安倍政権や橋下維新の「地方分権・道州制」「地方創生」とは? さらなる東京一極集中と強権政治=沖縄辺野古新基地建設強行の住民自治破壊が当たり前の日本になる

  • 2015/11/19
  • 安倍政権や橋下維新の「地方分権・道州制」「地方創生」とは? さらなる東京一極集中と強権政治=沖縄辺野古新基地建設強行の住民自治破壊が当たり前の日本になる はコメントを受け付けていません

岡田知弘京都大学教授に、安倍政権や橋下維新による「地方分権・道州制」「地方創生」についてインタビューしました。導入部分ですが紹介します。

安倍政権の「地方創生」は道州制へのワンステップ
――国民の暮らし切り捨てる「自治体消滅」論の罠
岡田知弘京都大学教授

(※2015年3月に収録したインタビューです)

 ――霞が関の中央集権的で硬直した予算と権限等による地方支配が日本をダメにしているとか、霞が関を解体し地方分権を行えば日本は良くなるかのようなマスコミ等の論調がずっと続いています。そもそも地方分権をどういう視点で見ればいいのでしょうか?

新自由主義のもとでの「地方分権」

地方分権という言葉は明治時代から存在しますが、各時期で特徴があります。現代の「地方分権」は、1980年代の後半から言われ始めました。ちょうどグローバル経済が進行し始めた時期です。また、日本政府の考え方が、サッチャー政権やレーガン政権の影響を受けて新自由主義的なものに変わってきた時期でもあります。その中で地方分権が語られていったということをどう見るか。この点をまず見ておくことが大切です。

今言われたように、「中央集権的な体制はすべて悪であり、それが日本経済と地方の衰退を引き起こした元凶である」という言われ方は、その頃から繰り返されてきました。「失われた25年」というのも、ほぼ同じ時期にかかっています。つまり、地方分権以上の大きな原因が日本の地域経済を衰退させてきたことの表れなのですが、これは後でお話しします。

明治憲法では国の下に地方がある「垂直的な関係」
それが「戦争のできる国」の仕組みだった

地方自治と国のあり方をどう捉えるか? ということについて考えていきましょう。

長いスパンで考えると、明治憲法の下では、国があり、地方公共団体がありました。そこでは地方自治という規定はなかったわけです。結局、国の下に府県があり、その下に市町村があるという「垂直的な関係」でした。

これは「官治的国家」とも呼ばれます。官が治める国家で、主権者は国民ではなく天皇です。しかも団体自治という形で、地方公共団体の長を住民自身が決めることもできなかった。内務官僚が県知事を任命するわけですね。

これは、「戦争ができる国」の仕組みです。国が決めたことに関して地方公共団体はすべて従い、たとえば軍事動員も徴兵制も、その国の指揮下で現場が動いていく仕組みだったわけです。これがあの戦争を引き起こしてしまった一つの大きな要因だったと戦後改革の中で反省されました。

戦後の憲法で国と地方公共団体は対等な関係に
辺野古の新基地建設反対も今の憲法があるからこそ

戦後、地方自治という規定が憲法に書き込まれ、国と地方公共団体は対等な関係であると位置づけられました。対等な関係だからこそ、地方の団体自治権を認めることになるわけです。たとえば、沖縄の米軍基地再編による辺野古の新基地建設問題で考えてみましょう。今、国がかなり強引に辺野古の新基地建設をすすめようとしていますが、沖縄県知事はそれに反対しています。実は今の憲法だからこそ沖縄県知事は国の辺野古新基地建設に反対できるし、地方自治体の主権者がそこに存在している限り、民意を尊重する義務が憲法上あるわけです。

ところが、それをされると国は戦争ができません。そうなると、戦争ができる国にしたいと考える安倍政権などは、どうしても今の憲法を戦前のような憲法に戻したい。だから、安倍首相は「憲法改正」をめざすと公言しているわけです。

もう1つの大きな変化は、天皇ではなく、国民に主権が移ったことです。今の憲法によって主権者が国民になったからこそ私たちは今、選挙で首長や議員を選ぶことができます。戦前の女性は、学歴や資産がいくらあっても投票さえできませんでした。この国民主権と住民自治をしっかり保障していく仕組みに今の憲法で変わったことがとても大きいわけです。

したがって、地方自治体というのは、団体自治と住民自治が結合した形で初めて存在し得るものなのです。そして、地方自治体の本来の責務は、中央政府が暴走することをストップさせるということにあるのです。

多国籍企業に選んでもらえる「国のかたち」づくり

ところが実際の過程はどうだったのかというと、機関委任事務という形で、国が本来やるべき行政事務を都道府県や基礎自治体に上からやらせてしまいました。そして財政的にも縛りをかけた。いわゆる財政自主権はなかったわけです。そういう流れが長く続く中で、高度成長を経て、それが崩壊し、低成長期に入りました。すると、地域経済を成長させたい地方自治体の首長が、もっと自由に、財政的裏付けのある地方自治を行使できるような仕組みを求めてくる。これは日本だけではなく、グローバル化の中で欧米でも進んでいきます。そこで地方分権要求ということが、行政改革の一環として出てくるわけです。

グローバル化、新自由主義化の流れの中での行政改革ですから、国と地方自治体の関係だけで捉えられる問題でもなくなってきます。そもそも国の関与の仕方が各省庁で違っていましたし、地方自治体に任せられるところとそうでないところをもう一度仕切り直すとすれば、新自由主義化にむけて、中央省庁の再編や市場化を進め、「小さな政府」にする必要もある。そうした議論が台頭するようになり、公務員の定員削減や独立行政法人化という流れができました。そして、機関評価が入ってきた。人事評価システムを変えていきましょう、組織評価も入れていきましょう、ということが行われていきました。

これが1999年から地方分権化と並行して行われてきたことです。「国のかたち」のつくりかえが始まった。その象徴的な言い回しが、日本経団連の前身の経済団体連合会が言った「グローバル国家」という言葉です。「グローバル国家」というのは、地球規模の国をつくるという意味ではなく、グローバルに活動している多国籍企業に選んでもらえるような「国のかたち」、あるいは「国と地方公共団体のあり方」、政策内容に変えて行こうということなのです。

トップダウンとコストカット競争の「グローバル国家」

この「グローバル国家」とは、一体どういう具体的な像なのか。一言でいえば、グローバル企業にとっては現在の地方公共団体の範囲では狭すぎる、という話なのだと思います。だからこれをもっと広げていく必要がある。それで、市町村合併を進めていくべきだ、道州制にすべきだ、という議論が同時に展開していきます。

多国籍企業が活動しやすいということと道州制がどう関係しているかというと、小さな基礎自治体がいっぱいあると、たとえば、道路や空港やリゾートなど大きな開発をしようとした場合、ある小さな自治体の議会や首長が反対したら大きな開発ができなくなるわけですね。もし広域的でフラットな自治体にしてしまうと、そうした反対の声を相対的に少数化することができます。そうすれば首長判断で一気に決断するトップダウン体制によって大きな開発がしやすくなる。

もう1つは経団連自身が言っていることですが、小さな自治体が開発予定地に複数存在する場合、税金や公共料金の基本料が二重払い三重払いになってしまうということです。これが単一の広域な地方公共団体であれば節約できる。グローバル競争はコストカット競争なのだと経団連が公言している。こうした論理で地方を再編する「グローバル国家」づくりを進めているわけです。

大きな自治体では住民自治が働きにくい

「地方分権」という言葉は、国と地方自治体が、行政権限や財源をどう再分配するか?ということを意味しています。そこを巡って、中央に集まりすぎていては自分たちが自由にならないから、もっと地方に行財政権限を下ろしていくべきだと要求しているのが、実は、関西経済連合会や九州経済連合会など経団連の各地域組織です。

この地域財界にとっては、開発財源に関して、関東ブロック、関西ブロック、中部ブロック、九州ブロックごとに、ある程度金額枠は固めておきたい。現状では、東京まで来て陳情し、ようやく箇所付けで公共事業ができますが、時間がかかる。そこである程度枠組みをつくっておき、その内部で再分配すればいいじゃないかという形にしてしまおうということです。一種のぶんどり合戦で勝手なことができるようにするわけですね。

実際、国土形成計画が2005年から始まりましたが、これは全国総合開発計画がトップダウン的な開発だということで評判が悪かったために、地方の代表が入って公共投資計画を10年に渡ってつくったものです。そのための協議会もつくっていくわけですが、この10年間は、ある程度計画が固まったらその域内で財源分配すればいいだけの話です。しかも九州や関西の協議会を見ると、地方代表は、知事や有力市長、その地域の町村会代表などが入っています。加えて民間の代表が入っています。関西でいえば関経連の代表です。それで関経連の会長が議長をしている。そういう中で自ら要求してきた事業計画を盛り込んでいくという形になっているわけです。

そうなると、中央に集まっていた財源を分割し、それぞれ分け取りしましょうということになります。しかし、地方自治体というのは団体自治と合わせて住民自治が必要です。これが基本です。ところが、大きな自治体では住民自治が働きにくい。住民の声が通らない。ここが最大の問題ではないかと私は思っています。

市町村合併によって人口減少していく

市町村合併の推進は、まず1999年の合併特例法から始まりました。そして、途中で法律の期限が切れたために新法までつくってやったわけです。3,232の市町村を1,000まで集約するというのが小泉内閣の目標でしたが、最終的には約1,700で、目標通りにはいきませんでした。それでも広島や長崎、新潟では市町村の数が激減してしまった。

この市町村合併でできた一番大きな基礎自治体が、岐阜県の高山市です。当時、総務省が適正人口規模を10万人と打ち出し、それを忠実にやったのが高山市です。しかし面積は2,000平方キロメートルを超えてしまった。香川県よりも大阪府よりも大きく、東京都とほぼ同じ面積の基礎自治体になりました。

その高山市の一角に高根村という自治体がありました。『あゝ野麦峠』の野麦峠がある、御嶽山と乗鞍岳の間の村です。ここでは、合併後人口が3割以上減ってしまった。議員数が、合併特例によって最初は1人の議員枠がありました。ところが選挙が2回終わったら、そうした特例はなくなり、大選挙区制になります。すると、人口が減っていく中で議員を選べないということが起こりました。

人口が減っていった原因の一つは、役場が支所に変わったことです。それによって公務員の数が減り、小学校も中学校も早い時期になくなってしまいました。若い世代が山を下りてしまうんですね。そして高山市街地の方に移動してしまいます。そうなると、困るのはお年寄りです。冬になると雪がたくさん積もりますから、安心して冬を越せない。そうなると多くの高齢者も山を下りていくことになるわけです。

人口が減ると、今度は国政選挙や地方選挙の際の投票所が集約されていきます。すると投票に行けない人が出てくる。現に、合併して広くなったところでは投票率は下がっています。そうした主権者としての権利も保障されなくなってしまうのです。

合併前までは10人くらいの村議会議員が選挙で選ばれ、20億円くらいの予算を自己決定できていました。しかし市会議員がいなくなってしまったら、何もできなくなります。つまり住民自治としての権利の行使が、いわば剥奪されていく。結果的に、財源が高山の中心部に移っただけなんです。こういうことが広がっています。

国民の権利が保障されるかどうか

地方分権の問題を見る際には、その地方分権によって国民の主権者としての権利がどれだけ保障される仕組みになっているのか、実際に国民の権利が保障されるのか、ということを見る必要があります。

団体自治を強めていくために大きな自治体をつくり、「選択と集中」ということで本省機能を強めていきました。その結果、国の出先機関の職員数も減っていく。そして合併後10年から15年をかけて、合併特例の交付金もどんどん削減され始めています。

公務員に関して基礎自治体レベルで見ますと、それまで行政サービスをしてきたところにさえ、行政サービスができなくなってしまいます。これは、いわばナショナルミニマムの破壊を伴っていく。そういう意味では、憲法25条も実現できません。「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ということを、仕組みとして保障する責務が遂行できないという問題まで起こしてしまうのです。

東日本大震災などで問われる国と自治体のあり方

東日本大震災をはじめ、広島市での土砂災害、御嶽山の噴火災害など、日本列島は今、活動期に入っていると言われています。その中で、地方自治体のあり方が問われていますし、それと合わせて、地方整備局など国の出先機関の役割も問われていると思います。

東北の被災地は大震災から4年が経過しました。震災前から、先ほどの高根村と同じようなことが起きていました。つまり役場がなくなって支所になる。支所になってそこで働いている人の数が減る。そしてさらに広域人事異動がある。東日本大震災は昼間の災害でしたが、そうした地域では昼間の安否確認もできませんでした。地名もよく分からない、という状態です。役場支所には窓口業務しかありませんから、職員は現場を歩きません。ですので、どこの集落の誰々さんがどれだけ苦労しているとか、SOSを発しているということが把握できない。もしくは情報を聞いたとしても対応ができない。それでは救援物資も運べないわけですね。また、復旧復興計画は本庁が立てているので、なかなかスムーズにつくっていけないということが起きました。

今、災害がいつ起きても不思議ではない時代に、全体として公務員の数を減らしていく、あるいはその機能を弱体化していくという方向で本当に良いのか。これは地方創生や道州制に関しても同じです。そういう形で、果たして持続可能な日本を次の世代にバトンタッチできるのかどうか。私は、これまでの地方分権のあり方をしっかりと再検証していくということが必要ではないかと思っています。

マスコミ報道が煽る「地方分権」「公務員削減」

 ――地方分権を利用して公務員削減の方向に持っていこうとする傾向がマスコミ等には強いように思います。

いわゆる世論誘導ですね。世論誘導に誰が乗っかっているのかということが一つの問題だと思います。今の沖縄問題や原発問題、安保問題もそうです。どの時代でも、世論をいかにつくり出すかということで政権はマスコミを活用するし、マスコミ内部でもそれに同調していこうとするところと抗おうとするところに分かれます。しかし、全体として正しい情報はなかなか流れていかない。どうしても感情論になっていくんですね。

とりわけ1980年代からの動きとして財政再建の問題が浮上し、そのためには「身を削る」しかないという話が出てきます。どれだけ公務員を削減するかということが、政権党にせよ野党にせよ、票を獲得するために非常に重要な要素になっていきました。だから今の自民党も民主党も国家公務員の定員削減を大幅にやっていこうという競争をしていますね。

そうしたことが起きたもう1つの背景は、国民の生活自体が大変苦しいものになってきたということです。統計データを見てみると、実は80年代後半くらいから所得格差も地域格差も広がっていったわけですね。その中で公務員だけが恵まれているんじゃないかという公務員バッシングが生まれる。さらに90年代に入ると規制緩和で派遣労働者をはじめ不安定で劣悪な労働条件に置かれる非正規労働者が広がっていきます。そうすると余計に公務員は恵まれすぎていると言われ、その人員削減と組織の解体、さらに公務員がやっていることは民間でもできるはずじゃないか、市場化すべきだ、ということが小泉構造改革期に一気に広がりました。

その前段階は、80年代半ばの中曽根政権期に行われた国鉄解体です。この国鉄解体から始まって、五現業、更に本体の公務解体という流れになりました。私は国立大学法人の職員ですが、当時、国立大学は10万人以上の国家公務員としての定員があった。そこで、国家公務員の定員削減のために、国立大学の切り離しを画策するわけですね。まずは独立行政法人化を行い、最終的には民営化までやるべきだと当初は言われていました。そのためには大学の数が多すぎるから再編もするべきだと言われる。国の出先機関とほぼ同じような話が、国立大学の法人化改革の中で並行して行われてきたわけです。そうした方向性を支援するようなマスコミ関係者が残念ながら多いということですね。これに対して、私たちは事実を示していくことが必要だと思っています。

▼図表1や▼図表2を見れば分かるように、日本の公務員数も公務員人件費も先進主要国の中で一番低く、一方で財政赤字は高いのです。

社会は社会的分業によって成り立っています。それは単にものをつくって売る商業、あるいはサービス業だけではなく、公務という公共サービスを担う仕事が必ず必要になってきます。しかも様々な社会的問題が広がり、多様化、細分化していけば、それに関わるような社会保障業務、国土保全業務、環境業務等が広がっていきます。そこで公務領域の必要な人員は、人口割合として高まっていくのが必然なんです。ところが日本の場合は公務員をどんどん削減している。

公務員を削減してどうするかというと、一つは、市場に任せるということで民営化です。それで指定管理者制度とか市場化テストをやる。そこに人材派遣会社が入ってくる。竹中平蔵氏がやっているパソナが典型的ですね。その一番のオピニオンリーダーだったのが、小泉内閣においては宮内義彦氏というオリックスの代表でした。当時、宮内氏は公務の民間開放によって50兆円くらいの市場が確保できると言い、市場化への規制改革を促しました。

つまり地方分権改革と規制改革は、車の両輪だったのですね。地方でも、合併した自治体では公務員を削減せざるを得ません。そうすると、民間企業に任せるしかない。それでもできなかったら、「新しい公共」と呼ばれるような支援組織やNPO法人、社会的企業と呼ばれている公務的なサービス企業に任せる。こういうことを言っていたわけです。

しかし、それで公共サービスの質が保証されるかというと、そうはならないという問題が起きてきます。国や自治体が供給する公共サービスは、そもそも利潤を目的にしていません。だからこそ必要な設備投資と必要な人員を配置することができます。そこに民間企業が参入すると、利潤を獲得することが市場目的なので、公共部門が提供するサービスのコストより低い価格で行いますよと言って受注していくわけですね。市場化テストが典型的です。

民間企業がコスト削減できる理由

なぜ民間企業は低コスト化ができるのか。それははっきりしています。まず物件費を節約し、人件費も節約する。人件費の節約は派遣労働者など非正規労働者を活用することによって実現できるわけですね。そもそも3年や5年の契約期間しかありませんので、指定管理者にしろ、結局そういう形での切り売りを伴っていく。だから、公務の民営化にともなって、官製ワーキングプアが増えてくるというのは必然性があるわけですね。

そうなると、それまで公共サービスが安定的に行ってきた、たとえば国民のプライバシー情報を保護した形で提供できるかという問題が起きてきます。すでにいろいろなところで事故が起きていますが、アルバイトや孫請け的な形でやっていくためにプライバシーの保護ができなくなる。また、国民の安全に関わる事故が起きてしまう。埼玉県ふじみ野で起きたプールでの児童の死亡事故もそうでしたし、浜名湖でのボートの転覆事件もそうでした。そして必要な設備投資をやらなかった代表例が、東日本大震災以前に起きた松島沖地震ですね。仙台のPFI(公共施設の建設、運営などを民間企業に一括して委託すること)でつくったプールの天井が崩落するという事故がありました。これも後で追跡調査をしますと、必要な留め具がなかった等そういうところで節約をすることによって利益を上げようとするのが民間企業であることが分かった。純粋に公共サービスのみを目的とした組織ではなく、少しでも利益を出そうとする形で仕事を取っていく民間企業による結果ではないかと私は思うのですね。

アメリカでも、住宅の安全基準を満たしているかどうかをチェックする建築確認申請や確認業務というのは、地方公共団体の仕事だといいます。設計段階、建設段階、さらに完成段階に渡って公務員がチェックを入れる。ところが日本は早い時期からこれを民営化してしまいました。結果的に耐震強度偽装の姉歯事件が起きてしまった。国民の命とか基本的人権である財産権を第一にするということではなく、新しい市場をつくることを第一義的な目的にしているような行政改革、規制改革、地方分権改革の中で実施されてきた、一つの帰結ではないかと思うのです。こういうものをさらに広げていいのか?ということが問われてきていると思います。

東京一極集中の弊害、法人所得は全国の45%

 ――中央紙と比べればいいことを書く地方紙も、こと地方分権に限っては、中央紙と同じ論調です。

やはり東京と地方の関係が背後にあるのではないかと私は見ています。▼図表3が典型ですが、東京に富も財源も権限も集中しているという、このことは確かな事実なのですね。

問題はその中身です。東京都のところを見てください。第1次産業で東京の全国に占める生産額比率は0%に近いですね。第2次産業の製造業と建設業は10%くらいです。そして、第3次産業は20%くらいでここに情報サービス業も入ってくるわけですね。けれど、最大の問題はその背後でせり上がっている山です。これは法人所得が積み上げている山で、東京が全国に占める割合が45%もあるのです。2005年の小泉構造改革時と比べ、2010年には東京への集中率が5ポイント上がっています。逆に九州や北海道では、ほとんど法人所得の比率が見えません。

なぜこういうことが起きているのかというと、1つは海外の現地法人からの富の還流です。そして、国内各地にある工場や支店での利益の大半が、本社のある東京に集中してくる。税金も、税務署に納める税金は、いったんは東京に集中する。予算の再分配権限は財務省と各省庁にあったり、議会が議決します。その中で、ある程度自由度がきく地方交付税等の財源がありますが、これもどんどん少なくしようとしている。あとは紐付きの補助金が陳情でようやくとれるという構造になっていて、そこに対する地方の反発が根強く存在しているわけです。

しかしそれが中央集権の結果なのかというと、私はそれだけではないと思っています。

1つは、先ほど言いました経済の本社と分工場、支店という、経済活動における東京一極集中が一番のベースにある。もう1つが、各省庁が予算を決めていく際の決定の仕方と、地方交付税などの地方への再分配の決定の仕方が不透明である部分が多いことです。しかも東京の中央政府の方が割合的には高い。そこでもっと財源が欲しいということが、ずっと言われている。こういうものが合成された結果ではないかと思います。

特に安倍政権になってから官邸政治ということが言われていますが、官僚機構の中央集権論でいくと、そういう政治の力も見逃されています。そういう問題もあるんじゃないかと思いますね。

これらを合わせて、地方自治体や国土交通省の出先機関等が、どういう形で必要な投資や支出を民主的に保証していくのか。ここまで議論を深めていく必要があると思いますが、地方分権改革論や行革論ではなかなかそこまでいっていません。東京の中央省庁の力を弱めればすべて上手くいくかのようなことを言ってしまっている。それをやり続けて20年経っていますが、かえって東京一極集中という事態は悪化してきているわけです。

▼インタビューの一部を視聴できます。

井上 伸雑誌『KOKKO』編集者

投稿者プロフィール

月刊誌『経済』編集部、東京大学教職員組合執行委員などをへて、現在、日本国家公務員労働組合連合会(略称=国公労連)中央執行委員(教宣部長)、労働運動総合研究所(労働総研)理事、福祉国家構想研究会事務局員、雑誌『KOKKO』(堀之内出版)編集者、国公一般ブログ「すくらむ」管理者、日本機関紙協会常任理事(SNS担当)、「わたしの仕事8時間プロジェクト」(雇用共同アクションのSNSプロジェクト)メンバー。著書に、山家悠紀夫さんとの共著『消費税増税の大ウソ――「財政破綻」論の真実』(大月書店)があります。

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