#与党が勝つと残業代ゼロになります #与党が勝つと過労死・過労自殺・心の病が激増します 今でも日本の男性の労働時間はフランスの2倍以上

  • 2016/7/7
  • #与党が勝つと残業代ゼロになります #与党が勝つと過労死・過労自殺・心の病が激増します 今でも日本の男性の労働時間はフランスの2倍以上 はコメントを受け付けていません

7月10日に投開票される参議院選挙で与党の自公が勝つと残業代ゼロになります。そのことは、渡辺輝人弁護士が「高度P制(残業代ゼロ)法案は参院選の重要争点です」と指摘し、佐々木亮弁護士が「【雇用・争点】残業代ゼロ法案は大きな争点であるのに争点化されていないのはナゼ?」と警鐘を鳴らしています。

ツイッターでも「 #与党が勝つと残業代ゼロになります 」のハッシュタグが盛り上がっていますので、この問題にかかわるデータをいくつか紹介しておきます。

今回の参議院選挙で与党の自公が勝つと残業代ゼロになり、年収別に失われる月間残業代は以下の表のようになります。

いやいや「残業代ゼロ法案」は、年収1075万円程度以上の労働者だけでしょっという方には、日弁連のリーフ「働くあなたや家族の大問題!!過労死促進・残業代ゼロ制度(高度プロフェッショナル制度)」の以下を見てください。「残業代ゼロ法案」は、すべての労働者にかかわるものなのです。

また、「残業代ゼロ」になると残業代が出ないのだから残業しなくなっていいんじゃないかという方には、日弁連のリーフの以下を見てください。アメリカでは残業代ゼロ労働者の方が長時間労働を実際に強いられているのです。

「KAROSHI」が英語の辞書や他言語の辞書にも掲載されているように、現状でも日本は異常な長時間労働が広がっています。

日本はOECD26カ国で最も長時間労働
フランスの2倍超の長時間労働
年間153日以上も日本の男性はフランスより働いている

上のグラフにあるように、日本の男性の休日も含んでの1日当たりの平均労働時間は375分で、OECD26カ国の中で最長です。26カ国平均の259分より116分と2時間近くも長く日本の男性労働者は働いているのです。一番労働時間が短いフランスの173分と比べると日本の375分は2倍以上もの長時間労働となっています。日本の男性労働者はフランスの男性労働者の2倍以上も働いているのです。細かく見るとフランスとの差は202分ですから、日本の男性は1日当たり3時間22分もフランスより長く働いていることになります。1年間で考えると202分×365日=7万3,730分。時間にすると1228時間50分も日本はフランスより長く働いています。これを1日8時間労働として計算してみると、153.6日分も余計に日本はフランスより働いていることになるのです。ちなみに男性・女性トータルの平均労働時間の数字でも日本は373分(26カ国平均268分)と26カ国中、最長の労働時間になっています。

上のグラフを見ると、イタリアやドイツも労働時間が少ないですが、マイケル・ムーア監督の映画「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」の中で以下のことが「労働環境のジョーシキ!」としてスクープされています。

▼イタリアの「労働環境のジョーシキ!」
◆1年間の有給休暇は8週間。消化しなかった休暇は翌年に繰り越しが可能。
◆12か月間の労働で13か月目の給料がもらえるシステム。
◆育児有給休暇は5か月取得することが可能。
◆会社での昼休みが2時間。人によっては昼食時に必ず一時帰宅。
◆休暇はストレス解消になって労働効率があがると、会社も推奨。
◆最も生産性の高い国15か国に入っている。

▼ドイツの「労働環境のジョーシキ!」
◆1週間の労働時間は36時間。
◆労働者は17時には帰宅。
◆会社の役員の半分は従業員から選出されなくてはならない。
◆従業員の退社後に上司はメールを送ってはいけない。
◆従業員のプライベートな時間に上司が電話連絡してはいけない。法律違反にあたる。
◆職場はストレスの温床と認識され、ストレス過多の者は処方箋をもらえて無料のスパに3週間滞在できる。

マイケル・ムーアの映画で、共働きのイタリア人夫妻が、年間8週間の有給休暇を楽しんでいる様子にスポットがあたっていましたが、下図にあるように、長時間労働が蔓延する日本の労働者はその真逆です。下図はOECDのサイトに掲載されている一日の余暇等の時間です。フランスより2倍超もの長時間労働ですから当然のように睡眠時間や自分をケアする時間、余暇等の時間が日本は最も短いものになっているのです。

そして、以下のグラフにあるように、日本は長時間労働者が突出して多く、安倍政権下で過労死・過労自殺が増大し、「心の病」は3年連続過去最多を更新し続けています。

それでは、なぜ日本では過労死・過労自殺が蔓延する長時間労働が広がっているのでしょうか? 下の表は、東京新聞2015年6月1日付からです。

日本の労働基準法36条では労使が残業を例外的に認める協定を結ぶことを是認していて、日本経団連の役員企業など多くの大企業で過労死基準(月80時間以上)を超える協定が結ばれているのです。(※参照→「ワタミ問題から考える日本の雇用 – 合法的に過労死・過労自殺を認めている日本社会の異常|河添誠氏×本田由紀氏」)

下の表にあるように、EUでは労働時間規制が厳格に定められていて、労働時間の上限規制とともに、24時間につき最低連続11時間の休憩時間、いわゆるインターバル規制があるから長時間労働が蔓延しないのです。

最後に、フランスやイギリスの長時間労働問題等について現地調査をした労働総研事務局次長の藤田宏さんに私インタビューしたことがありますので、最後に紹介しておきます。

フランスやイギリスも長時間労働に苦しんでいた

――藤田さんはフランスやイギリスの雇用・労働実態の現地調査もされていますね。

実際に、フランスやイギリスの実情を見て、必要な文献を調べてみると、日本の参考になることがたくさんあります。「日本型ワークシェアリング」をどのようにして実現していくかを考えるうえでも、フランスやイギリスの労働時間短縮の歴史が参考になります。かつてはフランスやイギリスも、今の日本と同じように労働者は長時間労働で苦しんでいました。フランスやイギリスの労働者・労働組合は、どのようにして長時間労働の現実を克服し、労働時間の短縮を実現してきたのか。その歴史は、“長時間労働の国”日本の労働者にとっても非常に教訓的です。

“バカンス発祥の国”の時短の歴史

フランスは“バカンス発祥の国”です。フランスのバカンスは、法律(労働法典)で保障されています。メイン休暇として最長24労働日(4週間)を連続して取得させることが使用者に義務付けられていて、有給休暇の取得(付与)は、労働者の権利であるとともに、使用者の義務にもなっているのです。ですから、経営幹部や部長、課長など管理職も含めて、バカンスを完全取得するのは常識になっています。

しかし、フランスのバカンスは、最初から年5週間だったわけではありません。バカンスの始まりは1936年にさかのぼりますが、最初は2週間でした。それが、いまのように5週間になったのには労働組合のたたかいの歴史があるのです。

第二次大戦後、フランスでは、長時間労働が広がりました。戦後復興・経済再建のための生産が増加し、生産増強に対応するために、長時間労働が恒常化したからです。労働者は、生活水準向上のための長時間労働を受け入れ、労働時間短縮よりも所得の向上を先行させました。当時のフランスでは、超過勤務は普通で、残業代が恒常的な所得の一部となっていたのです。

長時間労働による労災の深刻化と生産性低下

1960年代に入ると、長時間労働による労災事故の深刻化、労働者の疲労蓄積による無断欠勤の増加、労働生産性の低下など、長時間労働の弊害が次第に表面化しました。こうしたなかで、長時間労働に歯止めをかけ、その弊害を防止する力の一つになったのが、労働者・労働組合が掲げたバカンスの拡大要求です。労働者にとっては、賃金の低下につながりかねない労働時間短縮よりも、賃金とは関係なく実現できる年次有給休暇の拡大が中心的要求となりました。このたたかいの先頭に立ったのが、戦後国有化された「ルノー公団」の労働者・労働組合で、1955年の労使協定では、それまでの2週間から3週間の年次有給休暇へ、1962年の労使協定では、4週間の年次有給休暇をかちとりました。

これをうけて、1956年にはギー・モレ内閣が有給休暇3週間を法定化、1969年にはポンピドウ内閣が有給休暇4週間の法定化に踏み切ったのです。バカンスの拡大が、長時間労働に苦しむ労働者の切実な要求として前進した経験は、日本にとっても教訓的といえます。しかし、当時のバカンス拡大の要求は、ワークシェアリングという視点には到達していませんでした。

ワークシェアリングが本格的に検討されるようになったのは、1970年代に入ってからのことです。それまでの高度成長のひずみが表面化し、1973年のオイルショック時には失業率が4%を超え、1985年には10%以上になり、その後も失業率は高止まりの状況が続くようになったのです。こうしたなかで、フランスでは、失業問題を打開するためのワークシェアリングの必要性は、右派、左派という政治勢力の違いを超えた共通認識になりました。バカンスの4週間から、現在の5週間への拡大も、この脈絡の中で実施されました。

フランスにおける週35時間労働法の制定

フランスの現在の週35時間労働法も、左派のジョスパン政権のもとで、ワークシェアリングの一環として実施されたものです。ジョスパン政権の週35時間労働法制定に中心的な役割を果たしたD.タデイは、法定労働時間の短縮に踏み切った理由について、次のように述べています。「はっきり理解すべきは、フランスにおいては自然発生的に労使間交渉が一般化することは決してないということ、そして労働組合が弱すぎるうえに分裂しているのに対して、経営者の方は偏り過ぎたイデオロギーを持っているということだ。両陣営間には紛争のイデオロギー、力関係のイデオロギーがあって、他の国のようなコンセンサスを得ようという考えがない。だから、フランスにおいては労使間交渉を一般化させようと思えば、法を通じて行わざるを得ない」。

フランスでは、こうして国の法律として週35時間労働法が制定され、ワークシェアリングが進められました。週35時間法は、失業問題の根本的解決にはつながりませんでしたが、労働時間の短縮によって、数十万人の雇用創出効果があったと推計されています(フランスの労働者数は日本の約半数)。

日本におけるワークシェアリングは、フランスの労働時間短縮の雇用創出効果と比較にならないほどの成果を生み出すことは間違いありません。フランスは長年にわたって、不況時になると何回もワークシェアリングを実施してきたからです。そのうえでの週35時間法の制定でしたから、その効果も限定的だったとみることができます。

ところが、日本は違います。フランスでは考えられないような異常な長時間労働が日本では野放しになっています。サービス残業が横行し、年次有給休暇もまともに取れない状況が広がっています。加えて、完全週休2日制も未実施の企業も残されています。こうした現状の改善をすすめながら、ワークシェアリングに足を踏み出すならば、フランスとは比較にならない雇用創出効果が生まれることは明らかです。

企業経営にとっても時短がプラスに作用

フランスの週35時間実現の取り組みでもう1つ教訓的なのは、労働組合のはたす役割の重要性です。フランスでは、労働時間短縮によって雇用創出、つまり、要員増を要求し、実現した職場と、そうはならなかった職場では決定的な違いが生まれています。

労働時間の短縮と要員増を要求して労使交渉が行われた職場では、労働組合の影響力が職場に広がり、労働組合がなかった職場にも労働組合が誕生するようになりました。たたかいのなかで、労働組合の発言力が高まり、労使間交渉が制度化されるようになっていきました。労使間交渉がきちんと行われ、そのなかで、週35時間労働制に移行した職場では、他の企業と比較して、雇用と付加価値の上昇率が大きく、労働時間短縮にあたって賃下げは行われませんでしたが、賃上げを抑制したことにより1人当たり賃金コストの上昇率が低く抑えられたため、企業経営を悪化させていないことも明らかになっています。日本の企業でもそうですが、経営危機に陥った時、たたかう労働組合がある職場では、企業倒産をさせないためには経営をどう改善するのか、作業スタイルを見直して作業効率をどうあげるのかなどを労資で議論して、経営危機を克服したという事例が報告されています。フランスでもそうした議論が展開されて、労資の信頼関係が深まり、週35時間労働が、労働者にとっても企業経営にとってもプラスに作用したのでしょう。

しかし、週35時間労働制への移行が労働者のまともなたたかいなしに、交渉が企業のイニシアチブで行われ、要員増なしの雇用維持という防衛的協定を結んで移行した職場では、変則的勤務時間、交代勤務、作業方法の変更などによる労働強化が行われ、職場の労働者の一体感が失われてしまい、仕事がおざなりになるようになっているそうです。

労働組合が、労働者の要求を実現するという労働組合存立の原点を守るかどうかが、労働者の生活だけでなく、企業経営の安定を左右することにもつながっていることを、フランスの経験は示しています。これも大切な教訓だと思います。

政治の姿勢が変われば変化は速い

イギリスは、人間らしく働くルールという点で、つい最近まで、日本と同じように、フランスやドイツなどと比べて、非常に“遅れた国”でした。イギリスは、伝統的に、労使間の問題は労使の決定にゆだねるべきであり、政府は介入すべきでないとする考え方が支配的で、イギリスには、労働基準法のような労働条件全体を規制する法律そのものがありませんでした。

労働時間の上限規制と11時間の休息保障

そうした事情に変化が生まれたのは、1997年の総選挙で労働党が勝利し、ブレア政権が誕生してからです。「ワークライフバランス」の実現を目玉政策の1つに誕生したブレア政権のもとで、イギリスでは、EUの「労働時間指令」にもとづく働くルールが次々と確立されるようになりました。1998年には、「労働時間規則」が制定され、労働時間の上限は週48時間とされました。日本は週40時間労働が「原則」ですから、一見、随分緩やかな規制にみえます。しかし、実際は日本以上にきびしい規制です。週48時間の労働時間には残業分も含まれているからです。しかも、労働日と労働日の間に「11時間の休息期間」を保障することも明記されています。日本のように、睡眠時間が3、4時間しか取れないというような無制限の長時間労働はありえないのです。

「1998年労働時間規則」に続いて、フルタイム労働者との均等待遇の権利を明記した「2000年パートタイム規則」、有期契約労働者の均等待遇と正規雇用を要求する権利を保障した「2002年有期雇用者規則」、給与、勤務時間、年休取得などの雇用・労働条件について同等の仕事をしている派遣先の労働者との均等待遇を定めた「2010年派遣労働者規則」、性差別、年齢差別などあらゆる差別を禁止した「2010年平等法」が次々と制定されました。労働者の労働と権利を守るルールがほとんどなかったイギリスで、この10年余の間に働くルールが国の法律として次々と確立したのです。

イギリスはEU加盟国ですから、EUで「労働指令」が決まれば、それを国内で具体化しなければならないという有利な条件があります。しかし、それも労働者と労働組合のたたかいがあってのことです。TUC(イギリス労働総同盟)は、長時間労働の国からの脱却をめざし、ワークライフバランスの実現のたたかいの先頭に立ちました。2001年には、企業にも労働者にもプラスになるようなワークライフバランスの実践的ガイドブックを発行し、これが労働時間規則の徹底やパートタイム規則の実効性を担保する取り組みにつながりました。また、派遣労働者の均等待遇も一貫して要求し、2004年に主要労働組合が労働党との選挙協力で結んだ協定には、EU労働者派遣指令の成立にむけて、EUのなかで、労働党政権として協力することを約束させています。これが2010年の派遣労働者規則の実現の力になりました。

日本には、イギリスのようにEU「労働指令」を国内法化するというような有利な条件はありません。しかし、日本でも、労働者・労働組合が国民に働きかけ、国民世論の支持を得て、政治の流れを変えることができれば、人間らしく働くルールを国の法律として確立することができます。
【2013年2月、労働運動総合研究所(労働総研)藤田宏事務局次長談】

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学教職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員(教宣部長)、労働運動総合研究所(労働総研)理事、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者、日本機関紙協会常任理事(SNS担当)、「わたしの仕事8時間プロジェクト」(雇用共同アクションのSNSプロジェクト)メンバー。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)があります。

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