが、それは「自分の子どもさえ良ければ」=「自己チュー」を意味していることが多い。

こんな「自己チュー」社会をもたらした最大の責任は、教育予算を削減してきた政府・財界支配層にある。しかし、その一方で「自分の子どもさえ良ければ」と子どもの学費や塾代には関心をもっていても、政府の教育予算には関心をもたなかった私たち一人ひとりのあり方も問われているのではないだろうか。

有利子奨学金の無利子化や給付型奨学金の導入のためには、教育への税金投入の増加が絶対に必要だ。教育予算を削減してきた政府・財界支配層への批判を行うと同時に「自分の子どもさえ良ければ」を私たちが乗り越えられるかどうかが課題だと思う。
大内裕和中京大学教授 2013年8月執筆】

井上 伸月刊誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員、労働運動総合研究所(労働総研)労働者状態分析部会部員、福祉国家構想研究会事務局、月刊誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)がある。ここでは、行財政のあり方の問題や、労働組合運動についての発信とともに、雑誌編集者としてインタビューしている、さまざまな分野の研究者等の言説なども紹介します。

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