公務員バッシングの発信源となる開発主義国家の新自由主義改革――対抗軸としての新しい福祉国家構想|後藤道夫都留文科大学名誉教授

  • 2015/12/10
  • 公務員バッシングの発信源となる開発主義国家の新自由主義改革――対抗軸としての新しい福祉国家構想|後藤道夫都留文科大学名誉教授 はコメントを受け付けていません

▲ロンドンの反緊縮デモ15万人

長文ですが、とても重要な指摘がされている後藤道夫都留文科大学名誉教授へのインタビューを紹介します。

公務員バッシングの発信源となる
開発主義国家の新自由主義改革
――対抗軸としての新しい福祉国家構想
後藤道夫 都留文科大学名誉教授インタビュー

現在の激しい公務員バッシングの背景には、開発主義国家の刻印と新自由主義の問題があり、対抗軸としては新しい福祉国家で働く国家公務員労働者を展望する必要があるのではないかという仮説を勝手ながら立てさせていただき、後藤道夫都留文科大学名誉教授にお話をうかがいました。(※聞き手=国公労連調査政策部・井上伸)

日本は福祉国家でなく開発主義国家であった

――後藤先生は日本社会を開発主義国家であったと規定されていますが、開発主義国家とはどういうものなのか、最初にお聞かせください。

新自由主義改革が壊そうとする対象は、ヨーロッパの場合は福祉国家です。日本の場合は構造改革が新自由主義改革に当たりますが、構造改革によって壊されるような福祉国家がそもそも存在していたのだろうかという疑問があります。

また、日本の場合は構造改革に対する世論の支持が高いという状態が長期に渡り続いています。なぜ日本だけ新自由主義に対する支持がこれほど高いのか? こうした点を考えていくと、構造改革が壊そうとしている対象として開発主義国家、あるいは開発主義国家体制というものを想定して議論した方がいいということで、開発主義国家という言葉を使い始めました。

当然、構造改革が壊そうとした対象として開発主義国家を考えるわけですから、構造改革のこの間の勢いとパワーを見てもよく分かりますが、もうすでに開発主義国家は大半が壊れたという認識です。ですから、現在の日本が開発主義国家であるということではなく、もうかなりが壊れた状態にあるということです。しかし、その伝統と要素の残存が、その変形も含めて、かなり日本社会のいろいろな側面を縛っているのです。

それでは、開発主義国家の大半が壊れた後に何が来ているのかということは、まだそれほどはっきりした規定が社会科学者の中で合意されていません。しかし、新自由主義的な、あるいは多国籍企業中心の新しい国家のタイプが今つくられつつあると考えていいでしょう。

開発主義国家とは何か

開発主義国家とは何かということですが、ひとつは、国民経済成長をはっきりと目標にして、長期的・系統的かつ強力な国家介入を行う資本主義システムが開発主義です。こうした強力な国家介入、しかも国民経済成長を目的にしたという限定が付いていますが、そうしたものを開発主義と呼んだのは当時東京大学教授の村上泰亮さんが一番早く、1980年代でした。彼はアメリカからの日本資本主義体質改善要求をかなり深刻に受け止めて、今までの日本の経済成長のあり方全体を転換することが必要だとしました。その時に日本の経済成長のあり方や、それを可能にしてきた国家や日本資本主義の体質を表す言葉として「開発主義」という言葉を使ったわけです。さらにその前に、チャーマーズ・ジョンソンが当時の通産省を扱った著作『通産省と日本の奇跡』(1982年)の中に、Developmental stateという言葉が出てきます。これも似たような感覚だったろうと思いますが、普通の自由主義タイプの国家と市場の関係とは相当違うものだという描き方をチャーマーズ・ジョンソンも村上さんもしています。その言葉を借りたというのが最初です。ただ、開発主義という言葉は、これと別に、1980年代以降のアジアの開発独裁国家をイメージして使われることも多いので、今に至るまで言葉の混乱はありますね。

明治以来の開発独裁との連続と断絶

そうした一般的規定をした後、日本の場合は明治以来の開発独裁国家の歴史が強力な影響をもっていて、それとの連続および断絶で問題を考えなければならないということがひとつあります。簡単にいえば、先進国へのキャッチアップを独裁国家のパワーで上から強引に成し遂げようとしたのが開発独裁ですね。明治維新以来、富国強兵というスローガンでそれをやってきたわけですが、第二次世界大戦での敗戦で富国強兵から強兵が消えて富国だけが残りました。そしてある意味で再キャッチアップの強力な国民合意が戦後すぐの段階でできていく。その辺が非常に大きかったのだろうと思います。

独裁とは異なる大衆社会統合の機能

ただ、連続と断絶という点で見ると、戦後改革で自由民主主義の政治体制が持ち込まれましたので、戦前の独裁型の国家とは根本的に違うということは押さえておく必要があります。自由民主主義的なものが体制として持ち込まれて1960年代には完全に根付いたわけですが、それを前提にすると、「大衆社会統合」という機能を国家は果たさないといけないということが、どうしても問題になってきます。つまり自由に政党を結成して、自由に政治運動をやって、内閣が議会で選ばれることになるわけですから、下手をすると合法的な議会を通じた社会主義的変革も可能になります。そうさせないための国民の合意の調達、資本主義にたいする積極的あるいは消極的な同意の調達が、現代国家の大事な機能になるわけでして、これが大衆社会統合です。戦後日本の開発主義国家というのは、大衆社会統合を課題とした現代国家の一類型として考えた方がいいということです。その意味で開発独裁とは違うのです。

開発独裁と連続する官僚制=公務員バッシングの源流

自民党がその後、開発主義国家の中で果たした役割も、集票機構と一体になっているからこそあれだけの強さを持っていたわけですが、この利益誘導を用いた自民党の政治的支持獲得、政治支配は、大衆社会統合の一つの形であって、独裁型の政治では問題にならないものだったのだと思います。

そういうわけで、ひとつは開発独裁とは区分されるということですが、もうひとつは連続性の側面を見る必要があるということです。工業化、経済成長を目標とする強い国家介入という面での連続性です。これは、同じ国家介入といっても、市場経済と国民の生活の衝突・矛盾を調整するための、福祉国家型の介入とは系統的に違うのです。

開発独裁型の国家介入を担ってきた官僚制の伝統もこの連続性の一つの側面だと思います。これについては渡辺治さん(一橋大学名誉教授)が指摘しています。戦後改革の時、残っていた官僚制を使って占領軍が統治したということもあって、官僚制がそれほど崩れないで残ったということも大きい。裁量主義的な官僚制の体質が継続しているといわれるのは、開発的な国家介入がもたらす特質なのではないか、と思います。各省庁の縄張り争いの中で、有力な省庁が他を押し切るなどの伝統もあります。

直接的な支援で国民生活の安定はかる福祉国家

結局、大衆社会統合の一種だという話をしましたが、福祉国家型の大衆社会統合とどこが違うのかということです。福祉国家型の大衆社会統合は、国家がかなり大きな国家になって、社会保障や教育の場面で直接的に国民の生活を支援・保障します。そのためには多くの現業公務員が必要となり、租税も累進課税で所得税中心につくられて、それが足りなくなって初めて消費税も導入するというようなやり方を取ってきました。こうした福祉国家型の、直接に国民生活の安定を図る制度の背後には、産業別労働組合や社会民主主義政党の力や、あるいは社会的自由主義政党の力があります。

大企業を中心に支援する日本

これに対して日本の場合では、国家が国民経済成長を大企業を中心として支援する、あるいはむしろリードする。その結果、国民経済および大企業が成長して、雇用が増大して賃金が向上する。企業の好業績・高成長と労働者の処遇の向上をつなぐ大きな条件となったのが日本型雇用であり、国民経済の成長の果実を小零細企業や農林業、地方などに配分する装置が補助金や各種規制のシステムでした。結局、大企業、業界、国民経済の成長を間に置き、さらに、日本型雇用と地方などへの特殊な所得再分配装置を介して、結果として国民生活が向上するという間接的な支援の仕方をとってきた。これが大きく違うところです。

日本の開発主義官僚制は
容易に国民の権利抑圧に向く

直接の保障の場合は、国民の権利の実現という形をとりますので、官僚制の仕組みが系統的に違うことになるのだろうと思います。日本の開発主義官僚制は、国民の権利の実現ではなく、国家目標に沿う社会運営・経済運営の舵取りを目標としてきましたので、権利の保障は自由民主主義国家としての形式にすぎず、経済成長の邪魔になると判断すれば、有形無形にこれを抑圧することが容易に生ずる、そうした体質をもってきたのではないでしょうか。ちなみに、福祉国家は新自由主義による破壊攻撃にたいする抵抗力が、開発主義における場合よりもはるかに強いと思いますが、こうした構造の違いが大きいのではないでしょうか。

日本の体制は開発主義国家と企業主義統合の合体物

これは背景にある大衆社会統合を進めるパワーの違いの問題でもあるわけです。ヨーロッパの福祉国家諸国の場合では、それを進めるパワーは産業別労働組合とその支持を受ける社会的自由主義政党あるいは社会民主主義政党ということになります。それが日本の場合、開発主義国家体制が大衆社会統合の全体的体制だと思いますが、その仕組みが2つの部分からできている。開発主義国家という狭義の国家の部分と、企業主義統合という部分からできていて、それぞれ担い手や推進力が微妙にズレています。開発主義国家体制というのは、開発主義国家と企業主義統合の合体物です。

開発主義国家は、国家の総力を上げて法体系から行政から財政から、経済成長のためなら何でも担ってきた国家です。その実際上の担い手、政治的な推進力は財界、自民党、官僚です。しかし、開発主義国家の目標たる経済成長そのものにたいしては、敗戦の後で、むしろ国民的な合意が相当強くあったと思います。

企業主義統合の中心を成す資本蓄積第一

企業主義統合というのは1960年代前半に原型ができて、70年代半ばでほぼ完成したものです。これは労働者を企業がつかむシステムで、簡単にいえば日本の労働者が「資本主義体制もそう悪くない」と思う、その思い方です。日本の場合、自分が所属する大企業あるいは中企業がどんどん大きくなって成長して、資本蓄積を順調に進めて、そこに自分が労働者として応分の貢献をして、その分見返りのより多い賃金をもらうことで自分の生活と労働のサイクルが上手くいくという、その確信のようなものが企業主義統合の中心を成しています。

企業主義統合の担い手となる労使協調派労働運動

この企業主義統合は、当然のことですが、労働組合によって労働者の生活を成り立たせるという考え方とはかなり違うもので、企業が成長することによって労働者の生活が良くなるという考え方をするわけです。労働者は次のような論理を受け入れるようになっていきます。自分の属する企業の業績向上に努めて、他の企業との競争に負けない状況をつくり出す。そして自分が属する企業が自由にできるパイをできるだけ大きくして、企業への貢献度を巡る労働者間競争にも負けないで、パイのより大きな部分を確保する。そうやって生活向上をするのだ、これが企業主義の論理です。だから逆にいえば、これは企業間競争に負ける企業の労働者の生活は破綻しても仕方がないという意味合いを含んでいますし、企業内の労働者間競争に負けた労働者は、生活が破綻しても仕方がないということも陰に陽に含んでいるわけです。

この論理は当時、個人主義的な競争の論理に純化されたわけではなく、高い経済成長率と企業成長の状況下で、企業への強い帰属意識の強化という形で進みました。こういう考え方が労働組合の本来の論理とパワーを圧倒して、会社の中の労働組合の右傾化、労使協調主義化、要するに労使協調派労働運動と会社側の一体的な動きという形で、大企業の生産現場の労働者がほぼ企業の中に取り込まれていくのが1960年代前半から半ばです。そして中小企業まで含めると、1970年代半ばくらいということになります。ひと言で言えば、企業主義統合の直接の担い手は、企業ごとの労使協調派労働運動と企業の経営管理者層ということになります。

企業主義論理が労働現場を席巻

労働者をどのように社会統合していくのかということでは、1960年代まで、先進国の例に習うなら福祉国家型の統合しか存在しないと思われていたわけですが、日本で福祉国家型の統合装置を作る見込みはほとんど立っていなかったし、そうする意志もありませんでした。官僚からは、個々のプランだけは60年代にいろいろ出たのですが。結局、国家が生活保障を担い、社会民主主義政党などと巨大産業別労働組合を通じて労働者が福祉国家型の国家に統合される、といった道筋は日本では実現しませんでした。他方、企業主義統合も、計画的・意図的に形成が促進されたというよりは、個々の企業が自分たちの労働組合の中の左派をつぶし、右派を育成していって、その結果として形成されたと言ったほうがいいでしょう。開発主義国家による強力な援助と相まって高度経済成長が長期に渡って実現したことが、企業主義の論理を説得的なものにしたわけです。生活が自分の会社に即して良くなるという経験を、労働者が十数年に渡って積んだ結果、企業主義の論理が労働の現場を席巻して、結局それによって経営者たちは自分たちが労働者を統合できるという自信を持つようになるわけです。この自信は、60年代の後半から70年代最初の頃に出てきたのではないかと思います。

開発主義国家そのものは、経済成長を強力に促す、あるいは引っ張るということで、その担い手は若干の変化があるものの、1950年代から続いていたわけです。これに60年代半ばから70年代に企業主義統合が加わって、開発主義国家体制の原型が出来上がりました。

開発主義国家体制の段階変化

1970年前後に、高度経済成長に陰りが出ます。このあたりから開発主義国家体制の段階変化が起き始めます。

60年代までの間に日本の重化学工業化がものすごい勢いで進みました。第一部門、つまり、生産材・生産部門が大変な勢いで伸びた。原理的に考えると、それが過剰生産にならないためには、その生産物をさらに国内で設備投資に使う、つまり設備投資が設備投資を呼ぶと当時言われましたが、そうした第一部門の中で循環する形で処理する方法と、あとは自動車、家電を含め最終生産物を輸出でカバーするという方法、それから国内で無理矢理需要をつくり出すという、3つくらいしか処理方法がないわけです。60年代は設備投資が設備投資を呼ぶということに引っ張られて、過剰生産はあまり顕在化しませんでしたが、それもひとわたり済んでしまって、さらに、70年前後の、世界全体が高度経済成長が危なくなる頃になると、そうはいかなくなってきます。

日本の人口の約半数が革新自治体下に

70年前後には、もうひとつ大きな問題が顕在化してきました。それは高度経済成長に伴い、農村から都市へ人びとの大移動が行われたこと、および、広い地域に環境を大きく変える規模の工業集積が出現したこと、の結果でした。労働者としての生活様式に非常にたくさんの人が参入してきた。しかしそのように大都市部で新たに労働者生活を始めた人たちの生活を安定的にカバーするような装置が、極めてわずかしかできていなかった。保育園が少ない、上下水道が完備していない、住宅がわずかしかない、ありとあらゆることが足りなかったわけです。

加えて、公害問題が60年代後半に大問題になって社会を揺るがしました。それらを日本の保守派が上手に処理できないという時代がしばらく続いたため、革新自治体が全国で一斉に増えてくる。これが60年代末から70年代初頭です。最高時、日本の人口の約半数が革新自治体下で暮らしていたわけです。そういう矛盾は、大きく見れば階級間の対立です。
さらに、農村の側からみても、都市部との関係で大きな問題・要求がでてきます。つまり、あまりにも農村が都市部の人口増・工業の発達と比較して遅れを取ってきた。どんどん人を出した挙げ句、農村は農村として暮らせるのか、という大問題です。これも広く見れば、農民と資本家階級との対立ということになります。

70年代の開発主義的な大衆社会統合の危機

70年代の保守政権は、過剰生産に対する需要を強引につくり出さなければならないという必要に迫られる一方で、こうした階級対立に対して階級融和を何とかして図らなければいけなかった。いわば、60年代に成立してきた開発主義的な大衆社会統合の危機ですね。都市部の自治体も近代化しなければいけない。社会保障も高度化させないといけない。そうした階級融和の必要と、需要形成の必要の両方に強く迫られたのが70年代です。ある意味、田中角栄という人物は、「福祉元年」といい「日本列島改造計画」といい、その両方の要請にこたえようとした流れを代表しています。

日本列島改造計画は第一次石油危機で破産し、田中角栄は1974年末に首相の座から降りますが、需要形成と階級融和の要請そのものがなくなったわけではなく、実際、1970年代を通じて、日本の開発主義国家は大変大きなものになっていきます。政府一般会計と地方普通会計の純計の対国民総支出比は、1970年度が18.5%でしたが、1980年度になると29.5%と11ポイントほど増えました。10年間でそれだけ伸びたわけです。

現在の先進国はどこも巨大な国家です。需要形成と階級融和を主な課題とする大きな現代国家といえるでしょう。それに近い構造が本格的に日本で成立したのは70年代を通じてと言ってよいのではないでしょうか。いわば、国家と経済の融合、相互の影響の与え合いが非常に高度なレベルまできて、そうでないと社会が維持できなくなっているわけです。これは福祉国家諸国も同じですが、そうした大きな国家の開発主義国家版が、70年代末から80年代初頭にはある程度完成したということになります。

他方で、労働側が企業主義統合でほぼパワーがなくなってしまった状態というのが、70年代後半にははっきりします。その結果、対労働者の階級融和の必要性そのものが70年代末以降、だんだん小さくなってくるのです。企業主義に統合され尽くした観がありますね。また農村部の住民のパワーも、何しろ数が減ってきたので、自民党に即しても一番大事なのは都市の住民だという、そうした話が出てきます。数が全然違いますから。というわけで、70年代末になると、階級融和の必要度が相当落ちてくる。むしろ過剰資本恐慌を避け、さらに、アメリカとの通商環境を悪化させないための国内需要形成の必要、という側面が前面に出てきたわけです。

80年代後半に突出した開発主義

アメリカにたいして、あまりに洪水的な輸出攻勢をかけたものですから、日本国内の資本主義体制を変えろという要求がアメリカから強烈に迫ってきます。ハーモナイゼーションの要求です。日本の資本主義の体質を変えろという話だったのですが、結局のところ、公共事業の大盤振る舞いで国内需要を高めるというところに落ち着きました。アメリカと約束して何百兆円という公共事業を約束し、バブル経済につながったわけですね。開発主義がアメリカから大きく変容を迫られたのに、結論的にいえば、あまり変容しないで、80年代後半にはむしろ開発主義が巨大になるという、逆の現象が起きた。もっと歪んで突出した開発主義が出現したというのが80年代後半です。国民から見ると、バブルの滅茶苦茶なお金の使い方も含めて、自民党政権は極めて腐った政権だという印象が固定化されていくわけです。

90年代前半になって初めて、バブル崩壊と共に、今までの日本の経済成長のあり方を本格的に変える動機と、その変革を実現する現実性がいろんな側面から凝集して出てくるわけです。その最も大きな背景は、1980年代半ば以降に、日本の大企業群が急速に多国籍企業化したということです。90年代前半の「政治改革」が90年代後半からの本格的構造改革の政治的前提をつくり、構造改革は、今まで開発主義国家体制としてでき上がっていたいろいろな要素のほとんどすべてを叩き壊していくことになります。先ほど企業主義統合にふれましたが、その背景になっているのは日本型雇用です。その日本型雇用も、したがって企業主義統合も破壊されます。

巨額の公共投資による産業基盤形成

開発主義国家とはどんなものだったのか、もう少しお話ししましょう。

どんな手を使って経済成長させたのかということですが、まず第一に、重化学工業化に向けて国の富を強力に誘導しました。つまり国民総支出の大きな部分を固定資本形成に向ける施策が総合的にとられたわけです。高度経済成長期の前半では国民総支出の30%くらい、後半は30数%が固定資本形成に使われています。

ルートはいろいろあります。まず巨額の公共投資が産業基盤形成に使われた。これが全体の象徴だと思います。その公共事業投資に、郵貯や年金が融資されます。それから郵貯や年金の資金が財政投融資という格好で、開発銀行や長期信用銀行を通じて企業の設備投資資金に転化していくわけです。そして開発銀行や長期信用銀行が企業に融資する際に、通産省が審査します。そうすると民間銀行からのその企業への融資も、事実上フリーパスになる。つまり国がお墨付きを与えて民間銀行が融資するという、なんとも奇妙な構造が普通だったわけです。さらに民間銀行は、お金を集めて融資し、それで利鞘を取るわけですが、あの当時の日本ではオーバーローンと言って、民間銀行は集めたよりもたくさん貸出していました。そしてその差額分は、日銀が融資したわけです。それから、企業に設備投資資金を潤沢に使わせるための租税特別措置です。これは今でも広範に残っています。投資すると租税が減免されるよという誘導です。こうしたことが総合的にやられて、国の富の大きな部分が固定資本形成に、しかも、後でふれる産業政策に沿って使われるしくみになっていたわけです。

社会保障の4倍もの税金を公共事業に

公共事業ですが、日本の社会保障に使われていた税金は、国と自治体合わせて、公共事業に使っていた税金の4分の1程度というのが70年前後までです。公共事業が4倍前後でした。それが70年代前半に大きく下がってくるんですが、それでもまだ2倍程度には維持しています。国と自治体の財政支出の中心が公共事業という国は、他にはそうないと思います。ヨーロッパ諸国は社会保障費、住宅費、教育費などの社会費が中心です。アメリカでさえ、戦争をしている時期を除けば、財政支出の中心は社会費だと思います。その点、日本の戦後国家は独特です。社会保障への税の投入が公共事業を上回るようになったのは2004年です。

1950、60年代の公共事業の中心は、産業基盤形成を目的としたものです。高速道路、一般道路、新幹線、空港、港湾、コンビナート用地等々ですね。70年代には公共事業の中身が少し変わって、階級融和を図る公共事業と、需要を無理矢理つくりだす公共事業が多くなってきます。

これほど産業政策が
系統的に行われ続けた国はない

2番目に産業政策の問題です。成長産業を決めて、そこに国家施策を集中し、民間の資本形成もそれに合うように誘導するわけです。スクラップの方もやります。日本は大変強力に産業政策を実行し続けました。これほどたくさんの手段で産業政策が系統的に行われ続けた国は他にはないということは、ほぼ皆が認めていることです。

こうした「ターゲティング・ポリシー」は、アメリカではずっと批判の対象とされることが多かったですね。「こんなものは資本主義ではない」「なぜ国が成長する産業を決めるんだ?」「そんなものはマーケットに任せろ」というのがアメリカの伝統的な考え方です。1980年代に、「日本=社会主義」論が言われたことがありましたが、アメリカ的常識からそう見えるほどのものだったということでしょう。たしかに、クリントン時代のアメリカの「情報ハイウェイ」も典型的な産業政策だと言われました。しかし、未だにどの程度その効果があったのか評価が定まっていないと思います。

強力な産業統制で業界が組織される

高度経済成長前半期だと、日本はまだ外国為替管理をやっていましたから、新しい技術を企業がアメリカ中心に大量に買うわけですが、何を買っていいかという話を外国為替管理のところでコントロールしてしまうわけです。そうすると、新しい技術を買える領域と買えない領域がはっきりしてきますから、非常に強力な産業統制になるんですね。また、伸ばす産業を決めて、担当省庁がその産業についての将来像をつくる。「指示計画」と当時は言われました。当然ですが強制力は持っていません。資本主義社会ですから、持ちようがないわけです。持たないのですが、こういう将来像にすればそれに向けて国の政策としてはこういうことをやる、という情報を業界に流すわけです。そしてその議論をするための業界が組織される。

他方、当時は“一物一課”と言われましたが、代表的な製品に合わせて通産省の課が存在しました。そうした形で、命令するわけではないけれど、情報を提供して合意を図るというやり方です。結局、その業界の代表たちの集まりに入っていないと何も分からないという状態になります。命令はできなくても国の行財政の資源を使って誘導するというやり方が系統的にずっとやられていました。

産業政策が引き起こした水俣病

水俣病を引き起こしたのも強力な産業政策ですね。水俣で有機水銀中毒を引き起こしたのはチッソですが、同時に昭和電工が新潟で同じ被害を起こしています。両方ともアセトアルデヒドを石炭・石灰を原料として作る旧来型の化学産業だった。当時アセトアルデヒドは極めて重要な材料でした。化学産業全体を石炭・石灰型から石油型に切り替えるというプロセスの中で、あの事件は起きています。当時通産省は、戦前からある旧財閥系をまず先に転換させました。チッソや昭和電工は2番目のグループになった。そうすると1番目のグループが転換している最中に、国内でのアセトアルデヒド量が足りなくなりますので、それを古い方法で大増産させたわけです。そのことによって、転換する資本を蓄積させるという理由もあった。

だから、アセトアルデヒドの生産中にとんでもない毒物が出て公害が起きたということが状況証拠としてはっきりしているのに、通産省はさまざまな嘘の情報を流したり、いい加減な学者を動員したりということまでして、必死でその枠組みを守ったわけです。それは結局、石炭・石灰型のものから石油中心に大きく化学産業を切り替える時の産業政策の一環だったんですね。彼らにとって水俣は国内植民地のようなものでしょうが、そういうところで起きた深刻な問題を、さまざまな力を用いてローラーのように押し潰して隠蔽したわけです。

巨大企業グループの「ワンセット主義」

産業政策はいろいろな領域について国が予算を出し、助成措置をやります。そうすると、企業グループ群はそれぞれの領域に自分の企業を持っていないと、その旨味に預かれない。だから日本の場合、企業グループがすべての領域についてワンセットずつ持っている、「ワンセット主義」と言われる大変奇妙な姿を取るようになりました。これは、その中心には銀行があるという、メインバンク制ともつながっていきます。国の産業政策に乗って上手く利益を得るためには、企業自身がワンセットでいろいろな領域に散らばっていないといけなから、そうなってきたのですね。巨大な企業グループがそれぞれワンセットで持っていて、産業ごとに中心的な企業グループ群ができ、それが通産省の課とつながっていくという構造ができていったわけです。ただ、60年代半ばくらいで外国為替管理はなくなりますから、行政の関与の仕方は変化していくことになります。

経済産業省の産業政策の伝統

こうした産業政策の伝統は、すっかり環境が変わった現在でも、なお、経済産業省(前通産省)に大きな影響を与えているようです。産業政策がこれほど強力な伝統と実績を持った国は他にありませんからね。小泉構造改革の頃でも、経済産業省はまだ「産業政策の復活」などという発言をしています。実際にやったことは構造改革の手助けにすぎないのですけれども。構造改革の手助けがなぜ産業政策なのか、不思議ですが、彼らの頭の中ではいつもそうですね。構造改革をやろうとして何かを大きく動かそうとすると、産業政策の伝統に立ち返るのです。今もそうです。「ニュー・ターゲティングポリシー」という言葉が今年1月に甘利経済再生担当相の口から出てきて「またか」と思いました。現在では、ターゲットを国が決めるのではなく、大企業集団に国の財政を貢ぐための概念に転化してしまっているのだと思います。「守旧派」の姿をとった構造改革推進派に過ぎません。構造改革の推進を、昔の産業政策の伝統で解釈するんですね。

開発主義的体質が刻印される企業・業界・市場

3番目に、企業や業界、市場そのものに開発主義的体質が刻印されていきます。たとえば株の持ち合いは、ワンセットで動いている企業グループのそれぞれの企業の安定成長のためですね。そのために株が株式市場で売買される比率が少ないという構造が作られます。メインバンク制もそうですし、「業界横並び体質」もそうです。1990年代半ばには、変わらなきゃならないのは国だけじゃない、業界も企業体質も大きく変わらなきゃいけない、民民規制を壊さなければいけないという話が、ずいぶんやられました。行政指導に依存する業界の体質は良くないと。独特の企業体質やマーケットの体質、業界の体質が開発主義によって作られたことは明白だろうと思います。

指標の取り方で大きく変化する

私たちが見て分かりやすい典型的なものは、企業が自分の業績を評価する際の指標の取り方です。現在の企業の多くでは「株主資本利益率」が非常に強い位置をもっていて、それを高くすることによって株価を上げて投資家の投資を呼び込もうと考えます。ところが当時の企業は、どう考えても株主資本利益率を中心に動いていない。日本全体でのマーケットシェア率や、長期的な企業の成長率、また雇用の維持、一つに割り切れない幾つかの、それも長期的な展望を持った指標で動いていたとしか思えません。通産省で1960年代に活躍した佐橋さんという有名な事務次官がいたのですが、チャーマーズ・ジョンソンは、「彼は好んでシュンペーターを引用した」と書いています。企業が短期的な利益率で動かないようにするためには、どういう指標を持ち込んだらいいか、ということを、佐橋は絶えず考えていたと。おそらく、それはその通りなんだろうと思います。

これ一つとっても、企業、業界、マーケットに刻印されてきた開発主義的体質は、この間大きく変わったといえるでしょう。企業業績の指標の取り方が変わるということは、それに連動するいろいろなものが変わっているわけです。企業グループも大きく再編成されていることはご承知の通りですし、銀行からの企業への融資の位置が大きく下がっているのも、こうした変化の一環です。

合成物としての地域開発政策

4番目が地域開発政策です。国が決めた、あるいは各官庁が決めた産業政策を地域に分配して実現させるわけです。ただ、ここのプロセスは大変面倒臭く、宮本憲一さんが『地域開発はこれでよいか』(岩波新書)の中で的確に指摘されていますが、実際には地方からの開発要求との妥協で進みます。最初の全国総合開発計画のときですが、財界は、せいぜい2つか3つの新しい重化学工業拠点をつくればいいと言うのですが、各地域から「わが地域によこせ」という声が上がってきた。政府は10カ所と言って、自民党は20という妥協案を出した。実際には40の地域から要求が来て、結局、新産業都市指定が15、工業特別整備地域が6カ所ということになりました。その結果、産業基盤は作ったけれど企業がこない地域も出てきました。膨大な工業用地や上下水道やさまざまな産業基盤が無駄に捨て置かれた。その捨て置かれたところに原発関連施設が誘致される、という道筋をたどったのが「むつ小川原」ですね。

大きく見ると大衆社会統合の装置としても開発主義国家は動いていますから、政治のプロセスを無視できません。結局、自民党が地域利害を代表する政党として官僚と渡り合って、自分のところに予算をぶんどって持ってきて、地域開発をやる、そういうことの集合体として産業政策が動くという姿に実際上はなったわけです。だから地域開発政策が本来、日本の経済成長にとって合理的なものだったのかどうかという話は、もちろんあるわけです。

これは単純に「官僚が仕切ったからこういうデタラメになった」という話ではありません。地域の人々の利害、特に工業開発に即してこの地域をどうするかという時の、それぞれの地域の保守派の利害と産業政策の合成物がそうした姿をつくり出したと見た方がよい。

企業誘致・政治・官僚がつながる伝統的な開発主義

現在も、くたびれた地域や自治体をどう活性化するかという時に、企業を誘致するという伝統的なやり方が強力な選択肢として必ず出て来ます。そして企業を呼んで来る時に、どうやって自治体が税金をたくさんバラまくかという話も、同じように絶えず出て来ます。伝統的なやり方なのですが、その伝統が大規模に作られたのが開発主義の時代です。それが国の開発主義政策との関係で行われて、それで政党の支部や地域グループが形作られ、官僚とのつながりができて、さらに自民党の中の派閥がそれを仲介する機構として成立して、非常に強固な地位を得るようになってくるわけですね。

工業化に従属させられる農業・中小企業

5番目に、地域開発と補完的関係になりますが、農業や中小企業にたいする近代化政策と所得再分配政策、さらに、地方自治体への財政の再分配政策も、開発主義の重要な一部でした。農業と中小企業にも随分とカネが使われ、また貿易で農産物等が自由に入ってこないように規制も行われてきました。ただ全体としては、高度経済成長に農業や中小企業を照応させる、近代化させる、しかも、重化学工業の成長に利するように従属的にそれを変化させていくという支援策があくまで中心だったということは見逃してはいけません。だから農業では、アメリカとの貿易の関係でどうにもならないものは次々に譲っていった。その結果として水田の裏作は70年代までにほとんど消えました。また畑そのものが日本からかなり無くなってしまった。畑でつくられる穀物は、大豆や麦など、どんどん譲っていたんですね。そうやって全体としては工業部門の高成長に照応させ従属させる形での支援策なんですが、他方でそれは労働力を農村から工業部門に移す近代化の押しつけでもあった。農業では、土地生産性や労働生産性は随分上がりました。中小企業についても近代化させて、技術をアップさせて、大企業の要請に応えられるように育てるということも随分やった。

農業を漸進的に切り捨てていく

その際、農業についても中小企業についても、それに付いていけないものはバサッと切り捨てるかというと、そうではなく、補助金を使いながら結構ゆっくり切り捨てるんですね。この辺のゆっくり切り捨てるという話が、先ほどの大衆社会統合とつながっています。政治的に無理をしないといいますか、支持を確保しながらやる。この辺を村上泰亮は「平等主義的分配政策」という言葉で特徴づけています。大衆社会統合の一環でもあるのですが、全体としては近代化を促し、かつ重工業中心の高度経済成長に照合させるためにカネと規制をいっぱい使い続け、経済成長の果実を地方財政に再分配することをやってきた。

農村部で自民党は伝統的に強いわけですが、これは開発独裁国家と開発主義国家の両者に関係しているんだろうと思います。もともと富の主要な生産地は農村でしたから、農村部の資源を都市部の工業につぎ込ませるというのが開発独裁国家の基本的な図式のはずです。ですから、農村の資源と人間を動員するための基盤を持っている政党でないと、開発独裁の権力を安定して持ち続けられない。

農村から富と人間を引っ張り出して工業化するんだけど、やり方としては、農村部が疲弊し切ってしまったら自分達の政治基盤がなくなるので、絶えず両方のバランスを取る。取りながら、第一の目標としては工業化を推進する、それが開発独裁あるいは開発主義の保守派の伝統的なやり方です。地方社会と地方経済そのものの維持・発展を第一の目標とするかというと、実は意外にそうではないのです。地方の人口減少、過疎をなんとかしろという主張も開発主義の枠内なんですね。

構造改革に断片的な反対しかできない開発主義保守派

話は飛びますが、2005年の郵政選挙も含めて新自由主義改革に否定的、批判的な保守派は日本にも結構いますが、その人達がなかなか大きな政策をつくれないんですね。大きな対抗的なグループにならず、政策もつくれず、構造改革にたいして断片的な反対しかできないという状況が長期に続いてきました。現在も小沢さんたちのグループの政策は、以前よりは体系的になってきていますが、まだそれほどではない。そこは日本の開発主義の保守派の伝統だろうという気がします。

結局、農村部の資源をどうやって政治的に上手く、社会危機を起こさないで動員し、工業化や経済成長を実現するか、ということが自分達の任務だと非常に強く刷り込まれてしまっている。それは中央依存でもあるわけです。中央から独立して、自分達の政治的、イデオロギー的な基盤をはっきりさせて、それで闘おうという風にはなかなかなりにくい。この間、結構変わってきたとは思いますが。
いずれにしても農業や中小企業への支援策は、90年代の前半・半ばに構造改革の非常に大きな攻撃材料になって、どんどん叩かれて消えていきました。

政治腐敗・政官財癒着・談合が
開発主義国家の権力ネットワークの体質

6番目の要素ですが、先ほども少しふれた政官財の権力ネットワーク、これを挙げておきたいと思います。どこの資本主義国でも、大企業の経営者群、支配的な保守政党、官僚機構がその国の政治的支配の直接・間接の担い手となることは不思議なことではないのですが、日本のそれは、開発主義国家体制の支配の担い手として、強い独特の体質をもっていたと思います。1990年代以降、「汚職体質=政治腐敗」「政官財の癒着」「談合体質」などへの国民の強い批判が噴出し、それが構造改革全体を推進する力の一つになったことは間違いないと思いますが、問題とされているのは、まさしく、開発主義国家の権力ネットワークの体質です。

開発主義国家に対する
国民の不満は構造改革へ

自分たちの知らないところで政官財の利益共同体の談合が行われて、国の行財政、自治体の行財政が不分明なかたちで動かされ、しかも、そのつながりが汚職や腐った政治を生み、環境汚染を引き起こし、必要な施策をサボらせているのではないか、これは国民の大多数が長期に共有してきた感覚です。これはその権力ネットワークに関与するルートをもたない都市の新中間層の不満という形で現れてきました。1960年代末からの革新自治体の隆盛、1970年代の「新自由クラブ」ブーム、1980年代末の社会党ブームなどは、こうした要素抜きには考えられないですね。1990年代の政治改革、構造改革でそれが本格的に爆発したのだと思います。日本において新自由主義が非常に強い影響力を持ち、小泉政権が8割の支持を勝ち得たことは、こうした歴史的経過を密接につながっているわけです。

政官財の開発主義的ネットワークは
なぜ多くの国民から批判されるのか?

政官財の三者のそれぞれの状況と結びつき方は、時代とともに変化します。渡辺治さんがだいぶ前に明らかにしていますが、財界が強い力をもって開発主義国家の権力を担うグループの中心に据わってくるのは、1960年代後半以降です。それより前は、官僚が引っ張っていました。自民党は一方で、農村部、地方の利害を代表し、他方では官僚との連携で大企業群を代表しましたが、この二つの要素の間の矛盾は、高い経済成長率と政治的妥協によって処理されてきました。

政官財の開発主義的ネットワークが、なぜ、多くの国民が批判せざるをえない体質をもったのか、ということですが、大きく見れば、自由民主主義体制を前提にしたうえで、市場の論理と経済成長目的の国家介入を両立させようとしたからだと思います。本来の意味の経済計画は不可能ですから、先にみたように、国家施策による産業の変化の「見通し」を大企業群とすりあわせながら作って、行政指導に大きな力をおいて企業行動を誘導するので、どうしても、法律や国会審議に基づく部分は小さくなり、ネットワーク型の情報共有・談合、行政指導というかたちの国家介入が大きな位置を占めるわけですね。

バッシング対象となる官僚の裁量主義的な行政の体質

どこで決まっているのかわからないという批判は、開発主義権力ネットワークの本質部分をついているのだと思います。政官財のネットワークと官僚の裁量が非常に大きな位置を持つ構造が国家の中ででき上がってくるということです。渡辺さんがいわれるように、この裁量主義的な行政体質は現在まで尾を引いていると思います。

開発主義国家の各省庁の官僚制

開発主義国家の各省庁の官僚制は、自分のところ一つで全体になろうとします。たとえば農村には、この建物のこれは建設省部分とか、これは運輸省部分とか、これは農水省部分とか、訳の分からない建物が結構あります。道路にしてもたくさんの省庁が関わっていたわけで、自分の省庁としてトータルになろうとする思考をずっと持っているんです。だから産業政策についても、経済成長のイメージについても、各省庁がそれぞれ出して、お互いにぶつかり合うという構造が出てくる。その調整役に自民党がなるという構造も、だいたい60年代に定着したと渡辺さんは分析しています。

財界が1960年代末に本当に力を持ってきたのは、結局、労使関係を企業主義統合でうまく処理できるようになったということが大きな背景にあります。各種の審議会の中に財界代表が必ず入っているという構造も60年代後半にできてくる。構造改革以後では財界の位置がどんどん高くなっています。官僚制とのつながり方も、財界プラス内閣府官僚が、強い力を持つという新たな構造ができてきましたが、大きく見れば、政官財の権力ネットワークそのものは、民主党政権の誕生で動揺しましたし、その内容も変化していますが、今も続いています。

行政改革で削減されたのは教育と社会保障

――行政改革の問題もありますね。

80年代の第2臨調の時の行政改革は、基本的には階級融和と需要形成のために国の支出が膨大に膨れ上がりましたので、赤字国債が相当積み上がってしまい、それをなんとかするために出てきたものですね。需要形成そのものは必要であり続けたわけですから、抜本的に切り下げるという話にはならなかった。結局、削られたのは教育と社会保障ですね。地域に分配されていたさまざまな補助金は、ほとんど減っていません。言い換えると、あの時に行政改革の対象になって実際に減った部分がどこなのか見ていくと、需要形成の部分ではなく、階級融和の部分だった。

臨調行革時は
まだ多国籍企業化していなかった

もう一つ、大きな問題ですが、臨調行革の時には多国籍企業化がまだ本格的に進んでいませんから、日本経済の構造全体を変えるという話にはなっていません。日本経済の構造を変えるというのは、一言でいうと、そもそも過剰生産と過剰生産を引き起こす設備や企業の状態があったわけです。多国籍企業から見れば、それはそもそも削ってしまっていいわけです。海外に持っていればいいのですから。別に国内にそんな過剰設備を持っている必要はない。特に重化学工業では、設備や人員について大きく国内の産業を縮小して構わない。開発主義国家体制の下では、全体としてそれができない構造になっていました。多国籍企業化、グローバリゼーションが進んでいれば、その全部をぶち壊さないと資本蓄積がかえって不利だという話が出てきて、本格的な開発主義国家体制崩しになっていくわけです。

最大のポイントは多国籍企業化

やはり最大のポイントは多国籍企業化だと思います。多国籍企業はグローバリゼーションに積極的に対応できる企業体制です。輸出と間接投資というだけでなく、直接投資で、ものすごい勢いで製造業を中心に海外に出て行くというのは80年代半ばからです。自動車の海外生産の推移を見ると分かりやすい。80年代半ばに海外生産が図られて、国内の生産台数は90年代初期にピークを迎え、1,380万台くらいです。2012年は、リーマンショックから回復して1,000万台くらいで、海外事業所の生産は1,600万台近くですね。ピークとくらべて、国内はだいたい400万台程度減っています。

構造改革の原動力とは異なる臨調行革

形だけ見ると、臨調行革期にやられたさまざまな国家体制や公共的なものに対する攻撃、社会保障その他に対する攻撃は、構造改革の時にやられたものと言い方もよく似ていますが、それを推進する基本的な原動力と必要性の認識のレベルで全く違っていたということです。あの当時のイデオロギー、新自由主義的なものの言い方は海外からやってきた。しかし実際にやったことは、膨れ上がった国家財政をなんとか小さくするという、それも一番抵抗の弱いところで小さくするという話にしか結局はなっていないし、それ以上でも以下でもなかったわけです。日本型雇用を潰すなんてことは、考えてもいなかったと思います。

日本型雇用を壊さなければ、過剰生産をなくすことは到底できません。企業のリーダー達が世界経済と世界に配置した事業所の状態を見ながら、絶えず瞬時に判断して、その通りに国内の事業所の生産を大きく減らして…などということも、開発主義国家体制の下では大変やりにくい。だから日本型雇用は壊さざるを得ないという話が90年代前半までにはだいたい定まっている。90年代半ばには、財界から、どういう具合に開発主義国家体制を壊すか、何が目標か、という全体像もほぼ今のものと変わらないものが出ています。現在も、財界はほとんど同じことを言い続けています。しかし、90年代半ばに財界が言っていたことは、実は相当部分がすでに実現されています。その中の、より徹底することが必要な部分を、繰り返し強調しているだけです。

日本型雇用の解体・縮小・再編

――貧困と格差が拡大すれば公務公共サービスは充実する必要があるのに、公務員バッシングが激しくなるという状況になっています。これはどういうことなのでしょう? また、開発主義国家の中でどのようなところが破壊されてきたのでしょうか?

まず、破壊された部分ですが、第一に、日本型雇用が解体・縮小・再編成されました。日本型雇用は大企業と中企業の男性正規雇用に適用されるもので、長期雇用と年功型賃金に代表されます。けれど、本質的な部分は企業抱え込み型の労働市場と言えるような、企業が抱え込んで技能訓練も何もかも行う、内部労働市場を抱えている雇用の仕方です。これを破壊するということが、いろんな段階を通じて行われました。決定的だったのは2001年、2002年の大リストラです。民間500人以上の企業の正規雇用が当時900万人以上いましたが、1年間で125万人減るんですね。その直前に小泉政権が登場して、聖域なき構造改革と赤字国債30兆円以内と不良債権処理3年以内という3つのスローガンを出しました。2001年の春です。このスローガン、特に不良債権処理を3年以内に直ちにやれということの意味は、直ちに大リストラをやれということです。財界は当時3月、4月はまだ、「今そのような大リストラをやったらデフレスパイラルが起きてもっと大変なことになる」という警戒のコメントを出ていました。経済同友会は同意するのが早かったですが、経団連も5月には腹が決まっていましたね。景気回復を待たないでリストラにとりくむという話になりました。あの辺りがかなり大きな境目だったような気がします。

「長時間労働で低処遇」の体制化

正規雇用が大きく減らされて、基幹労働力型の非正規に置き換えられ、賃金は1998年以降ずっと下がり続けているわけですね。さらに、非正規への置き換えというだけなく、労働市場の構造そのものが深いところで変わっているような気がします。私の読み取りが間違っていなければ、2007年の就業構造基本調査では、60時間以上働いている正規雇用の男性の賃金分布の方が、49時間から59時間の人達の賃金分布より悪いんです。つまり長時間低処遇ということがかなり体制化してきたということです。1997年で同じデータをとってみたら、そんなことはありませんでした。60時間働いている人の方が賃金分布が上です。つまりこれは、長期雇用が許されているかどうかという問題だけでなく、労働時間管理も変わってきたということだと思います。これまでの標準は、所定内労働時間と所定外労働時間に分けて、所定内でまず固めて、次に所定外を例外として上乗せした賃金額でプラスするという考え方でしたが、最近ブラック企業が典型ですが、残業込みでいくらだよ、という言い方が流行っていますよね。あれは日本型雇用型の労働時間管理とも違う。世界の時間管理の標準が通用しなくなったことの表れです。こうした変化はいろいろな場面で指摘することができると思います。

ひと言で言えば、大企業群を中心とした経済成長の果実を国民にもたらす最大の回路を破壊することに成功したということです。

極まる農業の破壊

2番目には、国は農業その他の低効率部門を選択的に保護してきたわけですが、これが相当破壊されてしまった。今の農業の新規学卒就農者は全国で2,000人を切っているのではないでしょうか。2,000人を切ったのは1990年代初頭だったと思いますが、その数字のままだと思います。だから農業は産業としてはゼロに近い状態が、ここ20年以上続いています。もともと開発主義国家の下での農業は安全だったのか、というと実はそうではなく、開発主義国家が壊される前の段階で既にもう相当疲弊してボロボロになっていた。先にふれましたが、開発主義国家体制のもとでの農業政策は、なんと言っても工業優先ですし、工業製品が輸出可能な通商環境の維持が第一目標です。1990年代後半には、その上に農業基本法の大改訂にみられるような農業の位置づけの大きな変更がなされ、今度はTPPですから、農業をきちんとした産業として維持しなければいけないという必要性を、日本の支配層は本気で考えなくなってきているのだろうと思います。

以前はなぜ保護したか。一つは大衆社会統合という観点から保護したのですが、もう一つは、輸入の金額を増やしたくないということが60年代はあったんですね。食糧輸入を増やしたくなかった。外貨は貴重だという考え方がまだあった時代です。それからやはり保守派の票田でしたからね。それらが全部崩れてきているということだろうと思います。

国家責任を放棄して地域責任・自己責任へ

3番目ですが、地方に補助金と交付税交付金で所得再分配をするという仕組みが、大幅に縮小されました。東京一極集中を是正するとか、地方社会を保全するということは、以前はそれなりの国家責任だと考えられていたと思いますが、それがほぼ放棄されたと思います。地方でも30万都市までは面倒をみるけれど、あとは知らないと考えているとしか私には見えない。だから、地方に住みたい人は30万都市に集まってマンションに住みなさいということしか言っていないのではないか。農村を本気で保全する気はないと思います。

地方分権(地域主権)とその下での市町村合併は、結局のところ、国民の地域生活を成り立たせる国家責任をどう削り取って、自己責任、地域責任の状態へと投げ出すか、という企て・動向の産物です。開発独裁型国家と開発主義国家によって、大都市部に国富が集中する構造を100年以上かけて作ってきたあげくに、今度は、地域責任、自己責任に放置するということですね。

社会保障支出の大幅な圧縮

4番目ですが、社会保障支出を大幅に圧縮しています。社会保障支出はどんどん伸びていますが、これは、先進国で文明のレベルが上がれば上がるほど伸びるというのと、日本の場合は高齢化によって伸びるというのと両方あります。その両方の伸びを非常に強引に圧縮しようとしていて、小さな社会保障を断固として維持しようとしていますね。この辺は自民党のイデオロギー自体が相当新自由主義的になってきているんだと思います。長い間、自民党の綱領の中には福祉国家という言葉が入っていました。彼らがいう福祉国家とは、西欧の反共政治国家のイメージが非常に強かったんだろうと思いますが、それでも福祉国家という形体で、その反共的政治合意を確保するんだというところまではあったわけです。多分、今は全くそうしたことも考えていないと思います。

生活保護バッシングにみる自民党の変化

この間の生保叩きと縮小・改変についても、民主党がやろうとした、社会保障の断片的な充実、ごく部分的な福祉国家型施策への転換を、もう一回再転換するんだ、元に戻すんだ、そして膨らみすぎた社会保障を削るんだということが非常に自覚的なイデオロギーで、発言がなされていると感じます。これはアメリカの共和党型の保守派に近いですね。アメリカの共和党型の保守派は、社会保障に関しては実は新自由主義の元祖みたいなところがあります。そういう非常に保守的な新自由主義に自民党自体が転換したという感じがします。これは2000年代の自民党とも違う、相当変わってしまっていると思います。特に民主党政権時代の自民党の変化は、結構大きかったんだな、と…ひたすら悪くなったという意味ですが。

累進税率引き下げる税戦略

それから税戦略も開発主義国家時代とは相当変わってしまいましたね。法人税率もそうですが、所得税や地方税の最高税率の削減が相当行われました。1995年で確か地方所得税と国の所得税合わせて最高税率65%だったのですが、99年に50%になりました。1987年だと78%です。新自由主義イデオロギーの影響が、税制では80年代には出ていたわけですね。本格的な構造改革が始まる前から累進税率の引き下げが始まっている。

高額所得者優遇となる生活保護改悪

吉本興業のお笑い芸人の河本さんが、お母さんに生活保護を取らせていたということですごく叩かれましたね。彼の課税所得を4,000万円と仮定すると、80年代初期の税制では1,800万円くらいが地方税と国税の所得税で取られるんですが、今だと1,300万円くらいですから、500万円も違います。お母さん一人分の生活費を面倒みても所得税が500万円少なければ、高額所得者は圧倒的に得なんですね。自民党の片山さつきなどが主張しているのは、結局、そうやって高額所得者を優遇しましょうということにすぎない。

福祉国家型の発想を削る累進税の破壊

高い累進率でもって、所得が高い人はきちんと国家に応分の税を払い、それで必要な人にはきちんと保障がいく、間に家族を介在させないというのが福祉国家型の発想ですが、それを税の方でどんどん累進率を崩していくことによって、こうした福祉国家型の発想が生まれる余地を削っているんですね。これがすごく大きいと思います。何が公平・公正なのか、国民が分からなくなっている、あるいは、分からなくさせているわけですね。カネを持っている人は自分の親の面倒を見るべきだろう、という話にすぐポーンとなってしまって、公正を確保する違う仕方がある、むしろそれこそが正しいやり方だというのが、先進国の100年間くらいの社会保障実践の合意なんだという話が無視されるわけですね。こういう風にどんどんいじってこられることへの、日本の国民の抵抗力は今のところ大変弱い。

結局、福祉国家の代替物を日本型雇用や農業への補助へ、地方への交付税の補助などいろいろやってきたわけですが、これを壊して縮小して、同時に社会保障も小さく縮小して、と両方同時にやられたわけです。だから貧困が増大するのは当たり前ということになります。

短期の株主資本利益率を重視する経営体質

5番目ですが、銀行、証券会社、企業などのあり方が大きく変わっています。資本の移動や企業リストラ、大規模な新会社の設立などが楽に行えるように、純粋持ち株会社が解禁され、会社法が新たに整備されるなど、法制度的環境も変えましたが、基本は、日本企業が長期に業績の実際上の指標としてきた雇用維持、市場シェアの重視、企業の長期的成長、事業領域の伝統尊重などが、後景に退き、短期の株主資本利益率を重視する経営体質に変わってきた、ということだろうと思います。

企業の国富の循環システムが壊された

壊れたところをざっと数え上げてきましたが、開発主義国家体制は、全体としても既に壊れたと言ってよいと思います。その全体的なメルクマールは何か。私は、巨大企業群に集中している国富を国内経済に循環させるシステムがほぼ壊れて、低所得層が大幅に増えた、ここに着目したいと思っています。これはとても大きな変化です。200兆円を超えるお金が巨大企業群の利潤として積み重なっているのに、それが国内の消費を活性化させ、設備投資を増やす形で戻ってこない。賃金は下がりっぱなし、社会保障は抑制され、利潤は増えっぱなしだと。これは明らかに開発主義国家体制の下で動いていた国内経済の姿とは違うわけです。

いろいろな経済指標でみると、転換点は1998年頃のようですね。とくに、1998年から2002年の不況期を抜けた後が、大企業群の資本蓄積の急上昇と賃金下降の対比がくっきりと浮かび上がります。これは構造改革の経済的目的がほぼ達成された状態と考えられるわけです。開発主義国家体制の全体の破壊は、特に経済的な内容の場面でみる限り、もう実現していると考えていいと思います。

抵抗力の弱い社会保障への攻撃が続く

では、なぜ、現在でもなお、規制撤廃と行政改革をやり、さらに社会保障を攻撃するのか。大局的にみると、公的財政の規模がGDPの約3割の「大きな国家」という状態そのものを、以前の状態に戻すことはできない。しかも、高齢化・貧困拡大などで社会的危機、社会保障への需要は拡大し続けますから、それへの対応で社会費が増大して財政規模がさらに膨らむという圧力は続きます。賃金が下がっていますし、正規を非正規に大規模に置き換えたので、企業が払う社会保険料は全体として大きく低下しました。それで余計、税で補填せよという圧力は大きくなっているという側面も重要です。しかも、多国籍企業支援のための国家財政支出は確保したいわけですから、一番削りたくて、かつ、日本では抵抗力の弱いところを叩き続けるという構造になるわけですね。

だから構造改革が成功してシステムが大きく変わっても、ある意味では変わっちゃったからこそ、さらに社会保障を絞り上げる、教育を絞り上げるということが続くのだと思います。むしろそうした削減圧力が恒常化するのが新自由主義国家の普通の姿であって、これによって何か抜本的にシステムが変わるわけではない。このように絶えず攻撃されるということがシステムだと考えた方が分かりやすいのではないかと思います。

世界で一番企業が活動しやすい国

「世界で一番企業が活動しやすい国をめざす」という自民党の方針、つまり、高度な労働力をいつでも使えて、解雇は自由で低賃金、税と社会保険料が低く、規制撤廃がもっとも進んだ国にするという方針は、国家が従来の大衆社会統合を目標としないように政治を運営するということを宣言したものと受け取っていいと思います。国民が現在の資本主義体制を消極的・積極的に容認するように、国民全体のある程度の実質的平等化をはかる、というのが従来の大衆社会統合(福祉国家体制、開発主義体制)の要点だったのですが、それを切り替えた。国民生活を維持・改善することを直接・間接の目標とすることをやめ、「企業のための国」とすべきだ、端的に主張しているわけです。

貧困や地域崩壊は自然現象?

日本の国民は福祉国家を経験していませんので、国民の権利の実現のために国家が存在する、という考えそのものが定着していません。権利の実現が目標であれば、政策論が大きな争点になるはずですが、政治のあり方についての判断はどうもそうなっていない。つまり、国家や自治体のあり方で、自分たちの権利の実現の水準はコントロールできるんだという自信がほとんどない。そういう風にしてきたという実感もない。この間の開発主義の破壊がもたらした貧困、格差、生活困難、地域崩壊などが、全部、人間が抗し得ない自然現象のように見えている、つまり、こうした問題が起きた時に、何か自分達が積極的に抵抗したり賛成したりコントロールすべき対象なんだとは思われていない、という気がします。ものすごくみじめな景気浮揚期待がこの間ずっと世の中を支配していますが、福祉国家を国民が未経験だということは大きいんだろうなと思いますね。

公務員バッシングはなぜ激しくなるのか?

次に、貧困と格差が拡大すれば公務公共サービスは充実する必要があるのに、なぜ、公務員バッシングが激しくなるのか、という問題を考えたいと思います。

第一に、そもそも、「貧困と格差が拡大すれば公務公共サービスの充実の必要がある」という認識は、大変薄いのではないでしょうか。公務員がたくさんいないと困る、いて当然と日本の国民の多くは思っていない。

公務公共サービス充実より
経済成長優先という思考

貧困が拡大しているのは確かだが、そのためにも早く景気を回復させて、雇用と賃金を改善することだ、というのが、今の日本人の平均的な意見なのだと思います。開発主義型の経済成長イデオロギーがまだ強力な影響力をもっているんですね。市場経済はもともと不安定なのだから、所得保障と公務公共サービスで生活がしっかり支えられて当然、とは思っていないということです。せいぜい「苦しい時は助けてくれないかなあ」という期待のレベルであって、権利として考えていない。

「社会保障は権利」とする意識広げなければ
公務公共サービスを拡充できない

「社会保障は権利なのだ」、という意識を広げないと、公務公共サービスを維持・拡大することは当然だ、という<規範>の水準での議論ができません。せいぜい、小さな政府にして市場を活性化させて雇用の拡大を期待するのと、国に社会保障を要求するのと、どっちがリアリティがあって得なのか、という損得の議論がいいところでしょう。もちろん、多くの国民にとっては、損得であっても、社会保障に軍配が上がっておかしくないのですが、大企業の利害=国民の利害というフィクションが強い影響力を持っていると、これもおかしくなります。権利論がないと、少数派の利益を守ることがむずかしくなるという点も重要です。

第二に、これまで見てきたように、現在の公務員バッシングは開発主義国家にたいする、国民の長年の批判意識を土台にしたものです。すでに開発主義国家はほぼ壊れているのですが、たえざる新自由主義改革をすすめるためのイデオロギー的なスケープゴートとして、まだ利用価値があるため、意識的にあおられ続けているのだと思います。

開発主義国家は基本的に解体されているのですが、しかし権力ネットワークの体質のようなものは、維持されている部分があります。官僚制は随分再編成されましたが、それでも体質みたいなものはまだある程度残っている。それが繰り返し利用されるわけです。開発主義を解体する際の抵抗勢力として、官僚を描いている文章がまだ少なからず出てきます。2000年代の半ばまでは凄まじく繰り返されていたと思います。でも今ではもう、どう考えてもこれは実態に合っていない。官僚は抵抗勢力ではなく、構造改革の推進勢力、せいぜい漸進的推進の勢力に実際にはなっているわけです。たしかに産業政策と言ってみたり、省庁間の争いという格好でそれが出てきたり、というのは依然として続いています。しかし官僚の中枢がやろうとしている施策の方向性を見ると、これは開発主義ではない。明らかに新自由主義だと言い切っていいと思います。従ってそれを抵抗勢力として描いて叩くというのは、間違っているか、意図的なミスリードです。

公務員バッシングそのものが構造改革

第三に、支配層は公務労働を小さくしよう、国家を小さくしようという意図を持っているわけですから、その意図の下に公務員バッシングを組織するというのは常套手段ですね。そういうことで、公務員バッシングそのものが、大きく見ると構造改革の重要な一部だということになるのだろうと思います。

政府批判を公務員バッシングへ流し込む

第四に、政府批判、政府の政策への要求は国民からたくさん出てきます。ひどい政治をやっているわけですから不満や批判は激しい。それを正面から受け止めないで、公務労働者批判、官僚批判に流し込むというのも、公務員バッシングの大きな役割なんでしょうね。

現在は、開発主義国家を破壊して、今度は多国籍企業群に奉仕する新自由主義国家を作りつつあるわけですから、公務員が国民の権利を実現するという側面は一層縮小していて、本来、そこに向かう批判・不満が大きいはずなのですが、これを、開発主義批判、官僚批判――無理に開発主義だと描いて官僚を批判する――に向けさせることで、方向を混乱させるわけです。不満の根源はすでに新自由主義であるのに、それを開発主義のせいだと言って人びとをあざむくんですね。

新自由主義国家で公務員バッシングは激化する

しかし、このままでは、公務員の役割は、どんどん国民から支持されないものになっていくので、本来の政府批判、官僚批判は減るどころか増える可能性が大きいですね。そのうち、開発主義云々のごまかしをしなくても、そもそも公務員は敵だ、という議論が説得力をもってきかねない。開発主義批判の延長としての公務員バッシングから、新自由主義国家の担い手としての公務員を批判する公務員バッシングへ、という変化の可能性です。
福祉国家型の国家への大転換がどうしても必要だろうと思います。「公務員は自分たちの権利を実現するために不可欠の存在だ」という認識が国民に浸透するまで、こうした事態は続く可能性が高いと思います。

大衆社会統合が壊れる

――「小さな政府」に誘導するために、貧困層・低所得層による公務員バッシングがあおられ激しいものにされ利用されているのではないか、と後藤先生は著作の中で指摘もされています。やはりそうした点が強いのでしょうか?

ちょっと回り道ですが、あらためて、大衆社会統合とは何で、日本の現状でそれが壊れる、収縮するとはどういうことか、まず、考えてみたいと思います。

大衆社会統合というのは、資本主義体制への積極的あるいは消極的な合意に基づく秩序安定ですね。暴力あるいは法律による強制で統御するというのとは違う。法律や暴力によって統御するという要素がどんどん小さくなってきたというのが大衆社会統合時代の大きな特徴でした。合意と納得という要素が縮んで、暴力と法による統御の要素がもう一回大きくなってくるのが大衆社会統合の再収縮だと私は主張しています。新自由主義改革・構造改革の時代は、大衆社会統合の再収縮の時代です。

上層社会統合、判断停止状態の庶民

ただ、大衆社会統合を縮小するといっても、一気に法律と暴力になるわけではないので、むしろ抑圧制の強い、やむを得ず、しぶしぶ合意する、というタイプの合意が途中は相当増えるのだろうと思います。加えて、階層によって、統合と強制のあり方の違いが強くなってくる面も大きいでしょうね。「上層社会統合」という言葉を私は使っていますが、自分で自分の位置をそれなりに納得して、自分で努力することによって自分の安定を確保できると思っている人達は、確かに2,000万~3,000万人程度はいると思います。それとは別に、生活が大変な多くの庶民がいるわけですが、彼らがどこで自分の位置を納得するかというと、「生活保護に世話にはなりたくない、だからひたすら我慢して頑張るしかない」という具合の「納得」であり、今の社会が良いか悪いかということに関しては判断停止状態だと思います。

労働運動、社会運動の対抗する回路が弱い

経営側のパワーが強く、対抗する労働運動や政治・政党・地域の社会グループ運動などがあまりに弱いので、正面から抵抗できないわけです。抵抗できないと結局、今の状態をどのように自分に言い聞かせて納得するか、という話になってしまう。「ひたすら我慢して頑張る」というのが強くなっている状態なんだと思います。これは「統合」といえるのかというと、なかなか難しい問題ですね。納得に基づく統合と、強制されている状態のちょうど中間のように思います。正面から反抗しないという意味では納得していることにもなるのでしょうけど、それは事実上の強制ともいえる。これは大きく見れば階級対抗の運動があまりに弱い状態、利害対立を政治的・社会的にきちんと表現する回路があまりに貧弱になってしまっている状態ということだろうと思います。

公務員バッシングと高貧困社会

次に、公務員バッシングと貧困、困窮の関係です。高貧困社会、高失業社会、高格差社会になって、困難、困窮、不満が非常に溜まっていて、しかし、「ひたすら我慢して頑張る」ということを延々とやっているわけです。生活保護を利用している人びとの5.5倍も生活保護基準未満の収入で、生活保護を受けずに暮らしている人びとがいるわけで、生保基準の1.3倍くらいまでの低所得層はずっとたくさんいます。そうした状態の「はけ口」として公務員バッシングが利用されていることは明白だろうと思います。公務員の給与、処遇もねたみの的になりますし、国保料や地方税を非常な低収入から支払わせる、その直接の担当者に怒りが向くのも分からないことではないですね。

情けないのは、その不満が公務叩きに誘導され利用されるということは、実は自分の首を絞めることになるんだという、ちょっと考えれば分かる話がなかなか強い世論にならないということですね。言い方は悪いですが、目と耳を塞がれて、臭いだけで食べ物を奪い合っているような、そういう状況を感じます。結局、対抗の手段がない、社会的政治的表現の回路が塞がれている。以前はそれなりに開発主義的な政治がありましたし、また開発主義の枠内での社会対抗もありましたので、要求の自覚や実現の回路はそれなりに、弱いけれどあったわけです。労働組合の力は、弱いとはいっても70年代前半までは春闘で自分達の賃金を大幅に上げられるくらいの力は持っていました。自分たちの要求を自覚し、それを実現するためには何が必要かを認識して、運動する、という回路を、貧しいなりに持っていた。それも破壊されたということが大きいのだろうと思います。結局、開発主義国家体制そのものと、その破壊の歴史過程の産物だということです。

公務員バッシングに対抗するには

では、公務員バッシングの問題を解消していくために、これから何をしなければいけないか、ということですが、非常に大きくて容易ではない課題だろうと思います。

公務員労働運動についても、素人ですけれどいろいろ感じることはあります。今回の国家公務員の大幅賃金切り下げはどう考えても違法ですね。人事院勧告の制度があるから、スト権はなくてもいい、と今まで言ってきたことと全く違うことを一方的に法律で決めてしまう。これは本来、官民の労働運動が一緒にたたかうべき課題ですよね。でもなかなかそうなっていない。それは相当深く押し込まれている状況で、労働側の力が限りなくゼロに近い状態までやられてしまっているからだと思います。実は、このゼロに近いのだ、という認識から出発しないと、もう一度再建するということはなかなか困難ではないかという気がしているわけです。

本気で公務非正規の組織化を

公務非正規の組織化は、もっと本気でやってほしいな、と思います。もちろん、国公労連が個人加盟組織をつくっていることは知っていますが、基本的には、省庁縦割り型の単組で組織化すべきもの、という考え方がおそらく主流なんでしょう。全労連のいろいろな組合の多くも、やはり多いのはそっちだろうと思います。非正規を組織しようとする企業別以外の労働運動に対する「俺のシマだ」という感覚と物言い、そこから出てくる政策は、本気で正面から分析・検討しなくてはいけないのではないか。非正規を本格的に組織しない限り、どんどん正規の処遇が悪くなることも明白ですから。「俺のシマ」と言うなら、本気で組織しろと。そうでなくて「俺のシマだ」と言うなら、ただの組織化妨害ではないか。そういう議論を正面からやらないとなかなか進まないのではないか、と感じます。たとえば縦割りの組織で組織される人がいる、また別に個人加盟で横断的に組織される人がいる、二重の組織がある、というので何が悪いのか。今のような状態だと、組織できるところからやるしかありません。それを「誰のシマ?」みたいな話で待ったをかける構造は、現状にあわないと思います。

一つの企業、一つの事業所、一つの職場には一つの労働組合しかあってはならない、という感覚がいまだにけっこう多い。無理な議論だと思います。どういう形で労働組合に入るか、組織するか、という「団結の形態」は、一人ひとりの労働者が選択するものであって、何か、予めそれに大きな縛りをかけるというのは、労働組合であっても政党であってもおかしいと思うわけです。いろいろな国々で、今のような時代は、労働組合という形態すら取らないような運動も出てきています。アメリカは特に法律との関係で余計にそうなりますけど、なにしろ組織できればいいんですよね。
どうもそういうところが、まだ古い枠の影響が残っているという感じがします。

国公労連は、公務と民間を含む
広い公共サービスの職場に展開する単一の労働組合に

特に国公労連は他の領域に比べればまだ力がありますので、なんとか公務非正規の組織化と、民間非正規労働者、民間低処遇正規労働者の組織化への援助を本気でやってほしい。それができるためにも、省庁を超えて単一組合になるということを本気で考えてほしいと思います。そうでないと、公務でもどんどん正規雇用者の数が減っていきますから。省庁を超える単一組合になって、個人加盟になって、その領域が国の公務だけではなく、独立行政法人等はもちろんですが、民営化されてそれを担う民間を含む、広いサービス業に展開していく。公務とサービスの労働組合に転換していくというのは、いろいろな先進国でみられる形だと思います。そういう、何らかの道筋を考えて動き出さないと、焼け野原になってしまうのではないか、そういう心配をしています。

あり得る生活保護バッシングの反転

生活保護バッシングも公務員バッシングと似ているところがあります。少し違うのは、生活保護バッシングは「我慢に我慢を重ねている自分達の状況を考えたらアイツらはおかしいんじゃないか?」という批判ですよね。その我慢が凄まじくなっているからバッシングも凄まじくなっている。ということは、どこかで逆転したら大変なことになりますね。バッシングの方向が逆を向くということはあり得る。つまり自分達が我慢を重ねてきたこと自体がおかしい、自分達も同じように保障しろと。社会保障のための税金や社会保険料を払っているのだから、彼ら以上に保障せよという要求にどこかで転換する可能性は、私はいくらでもあると思っています。生保の利用者が増え続けたらそうなる。今は世帯保護率で3%くらい、1950年代並みになっていますが、これが増えていったら、「生保を受けている人達は特別で私達とは違う」と言って我慢を重ねるという路線が崩れることは明白です。これは根本的に何かがおかしい、自分達も保障されて当然だ、と転換が起きる可能性がある。それが怖いから、支配層は今、生保を必死で抑圧しているのではないかと思います。

公務員バッシングのエネルギーを
積極的なものに転化させる実践を

生保はそのようなかたちで、バッシングの向きが逆を向く可能性がある領域なんですよね。では、公務員バッシングはどうか。さきほどの話と関係しますが、公務員バッシングの大本になっている不満が、実は、新自由主義改革に由来する面が大きいのであれば、「逆」というのは、政府批判、政府への要求の顕在化なのだと思います。そういう意味ではバッシングのエネルギーを積極的なものに転化する、転化させることを考えなきゃいけない。本来、国や自治体は何をやるのが当然なのか、という議論ですね。公務員バッシングのエネルギーは、本来、この議論に使われて、現状批判と要求にならなければいけないのだと思います。それをするためには、バッシングをしている人達の意識と噛み合わなければいけません。彼らの中に入って行き、喋らなければいけない。静かにしていてはダメなんですよね。入って行って意見交換をする、何に腹を立てているのかをちゃんと聞き取るということは、本当に今やるべきだと思います。

対抗軸としての新しい福祉国家構想とは?

――大きな展望の道筋としての「新しい福祉国家」構想とはどのようなものでしょうか?

ヨーロッパの福祉国家型の生活保障の体制を日本でも作ろうということです。ただし、ヨーロッパの福祉国家ができてきた時代と、現在は違う。今はグローバリゼーションの時代になっているので、一国一国の福祉国家というだけでは、もし仮にできたとしても維持できません。ですから、国際的に強い連携を持って、国内体制の国境を越えた標準化を図ると同時に、多国籍企業群の国際的規制を実現しなければいけない。国際的な維持の仕方と、国際的な生活基準、社会保障基準、労働基準などが確保されて、ということは、それぞれの国での企業活動のコストの平準化が進むということでもありますが、それと、野放図な経済グローバリズムの規制ですね。こうしたものがなければ、福祉国家を長期的に維持することは困難になる。EU統合というのは、いろんな側面がありますけれど、それをすることによって、福祉国家型の統合が、水準は下がっているけれどなんとか維持されているという面はあるわけです。

新しい時代に対応したものとして、福祉国家を日本で新たにつくろうというのが、新しい福祉国家です。これは、今までの日本の大衆社会統合体制が開発主義体制であって、今はそれを壊した新自由主義的な国家体制に移行中という状態なので、相当多くのものを新しくつくらなければいけないということになります。

国内の政策原理はそれほどややこしい話ではありません。ヨーロッパの福祉国家諸国が作り上げてきた政策原理は使えると思います。

健全な労働市場と、本格的な失業者保障を

現在、賃金労働をしている人達についてはその収入で最低限以上の生活がきちんとできるように、労働基準、労働環境をきちんと整える。健全な労働市場の形成が最大のポイントです。

現在働いていない人達については、その人達の最低生活に必要な費用を、無条件で社会が保障するということです。失業中の人だったら失業保険をきちんと出すということ。現在は失業者の2割にしか出ていません。ということは、不本意な仕事にとりあえず飛びついて、仕事をしながら次の仕事を探している「半失業」の人が膨大に生み出されていることを意味します。なんとか本格的な失業時保障をつくらなければいけない。これは生活保障の大事なポイントです。

最低生活費を一人ひとりに即して保障する

さらに、老齢で働けなくなった人達の生活をどうするか。これも最低生活保障を一人ひとりの高齢者に即して、無条件で提供し(最低保障年金)することです。障害者、傷病者、子どもも働いていませんから、一人ひとりに即して、所得保障をする。「子ども」ですが、「社会保障上の子ども」という概念も必要です。働く状態になるまでが子どもだと考えていい。たとえば大学生は働く準備をしているから、大きく見れば社会保障上は子どもの範疇だと。働いていない人達はどこかの範疇に入るという風に考えるべきです。ドイツの児童手当はひとまず18歳までですが、大学生、職業訓練生、大学院生については25歳まで出ています。児童手当の額は、生活扶助額の子ども一人分が目安になります。一人分の基礎的生活費ですから。現在働いている人は賃金で、そうでない人には最低生活費を個別に、という発想です。保障は個人単位が原則です。

社会サービスは公的責任による現物給付で

所得保障に加えて大事なのは、働いている人も、働いていない人も、暮らせるだけの所得が保障されるわけですが、その所得で、保育、教育、医療、介護、各種の福祉サービス、職業訓練などの社会サービスを「買う」のではなく、これらの社会サービスは、それらが必要な人びとに、公的責任による現物給付が行われる、ということです。また、低所得者向けの居住保障は、これらの所得保障と社会サービス給付の土台をなす大事な施策です。日本の公的な住宅費用は、ほとんどゼロに近いのです。

こうした費用は基本的に一括して、所得税、企業の人件費に応じた社会保障税(社会保険料の企業負担分の発展形態)などで、負担能力に応じて負担され、社会保障財源、教育財源となります。

こうしたことをすべて、国家の体制としてきちんと作りましょうというのが福祉国家で、それを現在に応じた方法でやろうというのが新福祉国家だということです。

社会保障の個人単位化でジェンダー差別をなくす

ヨーロッパ諸国で福祉国家が縮小され新自由主義の政策が強まっているというのは、一面ではその通りなのですが、最低生活保障を一人ひとりにやるということについては、むしろ進化している面があると私は見ています。

日本の場合はもう一つ、大事な問題があります。ジェンダー問題です。日本型雇用はひどくジェンダー差別が激しい雇用システムです。賃金も地位も、日本の女性は男性に比べて、ひどく低いのはよく知られています。先進国の中では、韓国と並んで、群を抜いて差別的です。社会全体がそれに応じて作られているため、それを福祉国家の中でどのように改善していくか、という課題がどうしても大きな位置を占めます。

それをやっていくうえで大きな力になるのは、社会保障の個人単位化です。つまりできる限り世帯単位にしない。未成年の子どもの面倒を親が見る、カップルの生活は互いに責任を持ち合う、それ以外は、すべて、個人単位で、税も社会保障もできている方がいいのです。ましてや、「扶養義務」をこれ以外に拡大して、それを果たした後に社会保障だ、などということにするのは間違いです。日本のこの間の議論で、親の生活をみないのはおかしいという話と同じように、日本では親の介護を女性がしないのはおかしいと言われ続けてきました。今も強烈な圧力です。ですから、必要な介護が必要なお年寄りには、社会が、個人単位で保障する。その上で、地域のボランティアを含め、より広くどう支えるかは、また別に考える。

「必要充足・応能負担」原則の確立を

必要なサービスと必要なお金は、世帯内の誰かが面倒を見るということではなく、個人単位で社会が保障する、税負担等はこれも個人単位で負担能力が高い人がたくさん負担すればいい。そうしたことがきちんとできていると、家族の中での女性の位置を媒介に女性が差別されやすい位置に置かれる状況は是正されていくと思います。

現在の福祉国家は差別がないなどと能天気なことを言うつもりはありませんが、日本とは、全くレベルが違っていますね。個人に対して必要なものは所得であれサービスであれ、なにしろ保障するのだと。それに必要な財政をどうやって確保するか、という話は、また別に考える。私達は「必要充足・応能負担」と言っていますが、応能負担という場合には、個人からの応能負担、それに、大きくみると富が最終的に集まるところ、大企業群ですね、そこにしっかりと社会的な責任を果たしてもらうということが大きなイメージです。

福祉国家型の公務員のあり方

福祉国家をこのように考えてくると、福祉国家型の公務員制度、官僚制というものも考えられるようになると思います。福祉国家型の公務員のあり方ですね。実は、1960年代末か70年代初頭は、革新自治体で随分そちらの方向に向かって動き出したのだと思います。つまり現業公務員が、社会保障領域、教育の領域、医療の領域でたくさん雇われた。その領域の仕事の分野が随分広がって、予算もたくさん付くようになった。これが実は福祉国家型の公務員の基本的な姿です。多くの国々ではいまだにそうです。日本の場合はそれが80年代と構造改革で、現業公務員を削減する、あるいはそれを公務という位置から外してしまって民間に投げるということが大規模にやられてきました。それをもう一度公務に取り戻さなければいけない。その公務が現在のような厳格な官僚制の公務である必要があるのかどうか、ということは議論の余地があります。もっと緩いものであってもいいかもしれないし、責任だけをきちんと国や自治体がとればいいのかもしれません。ヨーロッパ諸国の公務員のあり方は随分多様です。それは当たり前だと思います。現業の社会保障や教育の現場に即して、必要なものは公的に保障するということですから、それがきちんと確保できるのであれば、組織のあり方はいろいろなものがあっていいと思います。

一方的に命令、統治する官僚から
十分な話し合いに基づく民主的な公務員へ

現業公務員あるいは現業に近い専門公務員が発達していないと、公務員に対するイメージは、「統治する官僚」のようなものになってしまいます。そこのイメージが変わる必要があるのですが、変えるためには、現在、社会保障、福祉、医療、教育の領域でやられていることについて、公的な関与と責任と統制のもとに取り戻していく。「公的」ということの中には民主主義的ということが入らないといけないわけですが、それを積み重ねていって、全体として公的な領域に取り戻してくるということがないといけないと思います。
もちろん、社会保障の領域はどう考えても行政的な積み重ねがないと、いきなり政治で決定されたら大変なことになる場面がとても多いわけです。その行政の積み重ねという話が、一方的な調査、命令の積み重ねではなく、十分な話し合いと民主主義的なシステムに基づいた積み重ねになれるかどうかが、ひとつのポイントです。でも実際には、社会保障のサービスがきちんと行われているところは、きちんと会話が成されているわけですよね。介護保険のようなひどい制度であっても、良心的な方だったら、クライアントと家族とできるだけ丁寧に話をして、合意したことをやろうとしているケアマネジャーは、少なくないですね。

マーケットの論理でなく
公的な責任で合意を積み重ねる

それを純粋の商売としてやろうとすると、その合意を極めていい加減にして、選択肢を最初からものすごく狭く提示することになります。必要なものは充足するといっても、その「必要」は十分に話し合われた「必要」であって、専門家の目を経由した必要であるべきです。だから、社会保障や福祉、医療、教育の場面で人々が必要とすることがちゃんと公的な責任で、合意され、かつ実行され、積み重ねられることは、福祉国家実践と呼んでもいいかもしれません。これはマーケットの論理を相当に掘り崩すものと考えて良いと思います。
マーケットの論理であれば、「必要」だから需要が出てくるわけではなく、あくまで貨幣を伴った必要がある場合に、需要と認められるわけです。必要かどうかを話し合って決めるのとは違います。貨幣を持っている人が「欲しい」といえば需要が生まれる。そうではない「必要」の決まり方、抽象的な言い方をすれば「物象化」されていない「必要」の決まり方、決め方と、その満たし方を社会保障や教育はどんどん広げて実現していかなければいけない。そうしなければ、そもそもうまく回らないわけです。これがきちんと成されることが、実は公的なものの取り戻しなのだろうと思います。

民営化された領域の労働者の仕事を
公務の担い手として一緒に高度化する

民営化された領域の労働者を、労働組合に組織する際にも、民営化された領域の労働者が実際にやっている仕事について、十分に話し合って中身を一緒に高度化していく作業はとても大事になります。単純に賃金を同じにするとか、両方引き下げ合わないようにするというだけではない。内容的にも同じ仕事をする人間として交流して組織して、全体が広い意味の公務員、公務の担い手になっていくイメージをつくることが重要ではないかと思います。

首都圏青年ユニオンを支える実践的な研究者

――後藤先生は「首都圏青年ユニオンを支える会」の共同代表など労働運動の実践面でも積極的な活動をされています。そうした活動の源泉はどういったところから来ているのでしょうか?

社会科学領域の研究者になろうと思ったのは大学院生からですが、その頃から、自分がアカデミストだとはあまり思っていませんでした。理論の世界の中で実践に非常に近い部分なのか、実践の中の理論的な部分なのか、自分はそのどっちかだ、という意識でずっとやっていました。勉強についてもそうですね。自分の専門領域がアカデミズムの中で確定されていて、それをひたすら深めていくという勉強の仕方はしていないんです。必要だと思う領域に次々と移っていくという、かなり乱暴なことをやってきています。

もともと哲学の領域で訓練を積んでいるのですが、その前は理学部にいましたし、哲学の領域では最初はマルクスの理論的な原論について研究していましたが、日本の現状の話に関わらないとどうにもならないという思いが80年代くらいに出てきて、最近は貧困問題の専門家のようになっています。そうやって次々に領域を変えてきてしまっていますが、今までの領域を捨てたわけではないので、プラスされてきている感じです。ですので私の中では、勉強して「開発主義国家」のような概念をつくるという話と、自分の位置でこのように工夫すれば労働運動に面白い貢献ができるかなというアイデアを出して、自分ができる範囲のことをやってみるというのは、それほど違ったことではないですね。

もともと首都圏青年ユニオンのグループ自体が、その前に私が関わっていた労働運動とつながって出てきているところがあるんです。日立製作所の武蔵工場で残業拒否解雇事件が1960年代に起きました。東京の小平市を中心として「田中秀幸さんを守る会」というのがあり、その副会長をしばらくやっていました。

そのときに、学生や院生を中心に電機メーカーの活動家なども参加する「企業社会を考えるシンポジウム」の取り組みを何度かやっていました。そのメンバーが中心となって作ったのが首都圏青年ユニオンです。だから、最初から無関係ではなかったということもあります。日立武蔵の事件の時は、長時間で過労死ということが問題になっている時代だったので、残業を1回拒否しただけで解雇するというのは何事だという問題提起は結構できました。しかし労働運動のあり方として何か面白いことができたかというと、あまりできなかったなという感じがしています。だから首都圏青年ユニオンが、財政的な問題で専従を確保できない、でも、そこを何とかクリアすれば大きく伸びる可能性がある、という話をしていく中で、「支える会」をつくったんです。

――労働組合のあり方に対しても思い入れがあるわけですね。

労働運動そのものを研究対象として系統的に情報を集めてはいませんので、どうしても素人の思いつきの話の域を出ないところはありますが、確かに思い入れは強いですね。大きく見ると、階級的な対立は現として存在していますので、労働組合というのが一番大事な手段ですから、そこで利害がきちんと表現されて、利害の対立を緩和したり、あまりにひどい押しつけられ方は跳ね返す、そういうことがないと世の中全部がおかしくなるという確信があります。ですから、素人ではありますが、自分が貢献したいと思っている対象は重要な部分なのだ、という確信はあります。

競争で確保する領域が肥大化している

――企業主義統合によって、日本の競争のあり方というのはアメリカなどと違ってピュアな競争にならない特殊性があるように思います。

日本型雇用や企業主義統合といっても、時代とともにどんどん変化しています。60年代や70年代の日本型雇用や企業主義統合は、企業がどんどん成長していることが前提で行われていましたから、本当の意味で企業が外に叩き出す必要はほとんどなかった。だから競争して負けても、昇給のスピードが落ちるという負け方で、企業の外に叩き出されることは滅多にありませんでした。むしろ最後まで反抗する者を叩き出すという方に重点があった。その意味では、中に居続ける者同士の競争に過ぎないということなので、ピュアな競争にならないんですね。本格的に個人を叩き出して蹴落として、後はどうなっても知らないという競争には、70年代半ばまでは全然なっていません。だから、経済成長がまだ続いていて、経営も日本型長期雇用の企業の中での確保は市場命題だと思っている時代の競争は、今からみれば随分緩やかでした。

緩やかなのですが、その競争によって子どもは大学に行けるようになるとか、家が買えるようになるとか、生活にとって大事な基礎的部分が競争に勝つことによって可能になるというのは明白にあったわけです。だから、競争と出世が男性に対して及ぼしている規範意識というか、親父としての役割を果たして子どもを大学にやらなきゃいけないというようなことは、それはものすごく強烈だった。しかし、そうすると逆に、大学は社会が保障すべきものだということにはならないんですね。住宅も社会が保障すべきものだということにはならない。その「ならない」という構造がその後、肥大化していくわけです。

だから競争によって確保する領域は、昔はやや小さめだったのですが、労働運動の力が大きく落ちた1970年代半ば以降は、徐々に肥大化してくる。現在でもなお、長期雇用を守っている企業はそれなりにありますから、そういうところでは追い出すタイプの競争は経営者も求めていないし、やらないですよね。しかし、追い出すタイプの競争が全く普通になってしまっている企業が大量に現れてきた。今はブラック企業をはじめとして山のようにありますね。IBMのロックアウト型解雇なども典型的ですが、問題は、日本の労働者の多くが、追い出すタイプの競争に対しても抵抗力がない。原理的に間違っていると言うことができないことです。

そうした状況が、日本型雇用と企業主義統合によって基礎的につくられていて、その後の状況変化とともに膨らんできたと思います。たしかに、まだドロドロしている競争というか、「ある範囲の中でやってください」というような競争は、依然として相当あります。ルールがはっきりしないということが日本の場合はずっと大きいですから、どういう行動をしたら企業は解雇してよくて、どういう行動の場合にはしてはいけないのか、そうしたことがはっきりしない。それが法的に決まっているわけではないし、大規模な協定で決まっているわけでもない。慣行的にやられてきたというのが、日本型雇用の特殊な部分です。だから余計にドロドロ、もやもやするわけです。しかし、そうした状況は、日本型雇用が崩されてくるときに、抵抗力として働きにくい。好き放題にやられてしまう場合が少なくないんですね。「もともとそんなものは制度じゃないんだよ」という一言で終わってしまう。

正社員の雇用は守られすぎ?

日本の解雇規制では、整理解雇の4要件が判例として積み重なっていて、それを労働契約法が法律化した、という程度しかない。だから他のところでは制度的にものすごく弱いので、4要件が突出して見えてしまい、今回は、日本の正社員があまりにも雇用を保障され過ぎているからという、とんでもなく間違った議論が流行することになる。実際には、肩を叩かれて、少し退職金を上積みされて、「自己都合退職」で「納得して辞めています」というのが圧倒的多数になってしまっている。そして、これは「解雇」ではないわけです。今の大企業はそういう肩たたき型で、労働者を辞めさせることについては何の不自由も感じていないと思います。
正社員が雇用を保障されすぎているというのは、違った目的を持った「イデオロギー」なんだと思います。つまり大企業は、中高年労働者はだぶついているという意識を持っていて、それを激しく解雇したい、そのために振りまいているイデオロギー攻勢に過ぎないと思います。

解雇規制緩和は日本型雇用の終焉を宣言する
イデオロギー攻撃

――解雇規制緩和は必要性から出たものではないということでしょうか?

今の解雇規制では大企業が人減らしできない、ということではないと思いますね。むしろ、もっと大きな、労働の流動化の国家方針、国家援助を獲得して、日本型雇用の終焉を宣言する、その意味で、高度にイデオロギー的な攻勢ではないかと。

「雇用調整助成金」を大幅に削減して、移動支援金ですか、今まで大企業は使えなかったけど、それを使えるようにするというわけですね。人材派遣会社や紹介会社に、大企業が再就職の世話を委託するわけですよね。その委託費用のかなりを国が持ってくれるという構造です。それで民間の人材会社にハローワークが持っている情報をよこせと言っている。そのようにいろんなルートを使ったリストラ業務の国家援助が実は大事なポイントになっているのではないか。「雇用維持」はもう国の方針ではない、流動化だ、ということを前面に出しているわけです。雇用調整助成金は日本型雇用の長期雇用慣行を援助してきた大事な制度だったわけで、70年代半ばにできたものでしたよね。これを、もう必要ないと宣言を下すことになるわけだから、そっちの影響の方が、実はすごいのではないかという気がします。日本型雇用はもう要らない、雇用維持もしないという政府宣言ですね。

労働運動の方々は、そうした大きな転換が起きているとあまり言わなくて、「この制度が悪い」という個別の判断をしている。そうではないと私は思いますが。それから、中小企業が実際には雇調金を使っているわけですから、中小企業は大きなダメージをうけると思います。

社会保障から見れば底の抜けた日本社会

――貧困世帯が生活保護受給世帯の5倍以上になっている日本というのは、底が抜けている社会と言えるのでしょうか。

食べ物の調達に困っているかどうか、ですが、餓死者は年間数十人です。これを、社会保障制度との関係でどうみるべきか、よく分かりません。日常的に飢えている人びとが相当数いるというわけではないと思いますが、まともな食べ物を食べているか?という話になると、それはかなり危ないですね。全日本民医連が先日、2型糖尿病の調査結果を発表しました。つまり、遺伝ではなく食べ物によって起きるタイプで、若年でも起きる糖尿病です。20代・30代ですごく肥満で、低所得で、ひどい食べ物しか食べてなくて、糖尿病でいろいろな臓器がおかしくなってきた人が相当出ているという報告でした。そういう人たちは、食べ物に困ってはいませんが、例えばアメリカ型の肥満の貧困者の増加につながってくるわけですね。

たとえば年収300万円未満の子育て世帯は、世帯人数が平均4.2人程度です。これは底が抜けているか抜けていないか。たとえ200万円でもすぐに餓死の状態にはならないから、本当に食べ物がなくて餓死という話とは違うと思います。でも、普通の生活はできませんよね。そうした世帯が、30代の世帯主だけで見たら、今18%です。
2010年4月の厚労省発表ですと、18歳未満の子どもがいる世帯全体で見ると、2007年で生活保護を利用しているのは12万世帯ですが、生活保護基準未満の収入しかない世帯は154万世帯(生保利用世帯の12.8倍)です。そこはひたすら我慢している。子育て世帯に限らなければ、5.5倍です。2012年の生活保護利用者数を5.5倍すると、1,000万人を超えます。しかも2010年の厚労省の計算方法は、住宅費を入れていませんから、実際には基準以下がもうちょっと増えます。生活保護を受けている世帯は「必要だから保護している」というのが国の建前ですが、放置されている貧困が生活保護を受けている世帯の5倍以上ということ自体、社会保障からみれば底が抜けた社会ですよね。

スラム化に近い層が増えている

――我慢を支えているものは家族なのでしょうか?

たとえば、夫婦2人で子どもが2人いて、250万円で暮らすとなったら、別に餓死はしないと思いますが、たとえば私立高校に入れるかどうか。入れるとしても少し遠くで電車賃がかかるところに行けるかどうか。行くためにはバイトを相当やらなければいけない、そうすると疲れて勉強どころではなくなる、そうやって次々と連鎖していきます。ただ小学校にも通えないという話ではない。小学校は大半が通えると思いますが、その中で親が疲れ果てていると、たとえば子どもに朝食を食べさせないで通学させる。そうしたことは最近多いですよね。

――スラム化まではいっていないけれど、それに近い層が膨らんでいる?

そうですね。小学校の養護の先生が給食のパンをストックしていて、子どもがそれと学校の給食を唯一の食事としてとるというような貧困が広がっていますから、もうスレスレですよね。

病気になったときに医者に行けるか、という問題ですが、これはけっこう深刻な状況のようです。日本医療政策機構が行った調査では、「過去12カ月以内に、費用がかかるという理由で、医療を受けることを控えたことがありますか」という設問で、「具合が悪いところがあるのに医療機関に行かなかったことがある」の数字は2008年で約3割という高率でした。収入・資産で回答者が三つの階層に区分されていますが、低階層は4割でした。ほぼ同じ文言の調査が世界的におこなわれているのですが、実は、3割という数字はアメリカを上回っています。

しっかりした雇用の保障が必要

――貧困層がそれだけ多くなってくると勤勉な労働者としてまともに社会人になれない層も多くなってきますが、支配層はそうした貧困層をもう切り捨てているということでしょうか?

主観的には切り捨てているわけではないと思います。だから盛んに生活保護の運用の中で、「貧困を親から子へ連鎖させないために」ってやっていますよね。そういうところにはカネを出すのでしょうね。たとえばNPOが生保利用世帯の子どもの受験勉強の世話をやっている場合、その費用は出すとか。そういうことはこれからもやると思います。ただ、なかなか解決しないですけどね。基本的なところで生活保障としっかりした雇用の保障をしたうえで、子ども、青年に、人手を十分にかけて修学と就職の支援を息長くやる、というふうにやっても、なお、大変であろうと思います。基本的には、政府のやり方は、ひどい貧困状態を、子どもの学力で解決させようとしているふしがあって、これは問題だと思うのですが、単純な切り捨てとは違うと思います。勤労年齢の人びとについては、怪しいですが。

社会常識の方もおかしい場合が少なくないですね。一時期、児童手当が子どもの教育に使われないで、生活費に使われてしまうのはいかがなものか、などと二重三重に馬鹿げた議論が流行りましたよね。2007年の就業構造基本調査でみると、11歳以下の子どもがいる世帯の働き盛りの男性で、年収250万円未満が失業中を含めて10%くらいです。250万円というと、都会で一人が暮らす生活費ギリギリですよね。子どもを育てるなんてできるわけがない。それで子ども手当が足りるかといえば、全然足りません。そもそも足りないのだから、それは当然生活費に使われるでしょう。それに、もともと子ども手当は養育費ですよ。だから二重三重におかしいのですが、いずれにせよ自分1人しか暮らせないような給料を特に男性の親が取っている世帯が10%もあるというのは、結構深刻な問題だと思いますね。奥さんも同じくらい取っていればギリギリ暮らせますけどね。場合によるので一律には言えませんが。

ちなみに、ダブルワークのデータは本当にありません。就業構造基本調査ほど詳細な大データであっても、ダブルワークしている人がそれぞれ何時間働いていて、いくらもらっているというデータがないのです。高校生のバイトデータもない。高校生のバイトデータをネットで検索するとリクルートの調査になってしまう。労働統計に出てくるデータは本当にわずかしかありません。でも多分、今、底辺高校の子どもたちは相当なバイトをしていると思います。

――本日は長時間、ありがとうございました。

(※タイトルと中見出しの文責=井上伸)

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学教職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員(教宣部長)、労働運動総合研究所(労働総研)理事、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者、日本機関紙協会常任理事(SNS担当)、「わたしの仕事8時間プロジェクト」(雇用共同アクションのSNSプロジェクト)メンバー。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)があります。

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