浜矩子さん「人間不在で貧困放置するアベノミクス=ドーピング経済学が日本を壊す」

  • 2015/8/9
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私たち国公労連(日本国家公務員労働組合連合会)が開催した行政研究交流集会(2013年11月15日開催)で、同志社大学大学院教授の浜矩子さんに講演をしていただきました。この講演の一部を紹介します。(※浜矩子さんご本人に了解を得た上での紹介です)

人間不在で貧困放置する
アベノミクスが日本を壊す
浜矩子同志社大学大学院教授

アベノミクス転じて「ドアホノミクス」

アベノミクスという言葉がちまたに出回るようになって以来、私はずっと、この言葉が大嫌いです。ですからこの言葉を使わずにアベノミクス批判を展開することができないかと思い、あれこれ考えているうちに思いついた言葉が「アホノミクス」です。当初は、さすがに品が悪すぎると思いまして、少々遠慮がちに小さめの声でつぶやいていたのですけれど、時間の経過とともに遠慮している場合ではないという思いが強まり、何の遠慮もなく声高に「アホノミクス」と言い、直近では「アホノミクス」の前に「ド」を置き、「ドアホノミクス」と言う必要があるのでないかと思っています。

この「アホノミクス」転じて「ドアホノミクス」のどこがどのように問題なのかということですが、これも時間の経過とともにいろいろな問題点が見えてきました。現状で大きな問題は2つあります。1つは、基本的に人間不在の政策体系であるという点です。2つめは、アベノミクスが本当の意味でのグローバル時代と相性が悪いという問題です。私たちが今生きているグローバルな経済社会環境が持っている特性と、アベノミクスは親和性が低く、あまりに相性が悪いが故に、日本の国民経済が消滅してしまうことにもなりかねないという問題があるのです。

人間不在のアベノミクス

まずアベノミクスが人間不在であるという問題です。そもそも「経済活動は人間の営みである」ということがアベノミクスでは忘れられています。この地球上に存在する生き物の中で、経済活動を行う生き物は人間しかいません。私たちは、人間以外の生き物たちといろいろな行動様式や行動原理を共有しています。たとえば、犬や猫にも喜怒哀楽があり家族を大切にする。そういう意味で、人間とその他の生き物たちには共通する感性や活動のあり方を見いだすことができます。しかし、経済活動は、他の生き物たちは絶対にやらずに人間だけが行うものです。人間だけが行う経済活動こそ、最も人間的な活動であるという点をまずは押さえておく必要があるのです。

ところが、現在は、経済活動が人間と相性が悪くなっていて、経済が前面に出ると人間が引っ込まされてしまう。経済本位でものごとを考えると、それこそ人間本位ではなくなってしまうという感覚を持つようになってしまっているわけです。

「ブラック」であるものは本来なら
企業であることを許されない

たとえば、非正規労働者の劣悪な雇用・労働条件や、正規労働者が「ブラック企業」に酷使されるという状況があります。人間を人間として扱わないような経営で、「ブラック企業」という言葉が最近注目されるようになっていますが、言い得て妙な言葉です。本来であれば、「ブラック」であるものは企業であることを許されない。「ブラック」な活動というのは経済活動ではないと認識すべきだと私は思います。経済活動が人権を踏みにじるというのは、経済活動が人間の営みである限り、あり得ない、許されてはいけないことのはずです。つまり、本来であれば経済活動は人権の礎になるものです。しかし、現実はそれとは非常に遠い状況になってしまっている。だからといって経済活動が非人間的なパターンで動くことを「あれは経済だからしょうがないんだ」とは決して言ってはならないと思います。人権が踏みにじられていくような形で展開される活動のあり方を、経済活動と呼んではいけない。人間のための経済活動という本来の姿を私たちは厳格に描き、守っていく必要があるのです。これが経済活動を考える上での出発点です。

しかし、アベノミクスには、人間の姿が見えません。たとえば、2013年6月6日に安倍政権の成長戦略が発表されました。そのときの安倍首相のスピーチは1時間ほどあり、アベノミクスの「3本の矢」などの話をしているわけですが、このスピーチの中で、「人間」という言葉はたった1度しか登場しません。しかもそれは1970年の日本経済は元気だったという話の中で「あの大阪万博のときには、人間洗濯機というものが非常に注目を集めていましたね」などというところで「人間」という言葉が出てくるだけです。「格差」や「貧困」「非正規雇用」という言葉も一度も登場しません。また、当然目を向けるべき地域経済のあり方にも話が及ばない。そして驚くなかれ、そもそも「雇用」という言葉が1度も出てこないのです。アベノミクスは人間にまったく目が向いていないという姿が非常にはっきりと表れていました。

豊かさの中の貧困が日本社会の最大の問題
貧困を放置してデフレ脱却などできない

人間に目が向いている経済政策の体系であれば、一番焦点となるべき問題は「豊かさの中の貧困問題」です。日本は世界トップクラスの豊かな経済社会を持っているのに貧困問題が深刻であるという現実がもっとも大きな問題なのです。

国際比較を可能にするための貧困統計として相対的貧困率という数字があります。日本の今の貧困線は年間所得が120万円ぐらいですが、この貧困線以下の割合が相対的貧困率となり、日本は16%にも及んでいます。日本はこれだけ豊かな経済であるのに、16%もの人が貧困の淵を彷徨っているのです。貧困率が一番低い先進国はデンマークで5.2%です。国民経済の総体としての豊かさはデンマークより日本の方が遥かに上なのに、日本の貧困率はデンマークの3倍以上です。この数字がまさしく、豊かさの中の貧困が日本社会の大きな問題であることの証です。

全世帯の16%の人々が貧困生活を強いられている状況の中で、デフレ脱却などできるはずはありません。いま日本が抱えているデフレ問題は、成長力の不足が原因ではありません。分配がきちんとできていないことが問題なのです。この16%の貧困の中にいる人々がまともな生活をできるようになってこそ、初めてデフレから脱却することが可能になります。逆にいたずらに経済成長を追求すればするほど、成長の成果を上げるために非正規雇用の人達がさらに人間らしく扱われない状態が出てきてしまいます。やはり、人間不在の目から見ると経済政策の焦点がまるでズレてしまうということを、安倍首相の成長戦略スピーチはよくあらわしていたと思います。

安倍政権のスタンスは富国強兵

一方で、安倍首相の成長戦略スピーチの中で頻繁に登場する言葉があります。それは「成長」で、41回登場しています。もう一つは「世界」という言葉で37回です。

このような経済大国の政治責任者ですから、世界に思いを馳せる場面がスピーチの中で多々あるのは、むしろそうでなければ困るという点もあるかと思います。しかし、この「世界」という言葉の登場の仕方が問題でした。どんな脈略の中で登場したかというと、たとえば、「再び日本が世界をリードするときが来た」「再び日本が世界の中心に躍り出ることができる」「世界最高水準をめざす日本」「世界一企業が活動しやすい日本をめざす」「世界大競争の中に出て行く日本」「世界で勝つ日本」、ついには「世界を席巻する日本」という言葉まで登場する始末でした。

こういう言葉を見ていると、要するに安倍政権の成長戦略とはすなわち「世界制覇戦略」であるということが分かります。そして、アベノミクスで富国して、憲法改正で強兵するという富国強兵というわけです。この富国強兵をめざして、安倍政権は進もうとしている。これが安倍政権の根源的なスタンスなのです。

グローバルジャングルは弱肉強食か?

この世界制覇をめざす、「世界一になるんだ」という感覚自体が、グローバル時代とアベノミクスの相性の悪さにつながっていくのですが、その前に、グローバル時代というのがそもそもどういう時代なのか、というところから話を進めていかなければなりません。

グローバル時代とはどういう時代でしょうか? たとえば私たちが今生きている世界を「グローバルジャングル」と名付けるとすれば、そのジャングルはいかなる場所で、どのような力学が働く場所なのかということです。

まず「グローバル時代」とか「グローバルジャングル」という言葉を使えば、私たちの頭にすぐ浮かんでくるのは「弱肉強食」「淘汰の論理」という発想です。それこそ、世界大競争の中で勝ち抜いていく者が生き残っていけるということで、強者の論理が全面に出る世界。これがグローバルジャングルという世界だと私たちはすぐに思ってしまうところがあります。皆が巨大な土俵の上でひしめき合いながら、サバイバルをかけてぶつかり合う、競い合う世界に私たちはいま生きている。それは間違いのないことだと思います。

共生の世界こそがジャングルの生態系

しかし、視野を大きくしてじっくり考えてみると、このグローバルジャングルの中で働いている力学は、決して弱肉強食、淘汰の論理一辺倒ではありません。

そもそもジャングルという場所は、人間たちが構成するグローバルジャングルのみならず、人間以外の動物たちが構成しているジャングルにおいても淘汰の論理は情け容赦なく働いています。しかしながら、その土台においてジャングルというのは非常によくできた共生の生態系であるということも間違いない事実です。そうした観点でみれば、ジャングルの中には強い者しか生存できないのだとは決して言えないわけです。

確かに食物連鎖の頂点にライオンやトラがいるのは間違いないのですが、彼らの少し下の層には、同じ肉食動物でありながら少し弱めの動物達がいて、その下にもっと弱めなものがいて、更に草食系の小動物、植物、さらにはバクテリアまで存在している。この生態系は、強いものも弱いものもそれぞれの位置づけを持ちながら皆で支え合っているという構造になっています。ですので、一番強いものといえども自分より弱いものを全部食い尽くしてしまうということは決してしないわけですね。ライオンがどんなにお腹が空いていても、周辺にいる小動物を全部食べ尽くすということはしない。それをやってしまえば、自らの命に危機が迫ってくることが分かっているから、そういうバカなことはしないというのがジャングルの世界なのです。

つまり、淘汰の論理は確かに働いているのだけれど、適者生存という格好になっている。この適者には強いものも弱いものもいる。生態系を支えることができる共生力のあるもの達が、皆で一緒にジャングルを支えている。これがジャングルの根源的な力学であるということに、私たちは気がつかなければいけないと思うわけです。強いもの、弱いもの、大きいもの、小さいもの、若きもの、老いたもの、皆それぞれの役割を持って支え合っている。この共生の世界こそがジャングルの生態系であり、共生の生態系を壊してしまうとジャングルはたちどころに維持されなくなって砂漠と化してしまう。それが根源的なジャングルのあり方、基本形だといえます。

誰も一人では生きていけない
グローバルジャングル

これが今度はグローバルジャングルになって、人とお金が国境を超える生態系になってくると、新しい側面が出てきます。人とお金が容易に国境を越える中で、今や私たちは「グローバルサプライチェーン」とか「グローバルバリューチェーン」という言葉を使うようになりました。数多くの国境を超えて、数多くの人々と、数多くの多種多様な企業群がお互いに支え合い、お互いに長い生産体系の一貫を形成する中で、何度も国境を超えながらひとつの完成品を皆でよってたかってつくり上げ、それをグローバル市場に送り出していくという時代ですね。

私たちがグローバルジャングルに住み始める以前の世界では、日本製品といえばあくまで国産の部品や資材を使い、国内でつくりあげられていました。原油などどうしても外から調達してこなければいけないもの以外は国内で調達し、それらの部品を使って国内の工場で日本人たちが製品をつくり上げて完成品となったものがそこで初めて国境を超え、海外の市場に出て行くという時代がかつてあったわけです。

しかし今の国境なきグローバル時代では、日本製品といってもその組み立ては日本ではないところで行われている。または日本製品の中には日本製ではない数多くの部品や材料が組み込まれている。そういう形で日本製品というものがグローバルな市場に登場していくという格好になっています。グローバルジャングルにおいては、「メイド・イン・ジャパン」と「メイド・バイ・日本企業」とは1対1の対応関係を持っているとは限らない。そういう世界の中で、今や私たちは経済活動を営んでいるということになっているわけです。

ですから「メイド・イン・ジャパン」ではない「メイド・バイ・日本製品」というものを、このグローバル時代においてどう扱わなければいけないのかという難しい問題に私たちは対峙させられている時代状況になっています。

たとえば、ロンドンオリンピックのときに、アメリカの選手団のユニフォームをよくよく見てみたら、帽子から靴まで9割がメイド・イン・チャイナだったということで、アメリカで大問題になりました。あのユニフォームをデザインし、ブランドを持っているのは、ラルフローレンというアメリカを代表するアパレルメーカーです。あのユニフォームはメイド・バイ・ラルフローレン、メイド・バイ・アメリカ企業というわけです。でもその縫製加工を実際に行ったのは中国だったから、メイド・イン・チャイナということになるわけです。

この「メイド・イン」と「メイド・バイ」の距離がだんだん遠ざかっていくというのも、グローバルジャングルの一つの大きな特徴です。だから、ラルフローレンという天下の超有名ブランドといえども、中国工場の力を借りないと製品を世の中に送り出すことはできない。その意味で、誰も一人では生きていけないというのが、このグローバルジャングルの現実です。グローバルサプライチェーンという言葉が意味しているのは、まさにそういうことなのです。皆が誰かに何かを借りて経済活動を営んでいる。皆が誰かに何らかの助けを借りてモノを世の中に送り込んでいるという時代。いかにそういう時代になっているかということは、東日本大震災から少し経過したときに明らかになりました。福島の一つの小さな部品工場が操業不能に陥ると、その結果として世界中で自動車生産が止まるという展開になった。グローバルサプライチェーンというのはそういうものであって、まさに一つの小さな部品工場の力を借りなければ、世界中の大自動車メーカーも自己展開することができないということです。つまり誰も一人では生きていけないのがグローバル時代の現実である。つまり皆で一生懸命共生の生態系を支えているというのが、グローバルジャングルの現実であるともいえます。

グローバル時代とアベノミクスは相性が悪い

もはや当たり前のように「福は内、鬼は外」と言えない状況になっています。この国境なき時代、国境を超えて人やお金が動く時代においては、どこまでが内で、どこからが外なのかということも、そう簡単に分かるわけではない。日本企業の中国工場を内とみなすのか、外とみなすのかということは、そう簡単に答えの出てくる話ではないのです。このような生態系の中に私たちは生きているということです。皆が誰かに依存して経済活動を完結させているということは、つまり自己完結することが非常に難しい時代になっているということ。それがグローバル時代であるということです。

その中にありながら、自分だけが世界一になるという発想を全面に打ち出していくというのは、グローバルジャングルの共生の生態系にブレンドされない、その中に入っていきづらいスタンスです。自分だけが一番になる、自分が世界一になるということは、誰かから何かを奪って、誰かをその座から引きずり降ろさなければいけないということです。皆が誰かと何かを分かち合わなければ生きていけないという生態系の中で、誰かから何かを奪わないとできないことをやろうとするのは、非常にすわりの悪い存在だということになります。だから、このグローバル時代とアベノミクスは相性が悪いし、親和性が低いというわけです。

「3本の矢」「異次元金融緩和」「国家戦略特区」
「アベノリンピック」は、ドーピングの経済学

それから、オリンピックといえば、東京で開催されることになっている東京オリンピックを「アベノリンピック」などと呼ぼうとしている動きもあり、あきれ果てていますが、この東京オリンピックも利用して経済成長しようという人間不在のアベノミクスについて私が最近思っているのは、要するにこれはドーピングの経済学であるということです。経済学という称号を与えるのも問題があるのですが、ドーピング大作戦という感じで、東京オリンピックも含めて次々と得体の知れない薬物を日本経済に注入し、それによって非常に速成的かつ短期的、刹那的に人工的な筋肉増強効果を引っ張り出して、それで日本経済の本来の姿には不似合いなスピードで突っ走らせる。そもそも「アベノミクス」という言葉自体が最初の薬物で、「3本の矢」や「異次元金融緩和」が続き、「国家戦略特区」と来て、そしてついに「アベノリンピック」を最後の薬物に使おうとしている。ドーピングを続けていった結末は誰もが知っている通りです。人間なら心身ともに破壊されることになるわけですが、日本経済そのものが破壊されてしまう方向に向かって、アベノミクスは突っ走ってしまっているわけです。

2013年11月15日、浜矩子さん談

▼講演の全体を動画で視聴できます。
アベノミクスの真相と国民本位の行財政のあり方:浜矩子教授講演
・アベノミクスには人間の姿がみえない 6:28~
・「成長戦略スピーチ」で欠落している言葉 13:44~
・アベノミクスは「富国強兵」を目指す 20:05~
・グローバル・ジャングル 共生の生態系 29:40~
・「ふんどし」を借りるか「土俵」を借りるか 40:40~
・国家は国民のために存在する 50:43~
・最後まで残る国家の役割は弱者救済 59:45~
・質疑応答:地方の中小零細経営者たちへの言葉 1:02:54~

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学教職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員(教宣部長)、労働運動総合研究所(労働総研)理事、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者、日本機関紙協会常任理事(SNS担当)、「わたしの仕事8時間プロジェクト」(雇用共同アクションのSNSプロジェクト)メンバー。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)があります。

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