自衛隊が「日本軍」として戦争法案前提に「軍部独走」、官僚頼みの文民統制、国会に自分たちが統制するという感覚が希薄、すでに文民統制が効かない自衛隊「別班」の諜報活動|青井未帆学習院大学教授

  • 2015/8/12
  • 自衛隊が「日本軍」として戦争法案前提に「軍部独走」、官僚頼みの文民統制、国会に自分たちが統制するという感覚が希薄、すでに文民統制が効かない自衛隊「別班」の諜報活動|青井未帆学習院大学教授 はコメントを受け付けていません

青井未帆学習院大学教授にインタビューしたとき、「文民統制といった時に、これまで官僚頼みだったところが今裏目に出ているのではないでしょうか。国会に、自分たちが統制するという感覚が非常に希薄なのでしょう」との指摘があり、「すでに文民統制が効かない自衛隊『別班』の諜報活動」による「軍部の独走」の危険性についても警鐘が鳴らされていました。

「戦争法案」が強行されるようなことがあると、「人の支配ではなく法の支配を」という「法治国家」が崩れ、「法の支配ではなく人の支配」=「法の支配ではなく安倍首相の支配」が強行されることになってしまいます。そして、文民統制=シビリアンコントロールが効かないとすれば、「法の支配ではなく軍部の支配」、まさに先の戦争時と同様の「軍部の独走」が再現される危険性さえあり、その「軍部の独走」でさえ秘密保護法で国民は知ることすらできない可能性もあります。

こうした文民統制=シビリアンコントロールが効かず「軍部の独走」がすでに再現されていることが昨日国会で明らかになっています。上の画像にあるように、すでに自衛隊は自ら「軍」になっていたのです。詳細は、しんぶん赤旗の記事「戦争法案の施行前提に自衛隊が部隊編成計画“8月成立”日程表まで作成 小池氏「軍部独走の再現」と追及」を見ていただくとして、ここでは文民統制の問題にふれている青井未帆学習院大学教授のインタビューを以下紹介します。(※インタビュー収録は2015年4月5日で、「安倍政権がどう説明しても「戦争法案」で自衛隊が実際にやることは憲法違反の軍事行動・武力行使|青井未帆学習院大学教授」の続きになります)

憲法9条を紙切れにし法治国家壊す
集団的自衛権行使の「戦争法制」
青井未帆 学習院大学教授インタビュー

文民統制のバランスが崩れる
「背広組」は権限縮小で「制服組」は権限増大

――私たち国公労連には国公一般という、職場に労働組合がなくても一人でも入れる労働組合があります。その国公一般に自衛隊員や防衛省職員からパワハラやセクハラ、残業代不払い等について労働相談が寄せられていますが自衛隊員には団結権すら認められていない無権利状態で多くの場合が泣き寝入りさせられています。そうした状況がありながら集団的自衛権行使の問題があり、防衛省改革によって、今年の10月にも防衛装備庁を設置する法案なども今国会に提出されています。防衛装備庁が武器輸出等も担うということですが、文民統制の問題とともにこうした動きをどう見ていらっしゃいますか?

憲法9条があるので、大日本帝国憲法下の陸海軍のような軍隊を持つことはできません。そこで自衛隊の指揮監督権についても、内閣総理大臣がもつ「行政各部の指揮監督権」の表れなのだという説明をしてきました。そして軍隊としての側面が極力見えないようにし、一般の国家公務員の関係に問題を小さくしてきました。軍隊組織は一般の公務員関係を超えるような部分が多分にあるわけですが、なるべくその特殊性を見ないようにして、一般の国家公務員関係の問題へと小さくしてきたというのが、これまでのあり方だったと思います。

文民統制という議論の中でも、防衛省職員も一般の国家公務員の枠組みの中で理論的に処理してきましたので、他の公務員との違いをあえて強調しない傾向になる。それでは日本型文民統制が現実に機能してきたのはなぜかというと、政治的なアクターとしての官僚組織に負うところが大きかった。しかし今後は、自衛隊という実力装置と私たち国民の自由の関係、および、実力装置の中の個人の自由と実力の関係という両側面から、議論が必要になってくると思います。

これまでの文民統制を少し振り返ると、「制服組」と「背広組」という言い方を使うと、戦後の法制は、防衛大臣(防衛庁長官)と「制服組」との間に「背広組」を挟んで、「背広組」が防衛大臣を補佐することに重きを置く仕組みから、出発しました。防衛大臣があって、背広組があって、制服組があるという縦の構造です。しかし、それは文民統制ではなく文官統制に過ぎないという批判はずっと強かったこともあり、統制補佐権というものを何とか変えたいという動きがずいぶん前からありました。

軍政と軍令がかつて大日本帝国憲法下では厳然と区別されていました。軍令については特殊で軍事的専門的な事柄だから口出しできませんでした。統帥権独立ですね。それで結局のところ軍部の独走を押さえられなかったということもあって、戦後、特殊日本的な文民統制の方法が編み出されて、「制服組」の上に「背広組」が乗る形になった。特に戦後、警察予備隊から保安隊、自衛隊と展開する中で、旧内務省系の官僚が強かったということもありますが、そうした縦のラインで何らかの統制を図ろうとしてきました。それが良いことだったか悪いことだったかは別として、そういうことだったのですね。

この統制補佐権と防衛参事官制度が、戦後日本型文民統制を支える制度でしたが、いずれも大きく変容してきました。さらに今国会では、先に「縦の関係」と表現した仕組みを、防衛大臣へ「背広組」と「制服組」が「横の関係」で補佐する形に、法律上も大きく転換しようとしています。

文民統制に資する制度の転換の前と後で、防衛大臣の能力は変わるものではないでしょう。資質の問題としても突然、政治的軍事的知識が増えることはないでしょう。「背広組」の権限が減らされる一方で、「制服組」は権限が増えるという、法の上でのバランスの変更に、十分な注目が集まっていない点が問題をはらんでいるように思います。

「背広組」と「制服組」が並列だからダメだとか、いいとか、そういうことよりも、バランスが変わる以上は、本当に上手くいくかということについての、綿密な考察が必要のはずです。もっと緻密な議論をしないと、それこそパワハラやセクハラも含めて問題が大きくなります。誰が一番困ったことになるかといえば、「行け」と言われて行くことになる自衛隊員です。自衛隊員は、一般の国家公務員とは違う特殊性を抱えながらも一般の国家公務員の枠の中で我慢をしなくてはいけない。しかも団結権等もないわけですので、無権利状態で労働基本権に関して非常に不利な立場に置かれています。集団的自衛権にしろ、実際に行使するとなった時に弾となり楯となるのが個人である以上は、上手く実力装置そのもののコントロールと、その中での隊員の自由を守るための仕組みが必要と思うのです。

ところがこの文民統制の問題はあまり関心を呼んでいないといいますか、大臣を「相俟って」背広組と制服組が守備範囲を分けながら補佐するのは、けっこうなことじゃないかという意見も強いようですね。しかし我が国独特の背景をよく理解した上で、しかも憲法9条がある中で制服組も一般の国家公務員と同じように考えられる傾向があることや、団結権もないという様々な事情を加味して考えないといけない問題なのだろうと思います。

武器輸出・武器開発を担う「防衛装備庁」の出現

――防衛装備庁の設置についても制服組が権限を持つことになるのでしょうか?

武器の輸出は経済産業省の所管です。経産省と防衛装備庁と、輸出についてどういう権限の切り分けになるのか、私は今の段階で知りません。確かに経産省に武器輸出についての実体的判断ができるのかというと、それはそれで難しいのだろうと思います。

そうすると、では誰が判断できるのかといった時に、実際にそれを扱っている人間にならざるを得ないところは恐らくあるのでしょう。これから先は共同開発が一層進展しますので、共同開発となった時に日本だけの判断でどこまで何が言えるのかという限界も抱えています。

防衛装備庁をつくることで、どういう変化がもたらされるのかということは、今まさに動いている事態といえましょうから、今後、きちんと見ていかなければいけないことだろうと思います。今の時点で、これは文民統制が崩れますということまで断言できるわけではありませんが、武器の共同開発等のことを考えると、どう権限の切り分けがなされるか、大いに注目しています。

国立研究機関も国立大学も軍事研究に絡め取られる?

――私たち国公労連の仲間には国立研究機関や国立大学の仲間もいます。すでに国立研究機関では軍事研究の具体的な話も出ていて、憲法9条があるにも関わらず武器の研究開発に従事するようなことにされてしまう恐れも出て来ています。そこに特定秘密保護法なども絡んでくるように思います。

軍事研究はアメリカ等の国防総省等から提供される資金を含め、一般的に資金が潤沢ですね。すでに大きなプロジェクトが動き始めているということも報じられています。

同時に気をつけなければいけないと思うのは、汎用品と軍需品の境目がすごく分かりにくくなっていることです。憲法9条との関係で、どこまでならできる、どこからはできないと機械的に線引きすることは、難しいのだろうと思います。

結局、一番大きいのは文化的なものなのではないかと思っています。それぞれのところで軍事研究はやめようというような文化が、急速になくなってきているような気がしなくもありません。おそらく「平和国家である以上、これはできないと多くの人が思ってきたこと」というのが、これまではあったのだと思います。それは、今でもそれなりに共有されている。

そうすると、軍事研究に研究機関を挙げて邁進するという流れに、なかには全く良心の呵責がない方もいるとは思いますが、逆にすごく良心の呵責を覚える人も出てきて当然なのだろうと思います。そういう方々の心の問題ですね。「憲法9条を変えていないのにどうしてこういうことになってしまったのか」という声を上げることができるか。上げることのできる状況であるか。

憲法9条の文言は何も変わっていないのに、あれよあれよという間にお金が軍事研究に入ってくるようになった、それでいいのだろうか?と声をあげられる環境をつくることが大切なのだと思います。平和というのは、憲法9条があるから維持されるものではなく、もっと広い文化的な背景もなくては維持できません。私たちがつくってきた文化を壊すのは簡単ですが、つくり上げるのは難しいでしょう。今、それでいいのか? と声をあげていくことが、私たち市民自身に問われているのではないでしょうか。

すでに文民統制が効かない自衛隊「別班」の活動

――自衛隊には、すでに文民統制が効かない「別班」の活動があるという点についても青井先生は指摘されていますね。

自衛隊の「別班」で働いていた方の手記等が出版されていますので、その存在は以前から知られていました。今回新しく書かれたのは、海外でも諜報活動をしているということです。仮にこれが事実であるならば、かなり大きな問題です。

さらに、それが防衛大臣等にも上げられていない情報だとすると、一体誰に忠誠を誓っているのかという問題にも、当然に発展します。防衛大臣が文民統制する大前提で制服組と背広組が補佐するように変えようというのに、補佐する対象に視線が向いていないとするならば、そもそも文民統制という議論自体が成り立たない可能性もあるわけです。これが全くその後、全国紙も含め、続報という形で深められていっていないところに、薄気味悪さを感じてならないです。

「何が秘密か分からない」という
特定秘密保護法の大きな足かせ

――そうすると制服組の力が高まってパワーバランスが変わるわけですから、特定秘密保護法も考えると文民統制も効かない危険性もあるのではないかと感じます。

自衛隊の「別班」という組織は、公式には否定されていますので、こうだという決めつけはできませんが、「何が秘密か分からない」という特定秘密保護法は大きな足かせです。

秘密の中でも特に守られるべき秘密の一つは、我が国の場合は、米国の軍事的な作戦情報です。自衛隊の「別班」の活動がこれとどう関係しているのかは分かりませんけれど、仮に密接な関係にあるとするならば、間違いなく特定秘密でしょう。存在しないはずの組織による情報なのですから、本来は、正統性がありません。そういう正統性のないものも含めて特定秘密になるのではないか。これまでも密約等という形で同じようなことを私たちは経験してきたところですので、過去のことからすれば危険が高いと言わざるを得ないと思いますね。

「人の支配ではなく法の支配を」という
近代国家・法治国家の大前提が崩れつつある

――マスコミ報道によると、安倍首相は今回の集団的自衛権行使容認等の法制化の後に明文改憲に着手すると言っています。今国会で安倍首相が自衛隊を「わが軍」と呼んだことについて、明文改憲の先取りだという批判も出ています。そもそも憲法9条の下であり得ない解釈改憲を法制化しておいて、次に明文改憲というのは順番も間違っていると思うのですが、こうした安倍政権の改憲への政治姿勢をどう見ていらっしゃいますか?

私も、それはやり方として間違っていると考えます。実体を先に変えてしまって、後から追認するということに他ならない。そういうやり方をしてしまっては、政治が守らなければならないものとして憲法なり法があるといった、近代国家の大前提が壊れてしまうと考えています。

――もしそうなると憲法9条と矛盾する違憲状態の法律が併存する期間が続いて明文改憲に持っていくという、矛盾に矛盾を重ねる状況が続いて、立憲主義が崩れていくような状況の中で、私たち国家公務員労働者は依って立つ憲法そのものが壊されてしまうという、仕事をする上でも難しい局面に立たされるようにも思います。青井先生は、「法治国家」そのものが崩れていく過程にあると見ていらっしゃいますか?

崩れていくかどうかは今後の私たちにかかっているのだと思います。法の支配の観点からいうと、これは容易ならざることだと思いますね。

おそらく今の安倍政権だけの問題ではなく、今後の政府についても影響することでしょうが、今の政治のありようは、政府が自分で自分の首を絞めるようなことでもあるのではないか。憲法の下に法律があり、日常の業務として行政が行われるという、その設定が崩れてしまったとすると、おっしゃるように、依って立つ地盤がなくなってしまうことに他ならない。憲法における明文ではなく、ある特定の政権の考え方を一番上に据えてしまうのは、人の頭の中を覗き込むことはできないわけですから、統治が不安定になる大きな原因だと思います。それは、「人の支配ではなく法の支配を」というように、私たちが長い年月をかけて取り組んできた原理にも関わる大きな問題です。

こういうことが許されてしまったならば、何でもありになってしまいますよね。安定的な統治が行われることが私たちの生活が安定することにもつながり、公務員の皆さんにとっては日々の業務が正しいものとして行われることになります。大前提が正しいから自分たちがやっていることも正しいわけで、そこに疑問が抱かれてしまうというのは、本当に悲しむべきことだろうと思います。

立憲デモクラシーの会」の活動

――青井先生は「立憲デモクラシーの会」などでも活動されています。そうした取り組みの今後の展開や展望はどのように考えていらっしゃるでしょうか?

現在の日本政治は、「日本の法はこれでいいのか?」「日本の政治権力はこのように法を無視する形で自己拘束を解いてしまっていいのか?」という、法や政治の根本問題を考えることを、法に関わる者に迫るものだと考えています。「立憲デモクラシーの会」は特に研究者が中心ということもありますが、法や政治の原理的な観点からの批判をこれまでもしてきましたし、今後も、そうしてゆくことでしょう。

その他、「国民安保法制懇」や「戦争をさせない1000人委員会」などいろいろな団体に私は関わっているのですが、それぞれの観点から、今の安倍政権が抱えている危うさが問われてゆくものと思います。

――とりわけ、立憲主義が大事と考えていいでしょうか?

最近は立憲主義という言葉が随分広まりましたよね。少し前まではあまり知られていない概念だったかと思います。では、そういう感覚がそれまでなかったのかというと、そうではない。政治権力というのは何でもできてしまう権力にも等しいわけです。でも「権力者ならば何でもやっていいわけはない」という感覚は、多かれ少なかれ、共有されてきたはずです。それが立憲主義という言葉で表されるようになっただけです。

やってはいけないことがあるというのは、私たちは当然のことのように思ってきたはずなのですよね。政治に携わってきた為政者の側も自己拘束してきたところは多分にあった。法律のプロである内閣法制局がダメといったらダメだと、そういうことは、「法というものに自分たちは縛られている」という理解を示す一つの例だったのでしょう。それは私たち国民も当たり前に思っていたんじゃないか。

それが今、流動化しているのだろうと思います。ただ、「国家は何でもできる」ということには多くの人がおかしいと思うはずですが、「おかしい」という感覚をこれからも持ち続けることができるかどうかが、私たちの国が立憲主義の国であり続けるかどうかの一つの目安なのだろうと思います。「政権に全部お任せでいいのだ」ということになれば、権力者にとってはそれこそまことに有り難い話になる。被治者が権力への批判的な精神を持たず、言うことを聞けばいいと思っているというのは、為政者にとってはこれほど都合のよい話はないわけです。

何とか政治を法で縛ろうという努力が、立憲主義や法の支配といった概念として結実しているわけですが、それはたゆまぬ努力の上に受け継がれてきたものです。この先にバトンをわたすためには、不断の努力を必要とします。「国家は何でもやっていいわけじゃないんだ」ということは何度も、何度も確認していかなければいけない。私たち国民が自身で、確認していかなければいけないことと考えます。

具体的な権力構造に立憲的ダイナミズムで迫る

――基本的に武力行使ができない枠組みを前提にしていることもあって、具体的な権力構造についてあまりチェックできていないようにも思います。テロや海外の有事がある度に議論が起きるにも関わらず、防衛庁や文民統制が崩れるとなった時に、よく知らないがために即座にリアクションができないことも問題だと思います。憲法の基本スタンスは学校で教わりますが、権力構造については学びません。学生とも接していて、そうした問題についてどう思われていますか?

憲法は小学校から習っているけれど、非常に理念的なところしか教わらない傾向は、あるのでしょうね。実際には、法律のプロが行政法のレベルで、本当に細かなところまで綿密に統制の仕組みを作り、また執行してきたのでしょう。

行政法の理論としては、何しろ法律のプロがやっていることですので、それなりに一貫してやってきた。法に対する信頼感を前提としていたからこそ、国民は理念的なところだけでよかったのかもしれません。それが先ほどのような理由で崩れている。

それともう一つは、国内の行政法の話から、自衛隊の運用についても、主戦場が国際法の話になりつつあるのだろうということです。国際法といった時に、アメリカは独特の国際法解釈をするといいますか、予防的に先行行動もできるとか、他の国は踏み込まないところまでできるという判断をしますよね。そういう国といわゆる同盟関係にあるので、私たちは単に理念的なところではなく、行政法の世界についても国際法についても、私たち自身のこととして各国の理解にも目を配っていかないといけない。でなければ、おっしゃるように突然問題が出てきた時に憲法における明文だけでは、どうにもこうにも、リアクションがとれないということになってしまうと思います。

具体的な法の仕組みは、普通は憲法の条文を見ても分からず、個別の法令を見なければ分かりません。例えば、有事法制一つとっても具体的な仕組みについては少なくとも高校までの過程では勉強しないわけですから。ついていけないというのは非常によく分かります。大変重要なご指摘だと思いますね。

議論の土俵が異なる各国の文民統制

――文民統制について、外国ではどのような仕組みになっているのでしょうか?

文民統制のあり方は国によって随分違いますので、どの国がどうということは申し上げることができません。ただ他の国との比較はもちろん重要ですよね。

日本の場合は一般的にドイツ法制の影響がとても大きいわけですが、防衛法制などもドイツを手本にしてきました。ドイツは再軍備を憲法改正によって行いました。文民統制としては、憲法によって非常に細かく規定をつくることによって図るという国です。それに対して我が国は、再軍備を憲法改正でしていないので、議論の土俵が異なります。

アメリカはというと、アメリカの憲法がつくられたのは昔だということもあり、議会が戦争について宣言する権限を持っていて、司令官は大統領であるという地位を定めた条項があります。これは権限を定めているのではなく地位を定めているので、「打ち出の小槌」みたいに、地位から権限がワサワサと出てきうるという構造です。そこで、アメリカについても、アメリカがこうだから日本も、という議論は出来ません。

議論や実行例が積み重なった結果として各国の憲法なり軍の取り扱いが存在していますので、一概には言えないのです。だからアメリカのようになれとかドイツのようになれとは言えなくて、憲法9条も含め、歴史を背負って今があるので、今の仕組みをきちんと理解することがすごく重要ですね。比較することも大切ですが、今の日本の状態を知らずに比較するのは、もっと危険なことだろうと思います。

官僚頼みだった文民統制
国会に自分たちが統制するという感覚が希薄

――青井先生は、文民の意味の一つは国会だとも指摘されています。国会でもチェック機能を果たしていないという難しさは日本独特のものなのかなと思います。

そうですね。安倍首相の「わが軍」発言は、国会でその時はスルーされてしまいましたね。従来の議論からすると、自衛隊は軍ではないことに存在意義があったわけですから、国会議員はすぐに反応しないといけないところだったと思います。感度が低すぎると批判されても仕方ない部分はありますね。

文民統制といった時に、これまで官僚頼みだったところが今裏目に出ているのではないでしょうか。国会に、自分たちが統制するという感覚が非常に希薄なのでしょう。集団的自衛権の問題も周辺事態法を変えることも恒久法もそうですが、国会は何ができるのか? 何をし得る能力があるのか? ないとすればどうしたら良いのか? 国会議員のあり方も含めて考え直さなければいけないのだろうと思います。今度改正の土俵にのぼっている安保法制だけではなく、今まであった法律も含めて仕組みをつくっていかないといけないのだろうと思いますね。

特定秘密保護法は私も随分批判してきました。ただ情報監視に関しては行政監視の一環として、「情報監視審査会」が設けられましたので、一応、国会に特定秘密に触れるルートができています。そうした足がかりを最大限使って、国会が何をできるのかということを考えていかなければいけない。

特定秘密保護法は廃止すべきという運動に私は賛同しているわけですが、それと同時に、あるものは全部使うというような意味で、国会ができることはこれからもう一度精査していくべきだろうと思います。

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学教職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員(教宣部長)、労働運動総合研究所(労働総研)理事、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者、日本機関紙協会常任理事(SNS担当)、「わたしの仕事8時間プロジェクト」(雇用共同アクションのSNSプロジェクト)メンバー。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)があります。

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