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- 女子高生「サバゲーやって戦争好き。自衛官になりたい」→元米海兵隊員「“サイテーな奴ら”と戦うと信じてたけど自分が“サイテーな奴”になり俺は壊れた」「実際の戦場で生身の人間がどうなるか」|高遠菜穂子さん
女子高生「サバゲーやって戦争好き。自衛官になりたい」→元米海兵隊員「“サイテーな奴ら”と戦うと信じてたけど自分が“サイテーな奴”になり俺は壊れた」「実際の戦場で生身の人間がどうなるか」|高遠菜穂子さん
- 2016/10/7
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- 女子高生「サバゲーやって戦争好き。自衛官になりたい」→元米海兵隊員「“サイテーな奴ら”と戦うと信じてたけど自分が“サイテーな奴”になり俺は壊れた」「実際の戦場で生身の人間がどうなるか」|高遠菜穂子さん はコメントを受け付けていません
高遠菜穂子さんがきょうフェイスブックに書かれたコメントを紹介させていただきます。(※高遠さんご本人に了解を得た上での転載です)
数カ月前のこと。ある高校で「戦争があたえる影響」についての話をしました。破壊や死傷者、難民、国内避難民。そして、心の傷。米軍兵士のPTSDについてもとりあげました。
授業が終わってすぐ、一人の男子生徒が走り寄ってきてこう聞いてきました。
「あのぉ…ニュースとかで見たんですけど、海外に派遣されてる自衛隊の人でもそういう影響を受ける可能性ってあると思いますか?」
「そうだね。今後、戦闘に関わる可能性が高くなったのは確かだし、これまでとは違うから、その可能性は高くなったと言えるだろうね。実はそこをしっかり向き合わないといけないんだよね」
男子生徒の後ろに座っていた女子生徒たちも私たちの会話をじっと聞いています。一瞬そちらに目を向けて、「そういう話、もっとすればよかったかな」と声をかけると、うなずく彼女たち。「はい、そういう話がもっと聞きたいです」と男子生徒。
放課後、別の教室に25人くらい集まりました。最初の質問はやはり、兵士のトラウマについてでした。私がこれまでに聞き取りをさせてもらった米兵たちの話。アメリカの「帰還兵病院」でカウンセラーにインタビューした時のこと。軍の中には必ずカウンセラーがいるけど、それが兵士のPTSDを悪化させてしまうことも多いこと。特に「対テロ戦争」の帰還兵にはキツイこと。アメリカにはそうした兵士たちを支援する民間支援がいろいろあること。だけど、日本の場合はまだそういった準備が整っていないので、家族や友人、コミュニティが突然そういう状況に陥った時に受け止められるのかというのが私が一番懸念するところだというのも伝えました。その話の流れで、日本の“情報鎖国”を克服するにはどうしたらよいか、どんな国際貢献ができるのかなどの質問も出ました。
最後の質問を促すと、女子生徒が手を挙げました。「戦争好きな人もいると思うんですけど…友だちも結構やってるし、私も自衛官になろうと思っています」
「うん?やってるって、サバゲー(サバイバルゲーム)?」
「はい、サバゲーです。そういう人でも影響を受けると思いますか?」
「なるほどね。言いたいこと、わからなくもないな。私も演習場の横で、日常的に戦車を見て、砲弾の音を聞きながら育ったんだけど、イラクに行ったばかりの頃は、演習場と戦場の違い、わかってるつもりでちゃんとわかってなかったんだよね…“うわぁ、千歳みたい”って一瞬、和んじゃったくらいだし(苦笑)頭の中では“戦争はダメ”って思ってるのにね、体が自然に“懐かしい音”なんて思っちゃった。その直後に落ち込んだよ。だって、人が死んでるんだもの」
そして、その2つが決定的に違うと思い知った体験をいくつか話しました。
“死ぬ”、否、“殺される”とはどういうことか。
空爆や爆弾を受けたとき、人間の体がどうなるか。
遺族や負傷者が心身の傷を抱えてどんなふうにその後を生きていってるか…。
そして、最後にこう言いました。
「とまぁ、これが私が気づいた演習場と戦場の違い。これからの自衛隊の海外任務は今までとは違うのは確かだから、疑問や不安があるなら、今のうちに実際の戦争を体験をした人の話をできるだけ多く聞いたり、調べてみたらいいと思うよ」
女子生徒はうなずいていました。
先日、元米海兵隊の友人と別件で連絡を取り合った時、この話をしました。彼はあらためて私にこう言いました。
「軍に入る前の俺もそうだった。肉体派で、まさにそんな感じ。だから軍に入ることに抵抗はなかったし、戦うのが当然だと思ってたし、“サイテーな奴ら”と戦うんだと信じてたけど、想定外だったのは、自分自身が“サイテーな奴”になってしまうってこと。自分が不正義な戦いをしてるってことをまったくわかってなかったんだ。気づいた時にはもう戦場の真っ只中だった。その時から俺はおかしくなっていった。だから、その子に伝えてよ。君が誇りに思えるような作戦に従事できる保証はない。罪の意識に苦しむことになるかもしれない。果ては、絶望かもしれないってね」